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水がなくても魚(うお)は泳ぎ続ける
映画に求めるものは、人によって異なる課題だ。
心が和む作品は誰もが求めるだろう。
例えば最後にハッピーエンドとなる様な作品。
終わりよければすべてよしという言葉が示す様に、映画を娯楽という観点を重視すると確かに頷ける。
人生があらゆる形がある様に、物語が多様化している事も拭えないのは事実である。
こういった視点もまた無視はできない。
従って、不条理な観点も無用とは言い切れないのだ。
むしろ切っても切り離せない問題へと繋がるからだ。
だからこそというべきか、必ずしもハッピーでは片付かない課題を共有する映画も必要だと個人的に思う。
水を得た魚(みずをえたうお)。
自分に適した環境で生き生きと動く、または泳ぐさまを言う。
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※ 野中 東 作 『水を得た魚』
で、随分と長い前説となったが、今回は若松孝二 監督作品「水のないプール」に着目したい。
率直に言って、この作品の主人公は変態だ。
しかも、実話を基にしている事を考慮すると実在人物はもっと変態だ。
物語は淡々と進む。
主人公は地下鉄の職員。
今では自動改札機があるので「切符切り」と言われてもピンとくる人は少ないだろう。
要するに、自動改札機に実在の人間が常駐し、瞬時に切符と定期券を見極める作業をする職員である。
んでもって、日々の変化に乏しい主人公は、悶々とした気だるい中を泳ぐ様に暮らしている。
ある帰り道の事、雨が降る夜の中を家路に急ぐ。
公園内を遠過ぎようとした時、公衆トイレから女性の悲鳴が響き渡る。
主人公は一瞬立ち止まるが、無視してその場を去ろうとする。
公衆トイレから逃げる様に若い女性が悲鳴を上げながら出て来る。
女性を追う様に二人の男性が雨が降り注ぐ中、女性を押し倒し性的暴行犯を繰り返そうとした。
その光景を黙って見ていられない主人公は女性を助ける。
この出来事が女性と主人公の出逢いとなる。
主人公は家路に着くと、二人の子供と恰幅の良い妻が出迎える。
仕事と私生活に対し不満を常に感じた主人公だが、変化を求めて転職を考えるも、面接先の上司と向き合うなり、理想と違うと感じた主人公はやや現状を諦めた様子だった。
夏の暑い時期という事もあり、現在と違いエアコンが一般的ではない時代、寝苦しい日々を迎える。
そんな日に主人公の子供達は、夏休み中に出掛けたいと両親に願い出る。
すると父親である主人公は明日出掛けようと子供達を喜ばせる。
普段住む住宅に囲まれる場所とは違い、自然を満喫できる場所へ家族は向かった。
晴天に恵まれほのぼのとした休日を嗜む。
主人公は小さな用を済ませようと草むらで社会の窓を開け様とした時、若いカップルが抱き合う光景と出くわす。
暑い夏という事もあってか、若い男女は汗が滴るほど愛し合う。
この光景を黙って見ていた主人公はやるせない気持ちが勝り、その場を一目散で逃げる様に去って行く。
家路に着いた家族は、日中の汗を拭おうと風呂に入る。
娘と妻が風呂に入っている時、息子は生きているカブトムシの尻に注射を刺す。
父親である主人公は息子の行動に疑問を感じて問い正す。
すると息子は標本にするのに必要だからと答える。
平然とした口調とは真逆の父親は、まだ生きているのに?と再び尋ねると、そうだよ、その方が虫も苦しまずに済むんだと言った内容で答える。
息子の一言が引き金となり、主人公は大量のクロロフォルムを入手する。
主人公は父親である前に男として再生を求める。
即ち、男性であると立証しようとクロロフォルムを悪用し、目覚める事のない女性を次々と犯し(性的暴行)まくる。
主人公にとって最初に犯そうと思った女性は、公園で犯されそうになった女性だった。
心が動揺したかは不明だが、主人公はためらう。
次に最初に選んだ相手は、公園で出逢った女性と喫茶店で談話を楽しんだ。
会話が落ち着き飲み物をお互い飲んでいる時、主人公はウエイトレスに目を付ける。
公園で出逢った女性と他愛のない会話が続いた後、ウエイトレス同士三人が会話をしている。
その中の一人が、家族が留守中なのでひとりを満喫していると話していた。
主人公は迷わずにその女性に絞った。
選んだ理由に明確なものはない。
単に衝動的な欲求の捌け口でしかない。
ウエイトレスを犯した後、主人公は多くの女性を犯し続ける。
まるで底が見えない現状と決別するかの如く、現実逃避をするのだ。
この物語は実話に基づいているらしい。
実話が云々よりも、主人公を演じた内田裕也氏の演技がとても素晴らしいと感じた。
それ以上に、内田裕也氏を主人公に選んだ若松孝二 監督の着眼点に恐れ入る。
今では死語となりつつある、「ピンク映画」で養った若松孝二監督の技術が炸裂した描写力で観客の心を鷲掴みにした映像美と、人間の醜さと憎悪を織り交ぜた演出効果は見る価値が大いにある。
結論を急ぐ訳ではないが、混沌とした結末は後味の悪さしか残らない。
だからハッピーエンドを求める人が多いのだろう。
だが、ハッピーではない不条理な手法の物語には、醜さも野心も優しさを並行して抱き抱えられる要素が含まれている。
それ故に、不条理な作品に魅了され続ける。
現実とは違う映画はある意味こうあるべきなのだろう。