芸術家が集う不思議な場所
誰もが憧れを抱き、目標とする場所、または地位があるはずだ。
かつて自身もその一人であった。
二十台の初め頃、島国から離れ海外へ憧れを抱き、最初に辿り着いた先はスペインだった。
何故スペインかと言うと、バルセロナに佇むガウディの建築と、当時(今から約26年くらい前の話)、マドリッドにアメリカから帰還したばかりのピカソの最高傑作である「ゲルニカ」を間近で観たかったからである。
いずれも想像を絶するほど、実物は感動の域に達し、抜け殻と化した自身の体は呆然と立っているだけで精一杯出会った。
憧れとはそれだけ壮大であり、言葉では簡単に説明をするのは困難である。
手短にまとめるが、最初に観た「ゲルニカ」は返還して間もなかった事もあり、離れた場所で防弾ガラス越しでの鑑賞を強いられたので、正直大きな感動はなかったのが本音である。
数年の後、改めて「ゲルニカ」を観た時は、防弾ガラスが外され間近で鑑賞できた事に感情が揺れ、鳥肌が立った状態で目に焼き付くほど鑑賞したあの頃が懐かしく感じる。
こういった事柄と似た様な映画を見つけた。
2002年に上映された俳優イーサン・ホーク初監督作品である「チェルシーホテル」を紹介したい。
何故か、この作品は大々的に紹介されなかった。
で、その理由を考えてみた。
先ず、初監督作品故か、イーサン・ホークの思い入れが強かっただけに万人受けしなかったのだろう。
その背景を語ると、チェルシーホテルとは実在する宿泊所である。
多くの芸術家や著名人が集った場所でもある。
どうして好んで集ったかは定かではないが、言葉では簡単に片付かない理由があやふやながらも存在する。
例えば類は友を呼ぶといった言葉が示す通り、芸術を志す者同士が惹かれ合った形がこの場所なのだろうか。
若き日のイーサン・ホークが、この作品を通して主観的な事柄を述べたインタビューに着目すると、「ここには霊が存在する。例えば霊にも良いものと悪いものが混在する。そこがこの場所の魅力なのだろう」と語っている。
抽象的な言い回しだが、監督自身の思い入れを直接語ると、「僕はテキサス出身なので、都会への憧れは大きかった。もし都会に来たら尊敬する人々が集まったチェルシーホテルに泊まりたかった」と述べている。
実際、監督は都会に足を運んで間もない頃に数日間、チェルシーホテルに泊まったそうだ。
このホテルには芸術家のアンディ・ウォーホールや詩人のアレン・ギンズバーグ、同じく詩人のウイリアム・バローズやシンガーソングライターのパティ・スミスなど、数えたらキリがないほど著名人が集った。
そして当時パティ・スミスの恋人の写真家のロバート・メイプルソープやセックス・ピストルズのベーシストであるシド・ヴィシャスと恋人のナンシーも。
他には詩人で表現者のボブ・デュランや多大な影響を残し、今もなお伝説として名高い音楽家のジミー・ヘンドリックの名も挙がっている。
そして個人的な感想を述べると、初監督作品という事もあり多少荒削りな部分も確かに見受けられる。
その反面、細かな部分を丁寧に補っている。
具体的に述べると敢えてだろうか、粒子の細かいフィルムで物語を綴っている。
そして監督と仲の良い出演者によりこの作品に貢献している。
中でもロバート・ショーン・レナードとは映画『いまを生きる』で共演して以来、長きにわたり友情を暖めているそうだ。
実際、ロバート自身も作品の中でボヘミアンを演じきっている。
人気テレビドラマの「Dr.HOUSE」でクセのある主人公ハウスの同僚でありマブダチ役の温厚な性格のウイルソン役と言えば解りやすいかもだ。
そうそう、ボヘミアンという言葉は久しぶりに耳にする。
恐らく、この場所は自由や自身の確立に適した場所だったのだろう。
こういった経緯や思い入れと共に、イーサン・ホークが初めて映画を撮るのであれば、必ずこの場所だと固い決意を決めたのだろう。
この作品は決して万人受けする映画ではないが、表現者を志すものであれば何かしらのヒントがこの作品に埋もれているはずだと、勝手ながら思う。