親はなくても子は育つ
ハードボイルドという分野の醍醐味を簡素に答えるならば、自身で引いた線を自身で整える点だろう。
久しぶりに見応えのあるハードボイルド作品を鑑賞した。
タイトルは邦題「マザーレス・ブルックリン」
監督・脚本・制作・主演を務めたのはエドワード・ノートン。
先ず物語を説明する前に、この作品の秘話を語る方が楽しめるはずだ。
原作は1999年に発表された間もない2年後に、エドワード・ノートンは早い段階から映画化権を取得する。
数えるとご存知の様に、構想から作品に至るまでの過程に時間を費やしている。
それだけきめ細かく、入念に作品を仕上げていると理解できると思う。
そもそも、原作の時代設定は1990年台だ。
しかし映画では1950年台になっている。
では、何故時間軸にずれが生じるのだろうか?それには深い理由が存在する。
監督がこだわった点は、レイモンド・チャンドラーが生み出したフィリップ・マーロウの様な輝かしくない、どちかというと陰気で完璧とは程遠い主人公を描きたかったのだろう。
もっと具体的に言うと、主人公にクセがある事により、観客または読者に距離を置く事に重点を置いていると察する。
即ち、距離を置く事で容易に術を明かさない点に尽きる。
例えば、エドワード・ノートンが演じた主人公ライオネルは障害を抱えている。
その障害とは、トゥレット症候群(一般的にチックと呼ばれる症状)を抱えており、時には感情を抑えきれなくなり相手の言葉を繰り返したり、同じ様な言葉を連呼して相手を不愉快にさせたりする。
こういったデメリットだけではなく、メリットとして挙げられるのは、周囲の同僚と比べると記憶力がずば抜けて長けている点だ。
相手が述べる一部始終をメモを取らずに記憶できる長所を持っている。
障害は一般的には欠点として捉えがちだが、監督は反対に逆手を利用する形で長所(個性)として描いている。
もう一つ優れた点は、時代設定が1950年代という事もあり、ジャズが効果的な演出法で使われている。
現代で例えるならば、ジャズはロックやヒップホップに属する最先端の音楽だった。
ウイントン・マルサリスであろう設定の役者が、トランペットで当時の空気を醸し出し演奏するシーンは映画の見どころの一つだ。
それに加えレディオヘッドのトム・ヨークが協力したお陰で、ジャンルを超越した優れた楽曲が、作品の全体を引き締める効果として表現されている。
細かなディテールに拘ってこそ演出と言えよう。
時代設定に備わったセットもまた忠実に描かれている。
現代には欠かせないCGを効果的に使われる場面も多々あるが、技術面を覆すのが出演陣の腕の見せ所なのだろう。
ウイレム・デフォーはあらゆる作品に出演しても存在感を発揮する。
言葉(台詞)に頼らずに表情で観る側に伝えられる数少ない俳優でもある。
アレック・ボールドウィンもその一人。
大袈裟な演技に頼らず、内に出る表現で良い意味で観客を裏切る事のできる俳優だ。
改めて鑑賞すると、ハードボイルドを彩る音源はジャズに尽きると思う。
これらを考慮すると、この作品は原作を蔑ろにせず、かつオリジナリティ溢れる作品として仕上がっていると驚かされる。
孤児院で育った主人公は幼い時期に私立探偵を営むフランクの元で育つ。
主人公はライオネルという名前がありながらも、フランクはブルックリンと呼ぶ。
その背景に母のないブルックリン育ちから名付けられた。
作品の冒頭で、フランクはライオネルともう一人の孤児院から育った男と共に、駆け引きに打って出る。
本来であれば、用意周到で物事は動くはずだったのだが、フランクの思惑とはかけ離れた結果を招く。
そこから物語が始まる。
その後、ライオネルは独自の調査を重ねて行くと、街の美化運動(清掃化)と唱える政治団体と反対派の集会に着目する。
一見すると、意見の対立から出た食い違いにしか映らないのだが、そこにはもっと根深いものがあるとライオネルは知る。
根深い先には権力だと知ったライオネルは、フランクが残した手がかりを探ろうと試みる。
だが、ライオネルが睨んでいた以上に、思惑は根深く沈んでいた事に行き当たったライオネルが取った行動とは…
この先が気になる方はDVDで鑑賞して下さいませ♪
久しぶりに観た骨太なハードボイルド作品なので、最近の食指気味の味気ない映画に当たった方には超おすすめだ☆
では、バイなら〜♪