2023年7月1日Mirror: フレディについて、ブライアン(ちょっとロジャー)

https://www.mirror.co.uk/3am/celebrity-news/brian-pays-tribute-queen-bandmate-30368692

Queenのデビューアルバムから50年、ブライアン・メイは、もしフレディ・マーキュリーが今でも一緒にいるのなら、バンドはまだ世界をロックしていただろうと推測する。
そしてこのギターレジェンドは、華やかなフロントマンがステージで闊歩するのを見ているときに感じていたこと、今でも「あの蝶が恋しいんだ」と明かす。
「フレディは素晴らしい仲間、素晴らしい兄弟だった。彼がルールを破るところ、観客に向かって叫ぶこと、リスクを取るところが好きだった」
「もし彼が今もここにいるなら、僕たちはまだ音楽をやっていて、マザーシップは世界中を航海していただろう。彼は音楽のために生き、バンドのために生きていたから。バンドは彼の家族だった」

バンドメイトとなったブライアンとフレディ、ロジャー・テイラーとジョン・ディーコンは、バンド名を冠した初のLPを1973年7月13日に、イギリスのEMI、アメリカのエレクトラ・レコードからリリースした。Rolling Stone誌は、チャートでは32位にとどまったにもかかわらず、この作品を「素晴らしい」デビュー作として賞賛した。
そしてQueenがが全世界で3億枚以上のレコードを売り上げ、史上最も偉大なロック・グループのひとつとなるための歯車が動き出した。

50年が経過し ーー そしてフレディが1945年にAIDSのためわずか45歳でこの世を去ってから32年 ーー ブライアンは、彼の古い友の想い出は色褪せていないと言う。

「彼はすごくシャイだったけど、とても社交的でもあった。毎日、毎秒を最大限に生きていた」と、75歳のブライアンは語る。「彼はエキセントリックな天才で、だから永久不滅なんだ」
「彼は八方美人というのではなかった。ある人たちには不作法に思えたかもしれない。でも彼は、自分が望んだことをやり遂げ、何をしたいかということもわかっていた」
「僕たちが彼のセクシュアリティを認めないかもしれない、世間の誰もが認めないかもしれない、と彼が感じていた時期もあったのだと思う」
「彼が悩んでいることはわかっていた。でも彼は勇気を振り絞って、彼がなりたいものになった。彼は心を開き、彼が持つもの全てを捧げたんだ。彼は、何よりもミュージシャンである自信を誇らしく思っていた」
「ロックンロールの歴史を振り返ってみて、リトル・リチャードは自分がゲイであるって隠そうとしていたか? ノーだ。彼は情熱を叫んだ。フレディもそういう人々のジャンルに属している」

ドラマーで現在73歳のロジャーは、こう付け加える。
「フレディはまだ近くにいるし、僕たちが作るものの一部なんだ。もし彼がまだ一緒にいたら、まだ一緒に活動しているかわからないけど、そうあって欲しいと思ってる。それこそがフレディの存在意義の一部だから。つまり、僕たちは他に何をするっていうんだ?」

この残されたオリジナルメンバーは、アメリカン・アイドル出身のシンガーアダム・ランバート(41歳)が2021年からボーカルを担当し、パフォーマンスを続けている。
しかし、彼らが並外れた遺産を築いたのは、フレディが舵を担っていたときだ。

グラミー賞の殿堂、ロックの殿堂、UK音楽の殿堂入りを果たしたQueenはまた、Brit Awardの音楽への顕著な貢献賞を2度受賞している。1990年の授賞式で1つ目の賞を受賞し、2つ目の賞は1992年に死後のフレディに贈られた。

元EastEndersのスター、アニタ・ドブソンと結婚したブライアンは、バンドの成功にもかかわらず、Queenの驚異的なキャリアを共にしてきた音楽のレジェンドたちのことを考えると、"詐欺師症候群”に悩まされることを認めている。
「僕たちの後に続いて出てきた若者たちのことを考える。ジョージ・マイケルは僕にとって弟のような存在だった。そして、彼が逝ってしまったことを考える。それからDavid Bowieのような人のことを。怖いんだよ。」

「時々考えるんだ。”なぜ僕はまだここにいるんだ?” それから ”僕は何をするためにいるんだ?”と。でもこれが僕のやることなんだと。僕の核はまだここにある」
「自分の中には、まだ昔と同じものがいる。自分がやることをやる、それが自分がやることだから。お金はいらない。名声もいらない。すでにたくさん持っているから」
「ただ自分の作品を聴いてもらうこと、人々の心に届くことだけを願っている」

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