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へっぽこお遍路日記27「1日のはじまりに、想像もしていなかった日を過ごしているとき僕はそれを幸せと感じる。」
12月19日
まわったお寺:ゼロ
歩いた距離:20km
夜の時間を過ごしながらね、
こんな1日になるなんて想像もしなかった
って思えるような日ってサイコーに幸せだと思う。
思い描ける幸せもあるけれど。思い描けるそのうえをはるかに超えていく行く幸せみたいなものがときどきやってきて、そのことに感謝しながら、あぁーいま幸せやわーって思うとき、それは紛れもない幸せなんだと思う。
そう、幸せとは自分にむける言葉なのかもしれないなぁと思う。
目の前にいる人たちも、そう思いを同じくしてくれたらいいなという願いを込めながら。
朝は相変わらずの冷え込み。寝るのはね、大丈夫。けれど起きて歩き出すまでがもうほんとにツラい。寝袋から出てカラダが冷たくなってきて、荷物を詰めていくために、上下に着ているダウンも脱ぐのにまた冷えて、あとは早く詰め終わって歩くための時間があって、そうして震えながら歩き出す。
一度歩いてしまえば、足先はそれこそ石のようにカチコチになってしまうこともあるけれども、きちんと熱がカラダをめぐり出したらあったかくなる。歩くってすごいよ。それも地面のデコボコを感じられる装備で歩くこと。
ツボって言うやないですか。あれって選んで押す治療的な捉え方もあるけれどね、こういう裸足に近い感覚のサンダルであるくとね、地面のデコボコを全部感じるの、そしたらねなんかカラダがきちんと動いている気がする。ウンコさんたいてい自転車旅のときは普段より少なくて2日に1回みたいだったりするんだけれど、歩きのときなんてそれこそ毎回トイレ探しに焦るくらいウンさんが会いに来てくれるもんね。ひょっと気を抜いたら飛び出てしまうくらいにね。
運動。食事。それは今は健康法として語られるけれども。
普段の生活のなかにそのすべてが詰まっていたのかもしれないな。昔の暮らしには。と思ったりする。当たっていても、外れていても、こうして過去や未来に思いを飛ばしていくことは豊かだと思う。
10時までがんばって歩いて、NZに住んでいる先輩の四角大輔さんとzoomで対談。数年前にmont-bellのイベントで知り合って、NZの旅でおうちにお世話になったり、それから自分がいまでも関わりのある会社を紹介いただいたりとってもお世話になってきた先輩。相手に選んでいただけることが光栄だ。
歩きながらでもいいかなとも思ったけれど、しっかり相手を見ながら話したくて、ちょうどあった遍路小屋をお借りして即席スタジオにしてお話をした。参加者さんのチャットからは「なんか木の建物にいらっしゃって、お坊さんの格好みたいで、ものすごい徳の高い人のお話を聞いているような気持ちになってきました。」と流れてきて笑った。
僕は徳が高くもなんともなくて、あ、名前西川昌徳だ。まいいか、ただのへっぽこお遍路。ただいまこうしているからこそ、へっぽこだからこそ見えている景色や世界というものは紛れもなく自分が歩いて獲得してきた世界だ。
同じ世界を見ていても違って見える。不思議だよね。
世界を獲得するということは、広がることもあるけれども、見えている景色が変わるということもあるんだ。それは層のようにして、今まで見ていた同じ景色に重なっていく。そうしてそこに自分が見えなかったものが見えるようになってくる。
だから世界中を旅することだって、たったひとつのことを一生かけて深めていく職人さんだって、世界を獲得することができる。それは、何カ国訪れたか、そういうことだけでは決してないのだ。景色を見るだけだったら、どんな手段だって見に行ける。けれどもその景色を見たときの自分の心に浮かぶ風景は、紛れもなくその人自身の持っている世界のレイヤー(層なのだ)
zoomだけれどほんとうに気持ちがよくお話をさせてもらった。勝手なものだ、自分の好きなことを好きなように話してる。けれどもこの自分の話している楽しさが、そのときのことをまた心に浮かべるその景色が、このお話を聞いている人の心にも浮かべばいいなと祈りながら。
午後からはちょこっと調子があがらなかった。胃がちょっとうわついている。山さんにもらったおっきいどら焼き、昨日の夜と、あさごはんとして食べたんだけれど、食べて分かったんだけれどクリームも入ってたのね。あんこと生地なら全然日にち過ぎてもOKぐらいに思ってとっておいたから、あれやったのかもしれんなぁ。
今日は3時半にまた香港のあと話を聞いてくださった方が僕をピックアップしてお接待してくださる。ほんまに日々こうして誰かに支えられて生きている。
なんとかヘトヘトになりながら彼女が待ってくださっているローソンにたどり着き無事にお会いすることができた。香港のときのトークで少しお話して以来だけれど、そのスッとした謙虚な語り口で一気に思い出した。お久しぶりです。
彼女は、書いたり写真はNGでとのことなのだけれど、遍路を3度まわられていて当時の思い出をたくさん聞かせてくださった。そして、ドライブしていただきたどりついたのは、四万十川の水のすぐ脇にとめてある軽トラのところ。四角い木の箱がのっかっていて、屋根からは煙突が飛び出ている。なるほどこれがアウトドアサウナというやつだ。ここで林業をしている彼女のお友だちの聖さんが、自分でおもしろいことをやろうとはじめて、けれどもみんなで入れるようにしてくださっていて、そうして僕もお世話になる。
準備いただいていた海パンとTシャツに着替えて木箱のなかに飛び込んだ。モワッと曇ったようになっている中には薪ストーブとそのうえには石がいくつも置いてある。そして壁には温度計。お水が入ったバケツもあって、これで石に水をかけてブワーッと蒸気にするやつみたい。15分の3ラウンド。遍路でヘトヘトの僕にはどうだろうかと思っていたんだけれど、汗をかいて外に出てちょっと冷やしてとする度にちょっとカラダが軽くなってくる感覚。うぉーこれは気持ちがよい。
結局おしゃべりしながら3ラウンドを終えるころにはすっかりカラダが元気になってた。ありがたやありがたや。聖さんには、今夜お泊まりするところで、明日の朝珈琲いれるのでよかったら飲んでくださいと伝えた。
さてここから、お宿にうかがうと、女将のれいちゃんはなんとぜーんぜん接点のない別のところに住む僕の親友ふたりと彼女の大の仲良しだということが分かってすっかり盛り上がってしまった。そして今日は彼女が昼間一緒に働いているベトナムの女の子たちがここで夕食を作ってくれる日なのだそうだ。
お買い物袋を両手にたくさん抱えて帰ってきたベトナムからの実習生の女の子たち。みんなでだーっと台所に行き、「れいさーん!あれはどこにありますか?」と聞きながら、さっきまでは修学旅行の女子のようにキャッキャとトークに花を咲かせていたのにあっという間にベトナム料理店の厨房のようになってしまった。
そうして僕はほんとに待っているだけ、なーんにもしないでベトナムパーティに参加させていただいた。さっきまで真剣に料理をしていた彼女たち。いただきまー!をしてからはもうほんとおもしろい。最初は食べ方を教えてくれたけれど、そこからはWi-Fiをつないで、ベトナムのお友だちとビデオチャットをつなぎながら、彼氏と話しながら、食べながら、そしてリアルに隣にいる僕らとも話しながらめちゃんこ盛り上がっている。修学旅行の女子たちに逆戻り。いやーその楽しそうな感じがほんとに突き抜けていてもう見ていてこちらが気持ちよくなってしまった。
もう遍路の身であることを忘れてしまいそうないまが目の前に広がっている笑
彼女が寝静まった夜11時から、僕は仲間のよっちゃんに頼まれた珈琲豆を送るために、キッチンで焙煎させてもらう。彼が年末自分がライフワークとして行なっているビーチクリーンを仲間たちとやって、そのあとに珈琲を振る舞うのだそうだ。宿泊できないと無理だと思うとは伝えていたけれど、ありがたいことにこうして今日お世話になることができたので焙煎もすることができた。
れいちゃんとたっぷり向き合いながら台所でのお話と焙煎。なんだか自分でも不思議なんだけれど大きな大きな流れのなかにいるような1日だったな。
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