武蔵嵐山でミッションデー が行われるのは必然だった!とか言いたいだけのお話。
ingressのオフィシャルイベント
「ミッションデー 武蔵嵐山」まで、10日を切りました。
個人的にingressのイベントの中でも好きなイベントがミッションデー 。
元々街歩きの一助に、とインストールしたのがキッカケな自分にゃ一番しっくりくるingressのイベントです。
たまたま、二年ほど埼玉に単身赴任でお世話になっていた時期に立て続けに埼玉近隣でミッションデー が開催され、お陰様で充実の単身赴任生活の思い出となっております。
さて、地元の長野は松本のミッションデー の開催を最後にミッションデー の参加は見送らざる終えない生活(つまり単身赴任終了)に戻っておりましたが、かつてお世話になった埼玉、近隣のお世話になったエージェントも集まるだろう武蔵嵐山のミッションデー 。
その発表を見かけた瞬間に
(これはなんとしても参加せねば)
と密かに決意。
ところで、単身赴任中、僕は埼玉の上尾市に住んでいたわけですが、自宅の長野は松本市との往復は車移動でした。
関越自動車道を経由して行き来していたわけですがその都度必ず目に入る「らんざん」って平仮名で大きく書かれた看板塔がとにかく印象的で、「埼玉で嵐山?」とかねてより心の片隅に引っかかっていた場所でした。
さて、そんな嵐山でミッションデーに久々に参加する気満々な僕は、知ってるようでまるで知らない武蔵嵐山について少し調べてみる事に。
・まずは「嵐山」のルーツ
さて、「埼玉に嵐山」。嵐山(あらしやま)の字面からは京都のイメージばかり思い浮かぶわけですけど、どういう由来があるのか?気になる土地はその名称のルーツから探ってしまうのが僕の癖。
で、調べてみるとやはり京都の嵐山とは無関係ではありませんでした。
嵐山渓谷はその地形的な特徴から、秩父の長瀞岩畳に例えて“新長瀞”と呼ばれていたこともあるようですが、昭和3年(1928)秋、日本で初めての林学博士・本多静六博士が当地を訪れ、渓谷の最下流部にある槻川橋より渓谷と周辺の紅葉や赤松林の美しい景観を眺め、京都の嵐山の風景によく似ているとのことで、“武蔵国の嵐山(むさしのくにのあらしやま)”と命名されたということです。それが大変評判になり、多数の観光客が訪れます。(嵐山町旅の達人より)
なんと、京都の嵐山の風景に良く似ているという事で、元々「らんざん」ではなく「あらしやま」と呼んでいたんですね。いつから「らんざん」と読み方を変えたのか?はわかりませんが、ともかく馴染みのある京都の嵐山のような風景とくれば、これは絶景。
初夏の新緑溢れる渓谷の景色を思い浮かべるだけで楽しみになってくるじゃないですか、ね?
ところで、僕はこの名付け親の「林学博士・本多静六」が気になってしまいました。
この方の鶴の一声で今の「嵐山」という名が決まってしまったようなもんです。
どんな大先生なのか?…超大先生でした。
・「公園の父」本多静六
さて、早速「本多静六」で検索してみると検索結果ぎ出るわ出るわ。
wikipediaにもしっかり情報がまとめられているくらい超有名人でした。
幕末も幕末、江戸時代最期の元号「慶応」の元年、埼玉県の今の久喜市生まれ。
東京農林学校卒業後、林学を学ぶ為にドイツ留学、ドクトルの学位を取り帰国、同校の教授へ。
そんな本多が中心となり留学経験を活かして造られたのが、なんとなんとingressエージェントにとってはある意味聖地といっても過言ではない東京の日本初の洋式公園「日比谷公園」だったというのだから驚きです。
「ダルサナ(アノマリー)」、「Fate of The 13(シャード)」、個人的には忘れもしない161210(ビール)。
度々ingressのイベントの舞台となったXM溢れまくりの日比谷公園を創った中心人物が「嵐山」の名付け親だったわけです。
「武蔵嵐山」でミッションデー が行われるのはもやは必然だった、むしろ遅過ぎたと言ってしまいたいと思います。
調べればすぐに出てくるので割愛しますが、他にもエージェントならお世話になった事があるだろう、各地の有名な公園を多数手がけております。ingressエージェント的には「ポータルエリアの父」「日本のアノマラスゾーンの創造主」とか敬意を込めて呼びたいところ。
日比谷公園に数多あるポータルの中には本多静六」の逸話を物語るポータルも。カレーが美味しい「松本楼」のすぐ隣。そして、その松本楼の歴史を紐解くと我が松本市も全く無関係ではなく、本多静六を通して松本と嵐山のリンクが繋がった!(強引)
こうなってくると、俄然、武蔵嵐山の訪問が楽しみになってきて仕方がありません。
本多静六に「嵐山」と言わしめた景色はもとより、我が松本や隣接市町村にもそのゆかりの場所が多くある木曽義仲の「生誕地」と言われていたり、鬼を祀る変わった神社「鬼鎮神社」などは、長野は白馬の青鬼集落の「青鬼神社」のお善鬼様を彷彿させられ、どんな逸話が残る神社なのか?など、地元の歴史や伝承などと紐付けて調べていたら武蔵嵐山の興味が尽きない尽きない。
さぁ、ミッションルートも公開されていよいよ参加準備! と張り切ってたわけですよ…わけですが………参加、デキナクナッチャッイマシタ、というか泣く泣く諦めました。
先日、病院にやっかいになってた際のカミさんの「まさか埼玉行く気じゃないよね?」の一言で引き下がらねばならない理由が瞬間的に5つくらい思い出せちゃう状況でして。
多分に何かと出費の多い5月。
胃の検査料がトドメだったなぁ(遠い目)。
多分に顔見知り、かつてお世話になったあんな方、こんな方が恐らく多数お見えになったり中の人で頑張ってたりするだろう、「ミッションデー 武蔵嵐山」。
参加できない憂さ晴らしをこんな駄文を思わずしたためるくらいには残念ですが、当日晴天に恵まれミッションデー 日和の中無事開催できますよう心よりお祈りしております。
あー、残念だ。
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