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フリーコーヒーをするんだと僕の珈琲豆を注文するひとが現れた。

はじめまして、◯◯と申します。
現在淡路島のホテルで働いておりまして、仕事終わりに何か楽しいことが出来ないかと思っていた所、以前読んだ西川さんのnoteを思い出しました。
Free Coffeeを自分もやってみたいと思います。
いつかどこかでお会いした際は、やってみた感想を聞いてください。コーヒーが届くのを楽しみにしています。

西川自由珈琲店に届いたこの注文メールを読んだときに、少しずつだけれど自分が見つめている世界が誰かに届いていることを教えてもらったような気持ちがした。

【人が誰かのことを思いながらつくること】
がそこにあればフリーコーヒーはできる。僕じゃなくていいのだ。

恩着せがましいのは、野暮ったい。
そっとそこにたたずみながら、必要な人が来てくれる。
そうして来てくれた人に、サッとコーヒーをつくって差し上げる。
なにもコンセプトを語る必要も、豆やいれかたのこだわりを話す必要もない。

それが僕がフリーコーヒーを続けて行き着いたところ。
自分のなかにはたくさんの思いがあるし、コーヒーを点てるときはいつだって真剣だ。けれどもそれをうちに秘めておくことと、外に出してしまうことには大きな違いがあるんだと思う。

あくまでさりげなく、けれどもそこには込められるだけのものがこもってる。


相手に届くといいなと願いを込めるようにコーヒーを点てて、相手に手渡したら、あとは自分のコーヒーではなく、相手のコーヒーなのだ。

その余白にこそ、相手が感じ、考える空間が生まれるのだと僕は思うようになった。

自由料金でコーヒーを作っては送っているので、いくら振り込まれるかも、それがモノでお返しなのかも、はたまた感謝の気持ちが送られているのかもわからないのだけれど、200g注文してもらったところに300gを詰めておいた。

そうしたらもう少し大きな気持ちで惜しげなくコーヒーをつくることができると思うから。いくらもらえるかも分からないのに勝手にオマケしている自分にちょっとだけ自分もオトナになれたかな、なんてアホなことを思ったりした。

どうか淡路で、僕のコーヒーが笑顔と安らぎを生み出してくれますように。

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西川自由珈琲店
https://www.earthride.jp/freecoffee/

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