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遍路をすることで。このひとたちが見ている世界を、僕はすこしだけでも見てみたい。
徳島にやってきた。
やってきてよかったなぁと思う。
情けないことに、いま元気だ。とても。
自分がこれまで慣れ親しんできたルーティンに入ったのだと思う。
旅をする自分の。だからスイッチが入ったのだ。
こんな物理的に住む場所をはなれて元気になる自分よりも、
地元にいても、自分の家にいても、よしやるぞ!という気合いとともに
スイッチをいれることができる自分だったらいいのだけれど、どうやらまだ
僕はそのことはだいぶ離れたところに立っていそうだ。
弱い自分。意思の弱さ。そんなものは克服するものなのだろうか、それとも付き合っていくものなのだろうか。それは学校では教わっていないなぁ。自分が関わるひとでも両方あるなぁ、それでいいというひとと、自分の弱さと向き合い続けるひと。
さて、徳島でお世話になっている方々に会いにいく。挨拶する。
いつもながらに思いつきで出てきたので、タイミングが合うかたもいたら、合わないかたもいる。
会いたいひとにみんな会えたらそれはいいことなんだけれど、会えなくてもそれが「次また会いに行こう」になればいいんだと思う。
石くんに会えた。あやじさんに会えた。ふみさんは会えたけれど、おなじ商店街のお店に不幸があってお葬式がこれからあるとほんとにご挨拶だけ。さこうさんは息子さんのラグビーの大会で県外に。
ラーメン一福のみなさんは変わらず元気で今日もラーメン大盛りにギョウザとごはんをつけてくださった。一福のお母さんには「もう西川くんが来るときはお代はええけんな。だからいろんな人連れてきて。そしたらそのときはちゃんとお代いただくからね。」とめちゃんこ笑顔で声をかけてもらう。
徳島に仲間が行くときとか、徳島で新たに知り合ったひととかとラーメンの話になると必ず行って欲しいとお願いをする。僕の名前を出すことも一緒に。
「こないだ西川くんのお友だちが来てくれたんよ!けどその子なお代を払うときにそのことを言うてくれてな、だから西川くん今度からは注文してくれるときに西川くんから聞いたと言っておいてな!」
と一福のお母さんに言われてしまってからは、ここに行く人たちにも「必ずラーメン注文するときに僕の名前を出してね」と約束してもらう。
お母さん、めちゃんこサービスするつもりやん!笑
こんな感じで、僕のなかにはいつも「いただいた貯金」があって、それはある意味では借金と言えるのかもしれないのだけれど、その人に還元できるときにしたり、別の誰かに還元したりしながらなんとか借金がふくらまないようにと思ってる。
徳島でいちばん好きなラーメン屋さん「銀座一福」
ワンタン麺がめちゃんこオススメです。まろやかな徳島ラーメンにツルツルのワンタンが入っていて、とっても幸せな気持ちになります。
ginzaippuku.com
そのあとで、はじめての場所に行ってみた。
僕がこのあいだ4ページ担当させてもらった【めぐる、】という雑誌の珈琲特集で表紙になっていた喫茶店「びざん」
なんとなくその写真の空気感の余韻みたいなものがずっと自分のなかにあって、それを確かめてみたくなったのだ。
ちょうどお店の前に立ったときに、マスターがお店から出るお客さんのためにドアを開けてあげていたところだった。
白髪で静かな印象の、それでいてエプロンがしっかりと結ばれていて、背筋の伸びたおじいさん。目がクリッとしているところは、彼が30代ぐらいのときの印象をそのまま僕に感じさせた。生きているかただなぁと感じた。
コーヒーを注文して、「めぐる、」で見てから来てみたいと思っていたこと、僕も書きもので参加させてもらったことを伝えた。そしたら毎日ここに通われているというおばさまが早速雑誌をマガジンコーナーから持ってこられて、
「ほんまやお兄ちゃん出てはるわ。うちにうもこの本こうてあるからな、帰ったらゆっくり読んでみるわな」とすこーし嬉しそう。
遍路の旅のこともお話した。珈琲を点てながら歩きたいと。
そしたらサラッとおばさまは3回。マスターは2回。
それぞれ遍路をまわられたとお話をされた。誇るようでもなく、謙遜する感じでもなく、なにかの儀式に参加したことがあるという少しだけあらたまったような面持ちで。そこに自分が重ねられる世界を僕はまだ持っていない。
おばさまは気づけばサッと店を出て、自分の自転車からアルフォートを持ってこられて僕に差し出された。「これ、お接待だから」と。
「えー!僕まだはじめてませんから!」とかえすと「けれどすぐ歩くんでしょ。だったらはじめているのも同じだからね。」と話された。
マスターはサッと遍路の地図を出されてきて、
「これ差し上げてもいいんだけれど、古いものだからね。地図も変わってしまっているかもしれないから。」と開いて僕に渡してくださった。
マスターにはこの地図と、そしてコーヒー代をお接待いただいてしまった。
マスターは30年も前の、まだ若いころのお話を僕にしてくださった。
喫茶店のお客さんから、公園で若い子が寝ようとしていると聞いてね。
たしか冬だった。2月くらいじゃなかったんかな。自転車で奈良から走ってきた子だった。
こんな寒いところで寝たら風邪ひくかもしれないから、よかったうちで寝なさいと店まで連れてかえってきてね、そしてこのお店で寝させたんよ。
その子は8日間でまわってきた。そして終わってまたここに顔を出してくれたんよ。うちからね、お母さんに元気であることを伝えるために電話させたりね。
そう話すマスターは、自分がしてあげたことを示すようでもなく、お遍路の文化をほこるようでもなく、ただただ自然にそのことを話して聞かせてくださった。スーッと墨のついた筆でひとつの線を横に走らせるように。
僕はまだ彼らの見ている世界を知らない。
けれどできることなら、すこしだけでもいいから、見てみたい。
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自分が自分でいられること。
旅の日々で自分の心に浮かぶ思いや気づきを読み物として。僕の旅の生き方のなかで、読んでくださる方々の心に心地よい余白が生まれればいいなという…
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