無のムーてなやつ
毎度!唐突に突然炎のごとくといえばフランソワ・トリュフォーとは無縁で無能なぼやきを記載します。
いや〜ん
軽いジャブはこの辺にしておくとして、人生というものは常に反省の繰り返しですよ。
ネット社会の恩恵を受け我々は随分と情報を拾い読みする事が可能となった。
その結果、好きなものだけを掬い取り要らぬものは排除する事が容易となった。
では、ネット社会の恩恵を受ける以前の世界はというと、あらゆる新聞やテレビのニュースを掬い取り重要な部分だけを切り取る必要に迫られる。
いや、迫られると表現すると緊迫した内容であると誤解を招くので訂正するとして、改めて昔の話を紐解くと、限られた情報を得るのに必死であったのだ。
今は答えを簡単に見出す事が可能となった。
要するに全てを読まずにゴールへと導いてくれる。
それがネット社会の恩恵と言っても過言ではないだろう。
かつては1+1=は必然と2であるのに対し、今は3にもなり300にもなりえる。
明確な数字よりも不透明な事実にこそ現実味を帯びている事に実存主義の興味の対象となるのだろう。
いや待てよ…
それ以前に現代に実存主義者は無に等しいだろう。
だってさぁ、哲学や心理学を本気で志す現代人は無に等しいのだから。
考えないからネットに頼るのだろう。
そもそも考えを否定するところからバーチャルが発展したのだろうから。
考えてごらんよ。
身近なスマートフォンってやつは、常に後生大事に手に持つ人間をスマートだと思うかい?
いや、反対にスマートどころか、機械に洗脳された無能な家畜にさえ思う。
わーお!
辛口な例えに聞こえるだろうが、外出時にスマートフォンをむやみに開かないボキの方が冷酷ではなく冷静であると自負しているくらいだ。
そもそも人間なんていうものは無に等しい生き物だ。
だからこそ動き回り、意味のないものまで作り出しているのだ。
例えば公害に繋がる環境破壊や人種差別、またはテクノロジーの発展に伴う雇用者の減少など、など、ちょっと言いすぎたかな…
ごめん、ごめん。
よし!気持ちを切り替えて!
いやはや、昭和という時代は実に単純明快で楽しいテレビ番組が存在したものですよ。
毎日が楽しいほど個性的な番組が存在したものですしね。
中でもTBS系列で放映された『ムー』と『ムー一族』は幼い頃のボキに影響を与えた核兵器と称しても過言ではないでしょう。
今となっては考えられないのだが、たまに生放送をしていたのだ♪
改めて出演陣を観ると、郷ひろみ、樹木希林、伴淳三郎、伊藤四郎、左とん平、由利徹、たこ八郎、清水健太郎、岸本加代子などと豪華過ぎる共演に圧倒されチャウチャウ犬だぜ!
わーお!
なんなんだこれは!by 岡本太郎だよ!まったく!
コレもオマケ!
チト画像が悪いが。
♪あぁぁかなしぃねぇ〜♪
♪かなしぃねぇ〜♪
この二曲、すんげえ懐かしいジャン!
それにしてもさぁ、こんなテレビドラマを制作するには現代では不可能だろうなぁ。
何より優れた製作陣と役者を揃えるのが困難だろうし。
イクラちゃんと整ったネット社会であろうと無理なものは無理なのだ。
しかもゴタクを並べた弁が立つタラタラちゃんだとしても、スマートに語るのはより不可能だ。
しかもだよ。
言語を必要としない絵文字を中心に記号でしか語れないスマートフォンを片手によそ見しながら歩く連中にはさぁ。
バーブー!