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翼が折れた英雄

全てではないが、ジャズを題材にした映画の内容はとても暗い印象を残す。
正確にはジャズ・プレイヤー(演奏者)と称した方が正しいだろう。

学生時代にマイルス・デイヴィスの自伝を読みショックを受けた。
先ずその理由は、世の中に認められる音楽を作るために薬(ドラッグ)に手を染めたと記載されていたからだ。
当時は若かった故、具体的な理由を模索していたのだが、人として経験を積み重ね理解できる様になった今、肯定するつもりはないのだが、賛成する筋合いもないと言うのが本音である。

法律で禁止されているため、薬に手を染める行為は違法である。
それ以前に、手を染める前に十分に考える必要がある。
現在は特に、有名人が薬に手を染めたものならゴシップ雑誌の餌食となり、今までの努力と立ち位置の全てが奪われてしまう。

しかし、マイルス・デイヴィスが活躍していた時代を考えると、今とは大きく異なる。
現在でこそ、人種差別はなくなっていないが、有色人種に対する偏見と差別は和らいだ。
何よりも、マイルス・デイヴィスの肩を持つ訳ではないが、薬に手を染めた理由に意識を撹乱、または覚醒する事で普段では想像し難い何かを求めていたからだろう。
その何かとは、思うに目に見えないもの、要するに内に秘める才能を引き出したいがために、乱用したのだと考えられる。

マイルス・デイヴィスより前の世代は今以上の苦労が強いられたはずだ。
中でも、ビバップ・ジャズを確率したチャーリー・パーカーの生涯を描いた、クリント・イーストウッド監督による「BIRD」を観ると率直に頷ける。

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BIRDとはチャーリー・パーカーの愛称だ。
34歳という若さでこの世を去るまでの生涯を描いた内容だ。

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まさに波乱万丈という言葉が相応しい時代を過ごした。
薬やアルコールを浴びるほど乱用し、精神病院を往復する様な目まぐるしい生活も過ごしたのだ。
そこまで至るには必ず理由があるはずだ。
個人的に思う事は、有色人種が白人が主導権を握る世界で有名、または活躍の場を広げるには限られた職業しか残されない。
最も近道となるのはスポーツ選手だろう。
次に音楽。
まだロックが存在しない時代はジャズが幅を利かせていた時代でもあった。
また、ジャズの根底にある、有色人種特有のメロディーは白人には簡単に真似する事は不可能だ。
それにジャズは即興音楽だ。
譜面に頼らない音楽は同じ楽曲でも、次の日には変化を遂げたり、演奏者によっては大きく異なり、更なる飛躍した音源へと開花するジャンルでもある。
そこにジャズ、または即興音楽の醍醐味が埋まっている。
日本では浪曲が近いと個人的に感じる。
浪曲と同様、古典と新作それぞれが同居する落語もその一つだと考えられそうだ。
要するに、ジャズは有色人種が唯一主導権を握ったジャンルだと言っても過言ではないはずだ。

この作品を冷静な視点で捉えたクリント・イーストウッド監督は素晴らしいと評価に値する事はもとより、難しい役どころに関わらず、見事にチャーリー・パーカーを演じたフォレスト・ウィテカーは最高に良かった。

映画ファンならご存知の通り、この「BIRD」はクリンスト・イーストウッド監督作品の中では賛否両論というか、不評を招く映画でもある。
これは個人的な見解だが、クリント・イーストウッド監督のジャズに対する愛が強すぎて、映像が実験的に映った結果がもたらし事が要因と言える。
個人的にはそれが称賛に繋がると考える。
それにクリント・イーストウッド監督の作品は多く観ている。
「BIRD」以外では「グラン・トリノ」「ミリオンダラー・ベイビー」「スペース カウボーイ」など挙げたらキリがないほど優秀な作品が多数ある。
その中でも、特に「BIRD」を選んだ理由は、監督の思い入れというより情熱が他の作品以上に感じられたからだ。

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事実、監督自身も音楽に精通している。
あまり知られていないが、過去には歌声をレコードに刻ませたほど音楽に対しての情熱が深かった様だ。

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もう一つ感じた事、それは栄光と挫折を同時に味わうアーティストは稀だという点だ。
俗に天は二物を与えずという言葉が示す様に、完璧な人間はどこにもいない。
ましてや完璧な英雄さえも存在しない。
欠点があるからこそ共感を覚え、共鳴するのだろう。

こういった内容をこの映画が立証しているから個人的に好きな作品の一つとして挙げてみたのであ〜る☆

いつまでも大空を飛ぶ事はできない。
いつかは翼を休めなくてはならない日が訪れるはずだ。
「BIRD」という作品は、この様なセリフが音源として流された気がしてならない。

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