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自分を見つめる⑩
夏の子どもたちとの自転車旅、室戸で僕らを迎えてくれて夕食を振る舞ってくれたタケちゃんのところに、お礼参りとして会いに行った。そこで彼にコーヒーを点てながら話したなかに、お遍路のことがあった。彼は自分が遍路をしたことをきっかけにして四国移住を決めて、そして今は遍路をお接待できるように民泊をはじめたのだ。
タケちゃんの言う、遍路をはじめたとたんに世界が変わったということ。
そこには彼自身のスイッチもあっただろうし、遍路をする人たちに対してこの土地の人々がお接待をしてきたその世界に、彼が遍路として入っていくことで発動した何かもあるのだろう。
だろう。
だろう。
だろう。
文化だろう。
お遍路はそういうものなのだろう。
それは古来から続いてきたことなのだろう。
それはひとの本質として続く普遍的な価値なのだろう。
だろう。
いつまで経っても、だろう、だ。
そこにはそれを体験してきたひとにしか見えない何かがあるはず。
そのことと、売茶翁のことがこのときに僕のなかでグルンとうずを巻くようにして交ざりあった気がする。
お遍路さんに、そしてお遍路さんをお接待してきたこの土地の人たちに出会い対話することができれば、少しだけでもこの1000年以上の時間を経ても何ごともないように当たり前にそこにある遍路の秘密が分かるのではないか。
そう強く思って、そのときにはタケちゃんに次は遍路として帰ってくると思うわ。うん、とりあえずやるつもりですすめてみる。と話していたと思う。
コロナをきっかけにして、人は当たり前だと思ってきたことがいかにもろかったということを知った。それは社会というよく分からない、けれどシステムとしてそこにある一見安定しているように見えるものに安定を求めるということの不確実さを知る機会にもなったと思う。
これを機会にして、やっぱり自分たちで持てるつながり、支え合いをこの社会のなかで作っていこう、と動く人たちもいる。
その一方で、どうやってこのバランスボールの上みたいにグラつく世界のなかで、自分が、安心していられる場所を見つけようと動く人たちもいる。
どっちもいる。
これまではそれは被災地で起こることだったと思う。僕が見てきたことはそれだった。大きなインパクト、そして損失とともに、自分たちが持てるもの、簡単に失われていくもの、その両方を知る。そんなことが。
僕が被災地で長く活動しながら見てきたものは、紛れもなくひとが生きる姿だった。それは生かされるということではなく、自ら生きる姿。けれどそれは当事者として被災地を訪れ、またその方々と関わるなかで少し垣間見れることもあるけれど、多くの場合は遍路をしたことがない僕が、遍路を語るように、◯◯だろうということでしかなかった。
けれども今回のコロナで全世界が同じことを体験した。
輸出入と生活の土台をくっつけて成り立っているグローバル社会のもろさを体験した。
貨幣経済を前提としてまわっている社会がストップしてしまったときに起こることを体験した。
有事のときに、政府がどう立ちまわるのかというところで今の僕らの政府の本音を見た。
会いたい人に会えない悲しさを知った。
自由に外に出歩けない不自由さを知った。
びっくりしているあいだに去ってしまう命のあっけなさを知った。
これだけのことを世界が同時に体験することというのは、ほんとに歴史でもまれなことだと思うのだ。戦争でも震災でもこんなことはあり得なかった。世界のほとんどが同じ体験を共有するということは。
ここで失われたものもある。けれどそこで見出せることもある。
これとともに世界や社会は大きくまた動いていくだろうと思う。けれどそこには時代の先を読んでいくことだけが必要なことではなくて、時代に左右されない、果たしてこのコロナがあったのとしても、これからも続いていくにいても、ずっとずっと残っていく普遍的な何かを見出すことができれば、それはお守りのように胸のところでずっと、ピカピカ光っていることはなくても、けれども確かに照らしてくれて、あたためてくれて、そのひとをソッと支えてくれる何かにはなるんじゃないかと思ってる。
僕は大それたことを言うのかもしれない。
けれど僕は今回の遍路でそんなものを見つけたいのだ。
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