ロジャー・テイラー BBC Radio 2インタビュー(2024年9月12日) 2/4
パート2と3は少し短め。Queen Iのサウンドについて、ジミ・ヘンドリックス押し活の皆さん、初ライブのこと…
Jo: ロジャー・テイラーにお話を伺っています。
アルバム「Queen I」は、あなたとブライアン・メイとの共同作業で生まれた本当に愛情のこもった作品ですね。このアルバム制作にはどれくらいの時間がかかったのでしょうか? また、このようなテクノロジーを自由に使えるというのは、あなたにとって素晴らしいことだったのではないでしょうか?
Roger: 本当に。特にドラムについては、アルバム全体で僕たちが求めていた音にはなっていなかったんだ。アメリカ風のデッドなドラムブースが使われていて、ドラムの音がとてもドライで、生命力がないように感じていた。僕たちはもっと大きくてライブ感のあるドラムの音が欲しかった。音がただドスッと響くだけじゃなくて、ドラムそのものの音をしっかりと聴かせたかったんだ。それがアルバム制作で特に力を入れた点の一つだよ。
J:どこで作業したんですか?
R:ほとんどは僕のスタジオでやったよ。素晴らしいエンジニアが3人いて、正直なところ、彼らがハードな作業を全部引き受けてくれた。
J:あなたは座って、「もっと良くしてくれ」と言うだけだったんですか?
R:ブライアンと僕は折に触れて顔を出しては、「あそこをもう少し上げて、ここはもう少し下げて」と指示する感じだったね。
J:でも、あなたにとって、そこに座って「これこそ自分が求めていた音だ!」というのはとても満足感があっただろうと想像がつきます。
R:当時のようなサウンドではなくて、もっとこういうものが欲しかったんだ。当時は、ただレコードを出したかった。スタート地点だからね。どこかからは始めるんだ、だから何か出そうよって。
J:その頃、影響を受けたアーティストやバンドはありますか?
R:いやあ、それはもうたくさん。よくYesを見に行っていたよ。Jimi Hendrixは3回行ったけど、フレディは14回も見に行ってたよね。
J:フレディのパフォーマンス、誰の影響を受けていたのだろうと思っていました。
R:僕たちはヘンドリックス狂だったからね。そレからフレディと一緒に、Led Zeppelinを見に行ったことも覚えている。本当に素晴らしくて、僕たちは大好きだった。マーキークラブにもよく行って、Rory Gallagherなんかを見たり。「Yes」も毎週のように出演していて、彼らも素晴らしい、すごいバンドだった。年月を経てラインナップは変わったけど、当時は楽しんでいたよ。本当にたくさんのバンドがいた。
J:音楽を作るには素晴らしい時代だったんですね。
R:そうだね、本当にたくさんの素晴らしいバンドがいた、今よりもずっと多かったと思う。当時は「どれだけ上手に楽器を弾けるか」という技術が重視されていたと思う。今はそれほどでもないね。
J:当時は技術がとても重要だった?
R:そう。もし今ジェフ・ベックが出てきたとしても、どこに居場所があるだろう。「魔法使い」の居場所は?
J:Queenとしての最初のライブを覚えていますか?
R:まさに最初のライブ、しっかり覚えているよ。Queenとしてなら、最初のライブはトゥルーロ・シティホールだったと思う。
J:コーンウォール出身、そこで育ったんですよね。
R:そうだね、コーンウォールで育った。でも、地方に住んでいるとどうしても都会に出たくなってしまうものだと思う。ブライアンに出会って、そこから全てが始まった。
J:トゥルーロでのライブのことを覚えていますか?
R:もちろん、あの時のフレッドを覚えている。でもそれは、完成したフレッドではなかった。「なんて変な音なんだ」と思ったのを覚えている。音は、なんて言ったらいいんだ、吠えるような感じで。彼にはパワーと度胸があったけど、当時はまだ美しい声ではなかった。つまりフレディは彼自身を創り上げたんだ。あの素晴らしい声になるまで、自分を駆り立て続けた。当時まだ隠されていたのが、彼の素晴らしい音楽性、音楽家としての天賦の才、もちろん作曲家としてもね。
J:あなた自身も曲を作りますね。
R:そう、バンド全員が作曲をしていた。でも初期は、ブライアンとフレディがメインで書いていた。ジョンと僕が表舞台に立つようになったのは80年代に入ってからで、それまで、70年代はブライアンとフレディが主に書いていたんだ。僕たちも各アルバムに1〜2曲ずつ書いていたけどね。
J:フレディが書いた曲で、初めて聴いた時に衝撃を受けたものはありますか?
R:初めて「Mama, just killed a man」というフレーズを聴いたのを覚えてるよ。ウェールズのスタジオでフレディが聴かせてくれたんだけど、「いいね、いいね」って言ったのを覚えてる。それから、「Somebody to Love」は本当に素晴らしい曲だと思う。他にもいろいろあるけど…でも、例えば「Bring Back That Leroy Brown」みたいにとんでもない曲もあった。すごく巧みに作られていて、そこに込められた知性と労力は本当に驚異的だった。
J:Queenの最初のライブ、チケットはいくらだったか覚えていますか?
R:そんなにしないはずだ。いや、たぶん2ボブとか。
J:30ペンスです。
R:30ペンスか。今だと…
J:昔のお金です。今の単位だとどうなるかわからないですが。
R:本当にね。
J:「Radio Ga Ga」はあなたが書いた曲ですよね。どうやって生まれたんですか?
R:あの曲は比較的簡単に書けた。ロサンゼルスにいて、僕の小さな息子がね。僕がシーケンサーをいじってると、彼がやってきて「Radio Ga Ga…Kaka」って言った。彼はフランスの血も入っているから…。
J:OK、どういうことかわかりましたよ。
R:だから実はレコードで僕らは、「GaGa」と言ってるけどそっちも言っていて、でも誰も気づかないんだ。
J:それはルーファスですか?
R:いや、フェリックスだ。一番上の子だよ。
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