見出し画像

あさま山荘事件の全容

 EaRuです(n*´ω`*n) noteの改行が上手くいかないので改行時に一マス空けはしていません💦

 あの事件からもう50年が経過したとのニュースを耳にしました。総世帯視聴率89%を記録したこの事件を今回は取り上げていきたいと思います。   まずこの事件を起こした犯人について。この事件は連合赤軍という革命グループのメンバーが起こしたものでした。連合赤軍とは、赤軍派と革命左派が合併して作られた過激派組織のことです。連合赤軍は革命のためなら武力行使も正当化されるという考え方をしていました。そんな連合赤軍ですが、当時は29人ほどのメンバーがこの組織にいたのですが、逮捕、組織からの脱走などが原因で僅か5人に減ったのです。この五人が後々事件を引き起こすことになります。                                                    続いてなぜその五人があさま山荘に立てこもり、籠城をするに至ったのか、経緯を追っていきます。実は、あさま山荘事件が起きるすぐ前から、警察は連合赤軍を徹底マークし、包囲網を敷いていました。連合赤軍側も抵抗はするのですが、結果的に大きく人員を減らすことになってしまいました。そうして残された5人はなんとか長野県軽井沢町にある別荘の近くにたどり着きました。そこが悲しいことに事件の現場となってしまったのです。(人員を減らしてしまった理由などはさすがに書けません)そうして連合赤軍のメンバーはこの山荘の管理人の妻を人質に取り、籠城を開始するのです。ちなみにこの時から犯人確保に至るまで、人質には一切危害は加えられませんでした。                                  続いて籠城開始後についてです。連合赤軍を追っていた警察のすぐに現場に駆け付けてきました。警察は犯人達の母親を現場に呼ぶなどして説得を試みたのですが、結果的に失敗に終わりました。そして警察が行き着いた人質救出作戦が、かの有名な鉄球作戦でした。この鉄球作戦は無事成功し、人質救出、犯人確保ともに達成することが出来ました。これでようやく10日間にわたる籠城は幕を閉じることになりました。しかし機動隊員2名、民間人1名が死亡してしまう悲惨な結末となってしまいました。           以上が事件の始まりから収束までの経緯となります。ちなみにこの事件の生中継中に機動隊員が日清のカップヌードルをすする様子がテレビ上で生中継され、カップヌードルは一躍大ヒット商品になったという話はあまりにも有名です。                                 ちなみにこの時、警察官、機動隊は犯人を何とか生け捕りにしようと試行錯誤を繰り返していました。なぜ生け捕りにこだわったのか。それは、この当時の時代背景が大きく関係していたのです。実はこの当時は、学生運動がさかんに行われていた時代でした。有名な事件でいえば、安田講堂たてこもりなどです。そしてその学生運動で殉職した人間を過激派などが英雄視する動きがちらほら見られていました。だから警察も犯人を生け捕りにして、これ以上英雄視される過激派の人間を生み出したくなかった、というのが本音だったようです。                                どうでしたでしょうか??なるべくこの事件を過激な表現をあまり交えないでまとめてみました。今回の事件を深堀りしていくと、当時の様々な社会的背景が見られます。今回も最後まで読んで下さりありがとうございました💦

いいなと思ったら応援しよう!