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僕が人から見られることをはじめて意識した日と、はじめて洋服を自分で買った日
僕の人生のなかで、ほとんど書いたことはないけれども知っている人は知っていた僕の【ビンテージ収集癖】についてやっと書けるかなぁと半ば自信を失いそうになりながら書きはじめます。
言葉とかではうまく説明がつかず、そして伝えることもないかと思っていた(むしろ伝えるとマイナスイメージになるだろうな)ビンテージの洋服たち。なんでこんなことになったかというのを書いておこうと思います。
はじまりは小学校6年生のころでした。いま街中で見かける小学生って、それは車を運転しながら見ていることが多いのだけれどお洒落な子が多いですよね。女の子たちは自分でそれを選んでいるんだろうなぁと見て分かる子たちもいるし、上下のバランスがいい着こなしをしている男の子を見ているとお母さんがオシャレさんなのかなぁなんて思ったりします。
そのころの僕がどうだったかというと興味があったものって、ガンダムをはじめとしたプラモデル、ドラゴンボールのカード、そしてミニ四駆くらいのものでした。けれどこうまた書きながら、そういや尋常じゃない集中力をそれぞれに発揮していたかもなって思ってしまいました。書くことは客観的に見ることですねほんと。
ある日、幼なじみの将ちゃんのところに遊びに行っていたときのこと。そのころはJリーグが開幕したこともあって僕らはソフトボールのチームに入っていたのにも関わらず自分たちではサッカーばかりをしていました。そのときも将ちゃんの家の前にある神社のまえの小さな空き地でサッカーボールをしていました。
「おい!おまえらなにしよんねん!」
中学校にはいったひとつ歳上のつよしくんでした。僕は超田舎で生まれたので小学校全員の名前も知っていたし、遠い親戚みたいな付き合いを同級生ともしてたんだけど彼はちょっとだけみんなが怖がるメンバーのひとりでした。
そのとき彼が全くの思いつきだったんだけれど、いきなりこんなことを言いはじめました。もしかしたら彼は目立つことをしたがっていた小学生だったのだけれど、誰かから見られることを人より早くから意識しはじめた子どもだったのかもしれません。
「おい!おまえらそこに横に並べ!ほんでかっこええ順に名前を呼ぶわ!」
なんのことかというと、なんかよく分からへんのですがいきなりファッション格付けみたいのことをはじめたわけです。
そのときの僕は上下adidasの黒のジャージでした、そして腰にもadidasのウエストポーチ。確かadidasのウエストポーチは2つ持っていて、その日はそのうちのロゴがお気に入りのほうだったのだと思います。いきなりのつよしくんの言葉に、僕はよし!と思ったんです。お気に入りのジャージやし、ウエストポーチにいたっては好きなほうだったから。よしこれはいける!と思ったんですよね。そのころの僕はなんにおいても負けず嫌いでした。
ドキドキしながら最初に名前を呼ばれるのを待っていた僕の名前はいつまでたっても呼ばれません。友だちたしか5人くらいで遊んでいたのですが。そうして僕以外の全員の名前が呼ばれたあとに、つよしくんに名前を呼ばれました。
「西川!おまえが一番ダサい!上下ジャージてなんやねん!」
もう言葉も出なかったというか、ただ俯いていたんじゃないかなと思うんです。夕方までは平気な顔をしていて遊んでいたかもしれません。いや、途中で早めに帰ったのかな。次の覚えている場面は僕の3つ上の姉ちゃんにこう言ったシーンです。
「姉ちゃん!なんか服ちょうだい!」
たぶんなんですけど、姉ちゃんは割とオシャレに目覚めるのが早かったんだと思うんですよね。少なくとも弟目にはそう映っていました。突然の弟のお願いになんて言われたかは覚えていないんだけれど、姉ちゃんにはニューバランスのNとBのアルファベットが大きくはいったグレーのスウェットパーカーをもらったんです。かっこよかった。
それからどうしたんだろう。なんか分からないんだけれど、ジーパンを買わないといけないと思ったんです。友だちに僕より先にジーンズを選んで買っていた友だちはいなかったから、姉ちゃんに聞いたか、それか本屋かなにかで見たのかな。お母ちゃんにはじめて服を買うためにお小遣いを催促しました。そうしてもらった1万円を手に、友だちと電車にのって神戸に行きました。
はじめて買ったのはリーバイスの501。当時はまだアメリカ製だったし、そして新品の501はしっかり糊がついていて厚紙のようにバリバリで、そして洋服屋で店員さんと話すことなんて体験もはじめてで、汗だくになりながら試着室で今から思うとなんでなんだろうと思うんだけどマイサイズより2インチ大きい33インチの501をはいてみて、これでいいですって買って帰ったんですよね。
これが僕の洋服との出会いです。それからは、高校生まではお金もないから古着屋、とくにリサイクル古着屋によく行っていました。そしてときどき出てくるアメリカ製の古着とか、コムデギャルソンのようなモードファッションにドキドキしては買って着たりしていました。
ほらまた文字数がこんなになってしまった。もうすでにまとめる気すらないのかも。自分の人生史のような。けどこのまま書いてみますね。
大学生になった僕はさらにファッションにのめり込むことになります。
けれど僕が進学したのは工学部の機械工学科。ひと冬同じダッフルコート着続けて毛玉だらけになっている同級生がいっぱいいるファッションとはかけ離れた学部でしたが僕の洋服熱は加速することになります。
最初はなんでもないことだったんですよね。
週末に大学のまわりを探検していたころ、たまたま徳島中心部を流れる新町川を通りかかったときに、たまたまフリーマーケットをしていたんですよね。古着を売っているパラソルもあって寄ってみました。
70年代っぽいボサボサ天然パーマっぽい頭をしたメガネの少年と、もみあげがしっかりあってヒゲを生やした男前のコンビ。ふたりとも古着の着こなしがこなれていて、革のブーツをギュッと絞ってはいていてかっこいい。その向こうには、なんかフリマなのにしっかりハンガーレールを並べていて長身のめちゃんこ男前の人がブーツカットのパンツにジャストサイズのシャツを着て、買い物に来た女の子と楽しそうに話している。それはもう当時の僕にとって衝撃でした。なんじゃんこのかっこいい場所と人たちは!って。
僕が古着を見ていて、話しかけてくれた最初のメガネともみあげのコンビはなんと僕と同い歳でした。高校を卒業してそれぞれ働きながら週末こうして古着を売っているふたり。ここを踏み台にして古着屋を開くんだという話を聞いて、それまで人生のビジョンなんて、それも解像度のはっきりした未来なんか描いたこともなかった僕にとってどれだけ眩しかったか。
それがだいちゃんとイサムとの出会いでした。思えば彼らが僕の世界を広げてくれたんだなと思います。それから毎週末のようにそこに通い、僕は退屈な大学生活と反発するように彼らとの時間を増やすようになっていったと思います。
またも行き着かなかったビンテージ収集癖への道ですが、のんびり続きをやっていきましょう。
*大学生時代の写真がどうにも見つからず、20分くらい検索してみたら、大学のホームページにこんなちいこい写真がありました。
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自分が自分でいられること。
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