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おじいさんのサックスとともに歌うワンコ
まるで天国に住んでいるような虹色の鳥ケツァールやナマケモノなど豊かな自然を有するコスタリカ。海沿いを南北に走る国道が平坦なだけで、国土のほとんどが山道であるコスタリカを走りながら、なんだか他の中米の国々とは違う雰囲気を僕は感じていた気がする。
それはこの国が軍隊を持たない選択をし、その予算を社会福祉や教育、環境にあててきたという背景を僕が知って期待していたからだろうか。それともその国のもと生活する人たちの雰囲気が僕にそう感じさせていたからだろうか。
国立公園に滞在していたとき、運悪く夜ホテルの部屋に泥棒に忍び込まれてしまった僕は、全財産とiPad、そしてこれまでの旅の写真データごとカメラを盗まれてしまった。それでもまわりの人たちが助けてくれて、警察が首都サン・ホセまで手続きのために戻るバス代をカンパいただいたり、首都で出迎えてくれた現地の友人マウリは僕のためにめちゃんこ怒ってくれていた。それでずいぶんと気持ちが落ち着いたのを覚えている。
数日かけて無事に日本から送金してもらい旅を続けることができた僕は、また再び国立公園のある町に戻り、預かってもらっていた自転車と荷物を受け取り旅を続けることができた。このときお世話になった方々に挨拶に、警察にはお金を返しにいったのだけれど「あなたにあげたものだからいいのよ」と受け取ってもらえなかった。
そんなふうに、ひとつの悪いことが起こることで「とんでもない国だ。治安が悪い。」というのは全くナンセンスな話で、日本にいても悪意にふれることだってたくさんある。僕はこの、ひとつの国をベタっと一辺倒なイメージで塗り固めてしまうことほど残念なことはないと思う。
自分の気持ちや、家族友人の機嫌も日々変化する。あなたがもし誰かに怒ったときに「あの人はとんでもない怒る性格だから気をつけたほうがいい。あまり関わらないほうがいい」なんてそのあと言われてしまうことと同じようなものだ。
そんなこんなで、むしろこのときの体験は自分のその後の人生に関わるとても大きなキッカケをもたらしてくれているし、何よりコスタリカで出会った圧倒的多数の素晴らしい人たちのおかげで僕はコスタリカが大好きだ。
コスタリカはその雨量の多さから豊かな自然をその国土に宿しているのだけれど、自転車で走っているとさすがに頻繁にやってくる夕立ちには困ってしまうこともある。このときはたまたま大粒の雨が落ちはじめたときに集落に差し掛かっていた。
「ごめんねー軒先お借りします!」という気持ちで走り込んだお家のおじいさんが「なかにお入りなさい」と僕をお家にあげてくださった。ちょうど昼食どきで、おばあさんは僕に食事を持ってきてくださった。
片言の英語とスペイン語で自己紹介をしたり、これから行く先のことを話しながら食事をする思いがけず豊かな時間。まだ雨が止みそうにないからとテラスに腰掛けていると、おじいさんが部屋からサックスをもって出てきた。
おじいさんが得意気な顔でそれを吹きはじめると、さっきまで横で伏せていた犬が背筋を伸ばし遠吠えをはじめた。いつものことなのか、それには気をとめずにサックスで曲を続けていくおじいさん、遠吠えでそれに応えるワンコ。
いつの間にか雨宿りに来たことさえ忘れてすっかりその音楽と、自分がここにいてもいいという安心感に浸っていた。だんだんと空が明るくなり、ずっとそこに隠れていた太陽がその光をまた大地に届けはじめた。
すっかりあったかくなったカラダを伸ばし、僕はお礼を告げてまた走りはじめた。まだたっぷりと水をふくんだ道路を、いつもより少しペースを落として。
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