ロジャー・テイラー BBC Radio 2インタビュー(2024年9月) 1/4
Queen IからThe Night Comes Downがリミックスされて先行リリースされたのを受けて、ロジャーがBBC Radio 2のJo Whileyさんの番組に登場しました。長い…!けど、少しずつ。たぶん全部で4パートになると思います。その、第1弾。
Jo:QueenのThe Night Comes Down, ロジャー・テイラーの目の前でかけています。このスタジオのスピーカーで聴いて、いかがですか?
Roger:ああ、昔に戻ったようだよ。いい音だと思った。この時の僕たちの演奏は良かったと思う。
J:これは皆さんの最初期のシングルですよね。レコード契約をまだしていない頃の。
R:実を言うと、これはシングルにはならなかったんだ。3番目のシングルにというアイディアはあったと思う。でも3番目は作らなかった。だからある意味、生まれ変わりなんだ。
J:これはQUEEN I に収録されています。これを読んですべてを正しく理解しますね。
「QUEEN I は Queenのセルフ・タイトル、1973年のデビュー・アルバムの
リミックス、リマスター、エキスパンデッド・ヴァージョンである」
R:その通りだよ。
J:いま目の前にありますが、とても素晴らしい。このボックスセットはとても美しいですね。この話をしてください、あなたとブライアン・メイとの労作だと思います。
R:その通り。僕たちが初めてこれをレコーディングしたのは、ずっと昔にさかのぼる。僕たちはトライデントスタジオにいた。当時の最新のスタジオだ。
ボウイが Hunky DoryとZiggy Stardustをちょうど録り終えたところで、すべて1回のセッションで完成して、2つの素晴らしいアルバムが作られた。だから僕たちは、僕らのマネージメントがそのスタジオを所有しているのをとても喜んでた。僕たちはすべてダウンタイムを使っていた。でも残念なことに、彼らは非常にドライな音でレコーディングする。僕たちはそういう音を本当に望んでいなかったし、結果的に得た音も決して好きになれなかった。
だから今回僕たちがやろうとしたのは、このアルバムを「QUEEN I 」と名称を替えて、これが最初のものだとはっきりさせることだ。当時は「QUEEN」 と呼ばれていたけどね。ただ、本当に僕たちが望んでいた音に近づけたんだ
J:レコーディングは夜間に行われたわけですが、昼間にやる余裕がなかったのですか?
R:いや そうするしかなかったんだ。ルー・リードが荷物を片付けて、僕たちが行くんだ。彼が寝るタイミングでね。そして、掃除の人が来るタイミングで帰る。
J:皆さんが帰る時は きれいなまま? それとも散らかして?
R:いやいや(笑)
J:当時の皆さんはどんな感じでしたか? 当時のQueenについて教えてください。
R:僕たちはすごく堅く結びついたギャングのようだった。僕にとってバンドに加わっているということは、いつでも仲間と一緒にいるということ。本当にそう感じる。お互いに依存しあって生活して、一緒に人生を分かちあっているようだった。
そして僕たちは同じヴィジョンを持っていた。特に僕たち3人 フレディ、ブライアンと僕だ。ジョンが加入したのはもっと後のことだから。
不思議なことに僕たちは解散しなかった。他の人たちがするようには。僕たちはただ進み続けた。信念を持って。
実際、すべてのことが二の次になったりする。歳をとって、子供ができたりなにかして、そっちが重要になる。でも、バンドは常にとても重要だし、中心だ。僕たちはよく、バンドをマザーシップと呼んでいた。
J:バンドはマザーシップだと。あなた方が持っていたビジョンとは?
R:とてもシンプルだ。フレディなら、僕たちはトップになりたい、トップ中のトップになりたいと言っただろう。僕たちはとても野心的だった。僕たちは音楽的に強みがあったと思う。いろいろなことをやりたかった、だから多岐にわたって、いろいろなアルバムにいろいろなスタイルがあったんだと思う。
J:決して解散しなかったと言いますが、その理由は何でしょうか? 大半のバンドがいつかは解散するのに、どうして解散しなかったんですか?
R:解散して、新しいメンバーが入ってきたりとかね。僕にはいつも、そんなことは馬鹿げているとしか思えなかった。
もしビジョンがあるなら、仲間への忠誠心みたいなものを見出して、一緒にやっていこうという気持ちになる。一体感があるんだ。それを台無しにしたり壊されたりするのは、馬鹿げているとしか思えない。
多くのバンドが1曲2曲とヒットを飛ばし、そしてエゴが暴走する。そして、どんな理由か知らないけど、自分が他のメンバーよりも重要だと感じて、誰かが脱退する羽目になる。
J:そういうことは起こらなかったと。
R:解散したらスパイラル状に落ちていくんだ。世に知られないでね。
J:バンドの中で自分が他のメンバーより優れている、などと思っている人はいなかった。それが結論ですね。
R:僕はそうは言っていないよ?
J:みなさん全員が、自分が優れていたと?
R:いやあ、僕たち皆が。いや、そうじゃないよ。わからないな。
J:もしかしたら、お互いのエゴや自己中心的な考え方をうまく利用し合っていたのかもしれないですね。
R:外からはそう見えているだろうと思ってたよ。特にフレディは一番エゴが大きいに違いないとかね。実はそんなことはないけど。
J:でも彼はフロントマンでしょう?
R:確かに彼はフロントマンだ。それが彼の仕事で、本当にそれを上手くこなしていた。
J:とてもうまくやっていた。それでも、問題にぶつかった時、どうやって乗り越えたんでしょう? 互いに距離を置いたり、お互いの神経を逆撫でするようなことがあって、時には話さないこともあったでしょう。
R:そう、お互いに怒りを爆発させて、しばらく話さないこともあった。でも少し大人になって、乗り越えて、解決していったんだ。
J:バンドに仲裁役のような人はいましたか? その場を収めるような人は?
R:誰よりも、それはフレディだよ。
J:本当に?
R:彼は仲裁役だ、間違いなくね。
J:スタジオ以外での交流も多かったのでは?
R:ああ、とてもね。特に初期は、僕とフレディはケンジントンマーケットで店をやっていた。同じフラットに住んだりね。僕たちは生活をシェアしあっていた、ガールフレンドたちもシェアしたり、まあそんな感じ。
J:ケンジントンマーケットの店について話してください。
R:小さな店で、そこを借りるのに僕は自分の奨学金を注ぎ込んだ。よく、アートカレッジからの芸術作品を売っていたよ。フレディがそこにいたからね。それからボロ布の商売。ボロ布と言っても、エドワード時代のシルクスカーフとか、そしてヴェルヴェット製のものを売り始めたり。でも僕たち、商売は上手くなかったな。
J:でも、あなたはロンドンにいて、同じような志を持ったクリエイティブな人たちに囲まれていたわけですね。芸術とかそういった方面の。
R:そうだね、半分はボヘミアンで半分は…つまりマーケットで服を売っている人たちは、金が必要で小銭を稼ごうとしていたわけだ。
でも僕らがいたケンジントンやチェルシーのシーンはとてもよかったよ。僕たちはとんでもなく派手な格好をしていたけど、それが許されるような。良い場所だった。出会いの場でもあり、ハブでもあった。
J:自分たちの仲間と出会う場所だったんですね。でもスタジオでも、同じように音楽を作っている他の人たちと出会うこともあったのではないでしょうか?
R:色々な人とね。でもスタジオにいるときはかなり孤独を感じることもあった。自分たちだけだったりするから。でも、たくさんの人たちとも会った。Sex Pistolsとも一緒に時間を過ごしたことがある。もう本当に面白かった。まさに刺激的な時期だったよ。
J:もっと詳しく教えてください。
R:本当にすごかったよ。たぶん彼らは、僕たちのことを甘やかされた恐竜か何かだと思っていたんじゃないかな。実際、彼らはかなり良かった。ブリオやシドはそうでもなかったけど、ジョニーは本当に面白い人だった。全然違うタイプで。彼らを見るのは、僕たちにとっても新鮮だった。
J:いつ、どこで彼らに会ったんですか?
R:もっと後の話、僕たちが成功した後のことだ。たぶん1976年か77年のことだったと思う。クリス・トーマスという偉大なプロデューサーがスタジオに入ってきたのを覚えている。スタジオは2つあったから。彼はSex Pistolsのアルバム『Never Mind the Bollocks』を素晴らしいレコードに仕上げた。彼がいなかったら、あれほど良いレコードにはならなかっただろう。あのレコードは本当にセンセーショナルだった。
J:ジョン・ライドンは本当に面白い人ですよね。とても率直で、会話していて興味深い人です。
R:そうだね。彼は本当に面白くて。
J:それでは、曲をかけて、その後またお話を伺いましょう。ダンスしたくなるような、お気に入りの曲をお願いしましたが、アンダーワールドの曲を選びましたね。この曲について教えてください。
R:この曲が大好きなんだ。今の音楽についてはあまり詳しくないんだけど、この曲はかなり前のものだね。純粋な解放感があって、サウンドも素晴らしい。繰り返されるフレーズやドラムが特に好きで、この曲自体が好きなんだ。
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