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「あなたは赤信号で、わたるときがありますか?」

僕は社会に興味を持ってる。けれどもその端っこで生きているとも思っている。
大きな歯車をまわすつもりは全くない。けれども、なにかをまわしたいとは思っている。

最近は坂口恭平さんにはまっている。最初はなんだったろうか。彼のことを知ったのはつい最近。確か彼が描きはじめたパステル画を誰かがTwitterでリツイートしていて、それがiPhoneの小さな画面なのになんだか心がひきつけられる絵で、そしてそれからTwitterをフォローしたんだと思う。

最初はそういえばこういうアーティストいはったよなぁと思っていたら、本人のツイートで「僕は河口恭吾とよく間違えられます」と書いてはって、なんとなくツイートを見ながら、あのシンガーソングライターの濃ゆい顔を思い浮かべてしまっていたので、こりゃ失礼と「坂口恭平」とググって画像を見てみたら、坂口恭平さんもだいぶ濃い顔をしていた笑

なんだか少年がそのままオトナになってしまったようだ。

彼はとにかく気前がいい。

絵が素晴らしくて、曲も素晴らしくて、彼の著書はほんとに心が許されるように感じて、Twitterはめちゃんこおもしろい。

真正面からぶつかっていくと凹んでしまうタイプやと思う。彼のひととなりを知らずに、その表現だけに触れたとしたら。

けれど彼はとにかく気前がいい。

そのことに関しては、もう完全にそう思う。それは彼が持って生まれたものだと言ってしまえば、きっと彼の表現の圧倒的なチカラのように自分が打ちのめさせるだけだろう。

けれど彼はそうじゃないと僕は思ってる。信じきってる。だからこそああなれるんだと思う。僕もノーガード戦法という言葉を使ってみることもあるけれど、彼はもうガードすら存在しない、打ちたきゃ打てばいいみたいな信じ方をしていて、そしてそこに彼はいないのだ。

「自分を信じる。」

という言葉には、信じたい、という思いが現れていることがあると思う。自分がそうだった。いまもそういうところがあると思う。けれど彼はそんなレベルじゃない。

「だってそうなんだから。」
というレベルだ。

それは自分を持ち上げるということでは全くなくて、もう自然の摂理としてそうだからそうしますぐらいの静けさがあったりする。自分を信じてえいや!とういことも、あんたもこうしろ!ということもなく、だってそうなんだから僕はそうするよという感じ。

彼のTwitterから僕が覚えているエピソードを。

彼はあるとき畑仕事のあとで、仕事の打ち合わせのために街に出た。車をコインパーキングに入れて、打ち合わせを終えて、そして車を出そうとしたら財布を忘れてきてしまったことを思い出した。

そこで彼がした行動は。

道ゆく人にお金をもらう。ことだった。

「あのー財布忘れてしまったんですけど、お金をくださいませんか?」

ある女性が、彼にお金を渡したそうだ。

そしたら彼はお礼として自分のパステル画を彼女に渡した。

「ありがとう!この絵は15万円だよ!それでもし売りたくなったら僕が15万円で買い取るから連絡してね!」

と言ったそうだ。このときのエピソードに彼はこんな言葉を残していた、
お金がないから困ってしまって、けれど彼女が助けてくれたから駐車場から無事に車を出すことができた。これでよし。

なんてこった。だよね。普通だったら。

彼は数百円と15万円を交換した。それもなんの躊躇いもなく。

もっと言えば、彼はその絵が必要なくなったら15万円払うから売ってね、とまで言ってる。

ここまで読んで「そんなの有名で、お金にも余裕があるからできるんでしょ」ともし1cmでも思ってしまったあなた。それは僕が保証する。きっとそうじゃない。少なくとも彼はそうではない。もしそうじゃなかったら僕が謝る。

彼は東京で建築を学んでいたときに、どうしても既存の建築に興味が持てず、というかわざわざ大地や資源を消費しているようで自分が目指すものとは思えずに、モンモンとしていたそうなのだが、彼が心を奪われたのは橋のしたに建っていたオフグリッドのホームレスさんのお家だったそうだ。

彼らはお金がないから、都市のあちこちにあるものをブリコラージュ(つぎはぎ)して家をつくる。それは家と呼ぶには狭いんだけれど、大変じゃないですか?と彼が聞いたらホームレスさんは「ほとんど寝るだけだからこれでいいんだよ」と答えたそうだ。

生活に必要なものごとは、町にすでにあって、だから自分の家はこれぐらいでいいのだと。都市で生活するのに、困ったことはないそうだ。食べるもの、集められるもの、そういうものをすでに彼らは知っていて、だから困ることがない。

けれどもどうしてもお金が欲しいときがあるそうだ。

それはどんなときかというと。

コーラが飲みたいときだと言う。

食べものはいくらでも町で手に入るんだけれど、コーラだけはどこにも落ちてなくて買うしかないそうだ。だからそのためにお金がいる。

つまりこのホームレスさんにとってはお金=コーラ交換券であって、お金はコーラが飲みたいときにだけ必要。あとはなくてもいいもの。


そうして坂口さんは、自分が社会や町に対して持っている価値観が「拡張」したと書かれていた。レイヤーという言葉も使われていた。

そのレイヤーが多ければおおいほど、町というものの見方が変わっていく。生き方の組み立てかたが変わっていく。そう思って、ずっとホームレスとそのお家の研究を大学でされていたそうだ。

つまり彼は生まれ持った感覚として、解脱しているのではなくて。自分が関心を持ち、関わり、そして経験することによって、お金の違ったレイヤー(捉え方)を自分のなかに持ったのだと思う。

これは僕がメキシコとコスタリカで2度強盗にあって無一文になってしまったことと経験として重なる。お金って確かなようで、実は確かなものじゃないのかもしれないというところで。

だから僕はコーヒーを振る舞うようになったし、それをすることによって、間違いなく僕の人、社会、お金に対する捉え方というのも変化していった。


社会には決められたものさしがあり、ルールがある。
けれどもそれはそのルールからはみ出したら人間失格というものではなくて、自分が解釈して変化させられるぐらいの余白がある部分というものがあるのだ。

逆に自分の暮らし、生き方をそのルールをもとに考えていったらすべて変わってくる。

僕は好きになった女の子に聞くことがある。

「あなたは赤信号でも渡るときがありますか?」

と。あなたはどうですか?

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