それまで、“知っていた”ことが、ある日ある時、体感として生きてくる瞬間
知ってはいた。
・ないから欲しいと思うことが、ない現状をつくる
(欲しいと思う時点でもうない)
・”ある”ベースでいることの大切さ
こういうことなのかな、と自分の頭のなかで考えて、、
でも、そう考えている自分にはその境地がないわけで。
あるってどういうこと?
欲しいと思うことがデフォルトだから、あるって“思おうと”する…
けれど、それが体感できたような気がした体験をしました。
巷で流行っている?!(*´▽`*)
そよ風ヒーリングに申し込んでみました☆
↓こちらの中にセッションがあります♪
YouTubeなどをみて、面白そうだな!
と思ったのがきっかけ。
たまに笑いあり、ぽかーんとふらふら散歩しているような感覚になり、なるほどね!と腑に落ちる瞬間があり、
自分の心の動きが面白く、それが楽しい、次はどうなるかな、と聞きたくなるような話の数々。
youtubeはこちら☆
知ってはいたことが、体感できる瞬間は、体感しようと思ってはできないことなのかなと思うし、
一見無駄に思えることをすることで、分かることもある(YouTubeでそよ風君もいっていた)
セッションを受けるときに、一つ決めたことがあって、
「脈絡がなくても、思ったことを話す」
みていくって、中学生~大学生の頃はわりとしてて(浅めだったけれど)
そういうのって大切だとは、やっばり知っていて
でも、忙しく過ごしているうちに、
その時間をとることが億劫になって、現状維持を選んでいた。
芋ほりも、芋を掘らないとその芋を
みることも知ることも味わうこともできないんだけど、
準備や、そのあと(軍手を洗わなきゃ、とか土を洗わなきゃ、とか
爪に土がはいったとか(笑))を考えると、
やっぱスーパーで売ってるものや、食べやすく加工されたものを買えばいいかとか、
芋ほりにかける時間と労力はいらないって思っちゃう。
「芋づる式」という言葉があるように、芋をほると、いろんな芋を発見することができる。
そして、芋ほりは一人で黙々とやってもいいし、
誰かと一緒にやってもいいね!
加工されたものって、いわば最終形態なんだけど、
栄養とか関係なしに、ただ「食べる」という行為を手軽に満たせるものだと思うけど、心身の栄養という視点ではどうなんだろう?
まぁ、何を求めるかによるよね。
採れたての芋の状態は、如何様にも変化するポテンシャルを秘めてるよね!
だけど売っている焼き芋ってありがたいよね!!
芋の話になっちゃった??
いや、そよ風君のセッションは楽しかったよって言うことを伝えようとして書き出したのでした!!
そして、ちょいちょい、みていくって、またやっていってみようと思ったということです(*´▽`*)
そういう視点だと、ただただ痛いと思っていたことも、自分を発見するきっかけ、とも捉えることができて、
同調しなくて済む、そうです(youtubeでも触れてたね)☆
何か、おこることは怖がる必要はないって、、
もちろん悲しいとか苛立ちとかは感じることもあるけれど、
それすらも、究極安心していいことだって、思えるね!
…これ、そうはいうけど、同調しちゃうって思ってた。
怖いし、傷つきたくないよって、自己防衛の気持ちでコーティングされていた。
けど、同じ言葉なのに、セッションできいたら、
ようやくそういうことなのかな、と捉えられたというか。
そう。思っているよりも、言葉と体感が重なるということができていないのでした~☆
miho