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へっぽこお遍路日記33「津波に流された父親と妻、そして息子を供養するために遍路をまわらせてもらっています。」
12月25日。歩いた距離28km。
めぐったお寺はゼロ
おはようございます。クリスマスの朝、起きたら靴下にプレゼントは入っていなくて、靴下はビショビショからはちょっとだけ乾いていて、昨日の夜から急に風が出だしたので飛ばされないように夜中寝ぼけながら詰めた石ころが出てきました。サンタさんおはようございます。
昨日かなり早く寝たので4時だけれど起き出すことにした。風がビュービュー橋の下を抜けてきていて、このままいてもかえって風に当たってカラダが冷えてくるから。そしてこの橋にあがると100m先には昨日雨宿りさせてもらったイートインスペースのあるLAWSONがある。それは風がビュービューだったり雨が降る冬には僕は楽園と呼んでいいと思えるくらいの場所なのだ。そしてあったかい珈琲がある。
30分くらいでババッと荷物を詰めてダウンは着たままで朝のLAWSONへ。おはようございます。パンとカフェラテを買って、あったまりながら食べてそれからブログを書く。黙々と書いていると、青い半袖シャツを着たお兄さんに声をかけられた。
「おはようございます!歩きでまわっておられるんですか?」
はい。そうです。1番からまわらせてもろてます。
「そうですか。僕もやってみたいんですが、時間が作れなくて。仕事やめたら歩いちゃおうかな。」
そうですね。僕フリーランスで仕事しているんですが。今年はコロナで全然お仕事がなくて、それで時間もできてこのタイミングでまわってみようかと思ったんです。
「そうなんですね。フリーでお仕事されているんですね。がんばってください。お邪魔しました。」
お邪魔もなにもこうして声をかけていただけることがほんとにありがたい。ましてこのコロナの状況のなかで。そうしてまたしばらくはiPadと向き合っていたのだけれど、そうしてしばらくしたらさっきのお兄さんが事務所みたいなところから出てこられて
「あの、これ少しなんですが足しにしてください」
とキレイな封筒を渡してくださった。お接待だ。
あれーかえってすみません。
「いえいえ。応援していますから。それではまた。」
彼は自動ドアを出て駐車場にあったおっきなトラックに乗り込み、まだ真っ暗ななかまた東に向けて走っていかれた。あぁ商品の配達のお兄さんだったのか。僕らにとっては当たり前になっている、コンビニを支えるお仕事をされている人。
ほんとにありがとうございました。大切に使わせていただきます。
6時半。まだ暗いなか山へ向かって歩きはじめた。海のあと集落がしばらく続いたあとには山が扇のように広がっていて、そのうえには風力発電の風車がたくさんまわってる。これだけ風も強いからビュンビュン集落まで音が届いてくるほどだ。そしてその高さを越えて反対がわにまわっていく遍路ルート。大変やろなー地面が乾いてくれていたらええなと思いながら山に入った。
風がビュービュー吹いていて、どうやら昨日の雨もちょっと湿っぽいところはあるけれど歩くぶんには濡れなくてすみそうだ。気温がそれほど下がっていないので、このでっかいリュックを担ぎながらだと、背中から暑さが広がってきて汗をかいてしまうほど。
そうしてどんどん山道をのぼっていたら、向かいからおじさんが歩いてこられた。でっかいリュックに杖、野宿をされながらまわっている歩き遍路さん。向こうも、おや、という感じでこちらに気づかれてすれ違うときにお話をさせていただいた。
「どっからですか?」
兵庫県姫路市からきて歩かせてもらっています。
「私は福島から。あなたはどうして?」
いろんなかたにお会いしたくて。それから歩いてみたくて。
「そうですか。私はね、浪江というところに住んでいたんです。そして病院の帰りでした、津波が来てね。親父に電話がつながって、そしてそれが切れて。そのときに、あぁ流されたなと思ったんです。結局妻も息子も流されてしまいました。そしてそれから供養として遍路をまわらせてもらっています。」
そうでしたか。お話してくださってありがとうございます。
「そこにある休憩所で2泊させてもらってね。お兄さん若いからこれお接待(そうして財布から1000円をそのまま渡してくださった)。若い子と話すのはええね。おやお兄さんは珈琲点ててまわっておられるのかね。そしてサンダル。冬だから大変だね。夏だったらわかるけれども。」
はい。珈琲があるからお話できることもあるかと思って。それからサンダルは昔の人がどんな思いで歩いておられるかがちょっとだけでも分かるかもしれないと思って。
「タロットを持った子もいたな。それから姫路の子もいたよ。なんにしても若い子でまわっている子は少ないからこうして会って話すことができるのはいいね。」
食べものはありますか?僕パンくらいしかないんですけど。(と出してみたもののパンじゃなくておにぎりを買ったことを思い出した)
「あぁおにぎりそしたらもらおうかね。ありがとうね。珈琲は下までおりたら飲めるし、うどんなんかもあるだろうか。下にコンビニが新しいのができたってね。」
はい。僕もそこで雨宿りさせてもらいました。あの、すみませんお札だけお渡しさせてもらいます。
「あ、お札ね。僕はこういうものです」
おじさんが出してくださったお札は金色だった。僕は白。まわった回数によって持つお札の色は変わっていって、金というのはだいぶまわって持つ色だったなぁと思いながら受け取った。(あとから調べてみたら50回から99回目までの人が金色のお札を持つ)
「じゃあ、またどこかで会えるかもしれないね。お元気で。」
こちらこそありがとうございました。
それぞれの遍路さんが抱えている思いというのは、自分には想像もできない。けれどこうして僕はたったの一回だけれどこうしてまわらせていただいて、その同じ体験をすることで想像することはできることもある。それが例え数mmだけであっても、それでもそうして自分ごとを世界で作っていくことは、生きていることだと思うのだ。
それからは静かに続いていく山道をひたすらに歩いてく。いいルートだ。険しいのぼりもくだりもなくて、わりとなだらかなすっかり落ちた落ち葉でクッションのようになったやわらかい山道が続いていく。くだりなんかは少しステップを踏みながらくだれるようなくらい。
「愛媛にはいったらね、走れるくらいにカラダが軽くなってびっくりした」
と話されていたMさんのことを思い出した。
お昼前に国道に出てきて、そこからは国道を北上していく。ちょうどお昼に町を通ることができたので、地元のラーメンレストランで味噌バターラーメンのごはんセットを頼んだ。入れ替わり立ち替わり地元の人たちが入っては慣れた感じで注文されている。ゆっくりあったかいところで食べられるアツアツの手料理ほど嬉しいことはない。ありがとうございます。おいしかったです。
そこからは宇和島に向けてただひたすらと歩いて行く。トンネルを迂回するための古い遍路道を抜けて。そうして宇和島市街地に入ったのが4時半。ちょうど待ち合わせの時間だ。
お友だちの黒田さんファミリーに今日はお世話になる。ここから車で小1時間かかるのだけれど、そこからわざわざ迎えにきてくださったのだ。
子どもたち3人と黒田さん夫妻みんな一緒に近所の温泉へ連れていってもらった。黒田さんたちが営む福田百貨店に戻ってからみんなで夕食。長女のいっちゃん、まだ10歳なのに立派に料理をこなしていて、この夜もサツマイモ、ニンジンとお味噌を使った創作料理を作っていて、みんなお代わりをしていた。
黒田さんは僕にとってノンリミッターで話せるお友だち。この夜も子どもたちが一緒に遊ぼうとお誘いしてくれたのだけれど、結局黒田さんたちと12時までお話をしてしまった。
日々のこともあるけれど、その瞬間というものは、もう2度と訪れることがない「いま」なのだ。だからこそ、自分の心がおもむくままに過ごしたい。明日は明日でまたがんばればいい。自分のカラダに声をかけながら。
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自分が自分でいられること。
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