「日本語で何ていうの?ありがとうね!」
ごめんなさい。まだ全くレポートに慣れてなくてながーくなってしまいました。もったいないからそのまま掲載するけど、最後のおばちゃんとこだけでも読んでもらえたら嬉しいです。それでははじまりはじまり。
3つぐらいある。
ひとつ目は、韓国へ渡る船が一緒だったおじいさん。
ふたつ目は、ソワソワして楽しかったこと。
みっつ目は、食堂のおばちゃん。
あ、ちょうど3つやった。
それでは今日のレポートのはじまりはじまり。
フェリーは6時ごろ釜山港に着いた。着岸作業などで2時間ほど。大部屋だったんだけれど、一緒だったのは日本人のおじいさんひとり。彼とポツポツと話をしながら時間を過ごした。おじいさんは木浦というところに行くそうだ。船を見にいきたい、と彼は言った。もうたぶん70歳は優に超えてはると思う。昨日フェリーを待ちながら、硬いベンチに座り続けていてあれはしんどかったと言うてはった。
彼はかつて横浜で船を作ってはったそうだ。そして、僕に「あの転覆した船を覚えとる?」と言い、横に倒れて半分水に浸かったフェリーの映像が重い浮かんだ。たしか修学旅行の子たちが乗っていてたくさんの人が亡くなったと思う。そのことを話すと、彼はあの船は日本での役目を終えて韓国に渡ったこと、韓国では積荷をたくさん積むために船を改造して使っていたはずだということを頭に何かを思い浮かべるように話してはった。その船が木浦に置いてあるそうなのだ。これまで2度訪れたけれど、中は見れず、どのように中をいじっていたのか見たいんだ、と噛み締めるように言うてはった。
彼の感情はほとんど表情や声にはあらわれなかったけれど、少しだけれど彼が生きてきた、抱えてきたものを垣間見せてもらった気がした。
ふたつめ。ほんとに久しぶりに、というかもしかしたらはじめの旅以来なんじゃないか、現地に到着してから何をするか、どこに行くか全く決めないで釜山に降りたった。地元に帰省するのであろうおっちゃんおばちゃんたちはあっという間に大きな荷物とともにどこかに吸い込まれるようにいなくなってしまい、ひとり乗っていた韓国のサイクリストの人とは届いた荷物のところで握手をしてあいさつをした。昨日乗るときも僕は近くにいたんやけどきっとシャイな人やったんやろうな。音楽聴いてはったから僕も声かけづらかった。シャイ同盟を彼と組んでいたらよかったのかもしれない。
釜山国際ターミナル(船の)はだーっと広かった。そして白い。とりあえずSIMのカウンターを見つけて、あの・・・SIM。というとお姉さんが対応してくれはった。日本語も少し話せるよう。ルーターの貸しだしと、プリペイドのSIMの両方があってルーターのが安かったんだけれどiPhoneひとつあればなんでもできるほうが便利なのでSIMにした。1ヶ月間でデータ無制限に使えて約7000円。あっという間にネットが使えるようになった。
ほんとこれがない時代って、一度現地に降りたったら町のぶっとい画面のパソコンが並ぶネット屋に行ってなんとか調べるしかなかったんだよな。海外旅行のハードルってそういう意味では、為替がどうかとかいうことはこれっぽっちのことで下がり続けていると思うわ。
さてさて、自分の気持ちをリアルタイムで書きたかったのにすっかりナレーションの語り手のようになってしまったので話を戻そう。
SIMを契約して、レシートを財布にしまうためにベンチに座ると日本人のお姉さんがいた。こんにちは。ご旅行ですか?とあいさつ。彼女は4回めだそうだ。いまは釜山で国際映画祭がやっているそうで、それに合わせていらっしゃったそう。物価のこと、ホテルの調べかたやだいだいの相場のことを聞いて楽しみましょう!と別れた。
次は両替。ATMで下ろすことがほとんどなんだけれど、船のおじいさんが「銀行よりもターミナルの1番奥にね、荷物預かり所があってね、そこが1番いいよ。きちんと国の認可も受けているから闇じゃない。」と何度も僕を安心させるように言ってくれていたのでそこに両替に行くとおじいさんがベンチに座っておでんを食べていた。角におでん屋があるって言ってたもんな。両替をおばさんにしてもらったら、だいたい10000円が110000ウォン。だいたい10分の1したら日本円だなと頭に入れておく。おじいさんもお迎えを待っていたようで、40代くらいのお姉さんが迎えに来て彼に韓国語で声をかけ、それに彼も韓国語で答え立ち上がった。歩きだすなり振り返ってぼくに「旅がんばってね」と言ってくださった。僕は深くお辞儀をしながらがんばりますと返した。彼のパスポートは深緑色だったことを思い出した。
さあひとりぼっちだ。ソワソワする。ターミナルはまるで結界のようで、ここにいたら現実感がちょっと薄くて心も揺れないのだけれど僕が旅するべきリアルはこの外にある。さあ行こうかと自転車を押して外に出た。たしか韓国は右側だったっけなと一般道につながるスロープを下って釜山の街に出た。さっき両替したあとで、この先のことを決めた。とりあえずはソウルまで走っていくことにしよう。約500km。
信号に並ぶ。右側交通で僕の着ているユニフォームの左肩には日本国旗がついている。青になるのを待ちながらついつい左にとまってる自動車のことが気になってしまう。最初に休憩した商店街のようなところでも。きっと自転車がなくて、この服を着ていなかったさえ気にならないことなのに。自分の選択にもソワソワするのが旅のはじめだ。注文するにも、食べたいものを探すにも、その前に地元の人がたくさんいるところに入って行きにくい。ソワソワ、ドキドキしてくる。この感覚久しぶり。やあ、元気にしてたかい?
釜山は想像以上に坂だらけだった。ソウル方面のルートを検索してそれに沿って走るのだけれどほぼのぼり坂。なるほどマップを地形モードに切り変えたら山に囲まれた街だった。そこを抜けるまでえっちらこっちらと荷物満載の相棒をペダルを使って押しあげていく。街にはたくさんのお店があって、たくさんCOFFEEと書かれた看板もある。それでもアルファベットはCOFFEEぐらいでほとんどハングルなもんだから僕にとっては記号が並んだ風景だ。
検索ルートは高速道路につながってしまい引き返すことになるし、ばんばんトレーラーが走る路肩をおりゃーっと緊張感たっぷりで走り抜けることもたくさんあるし、山もトンネルもあるし風も向かい風だし。1日終われば地図でひとつの線になるだけのものが、実際にそのときにはたくさんたくさんのことが起きている。ソワソワドキドキ。旅をするってこういうことだ。ひとつの風景や出会った人にたくさんの思い出のベールが重なっていって自分の記憶に刻まれてく。
みっつめ。85kmを走って街にたどり着いた。ホテルを検索すると町の外れに固まっていて走りながら嘘やろー!?となった。どう見ても道路の反対側にある彼らはラブホにしか見えない。きちんと駐車場の入り口のところにカーテンみたいなのもあるもん。けどここしかないのだ。かろうじてゲートに自転車乗ってるおじさんとハングルが書かれていて、たぶん自転車乗りも来なさいよーみたいなことになっていると信じてラブホのゲートに旅の自転車をすべりこませた(なんか卑猥に聞こえるのは気のせいか!?)
顔見なくてもいいカウンターには誰もいず、チリーンというやつを鳴らしても誰も来ず、しばらく青い照明のしたでたたずんでいるとカートにシーツをたくさんのせてお姉さんがやってきた。泊まりたいんですー!と伝え、お金をお姉さんが電卓で打って教えてくれて、自転車のひとは少し割引きなの、あー疲れた!と韓国語で言ってるのにその感じで伝わってきたのでおつかれと思いながら笑顔で返す。荷物をおいたら夕食に出かけよう。
かんこくぅー!どうしよー!
東南アジアにいたときはさ、屋台がいっぱいあって、お店もさほとんどが入口は壁もないからさ、みんなが食べていつのを見ながらこんにちはーって入っていけばよかったのにさ、韓国は普通の街には屋台みたいなんはまったくなくて、ほんで店にはだいたいドアがついているの!たくさんごはん屋さんはあるんやけど韓国料理のこと全然わかれへんしな、文字も読まれへんしな、店に入るのにとてつもない勇気がいるんよぉ。ほんでなだいたいの店でな地元のひとがおしゃべりしながら楽しんではるのが見えてな、けどそれ見たらなんやわからへんけど緊張してしまって入れへんねん。そうして街の目抜き通りを歩き終えてしまって、どこにしようかなぁと帰りにひとりで食べてはるお兄さんがいるレストランに入ったよ。お兄さんがちょうど出はるタイミングで。そしたらおばさんがさっきのお兄さんが帰ってきたんかいなと振りかえったらぼくがいてびっくりしてはった。
お互いにえーっと、えーっとってなって。おばさんが片言の英語で「ホット!ヌードル!OK?」と言うててそのあとに「チャンポン」と言いはって、え!チャンポン!OK!とかえして席に座った。ドキドキするやん!しばらくしたらお碗にたーっぷりの赤いチャンポンが出てきた。美味しい。辛いけど美味しい。
おばさんは仕事をしながらぼくの前を通るときにニコッとしてくれはる。ぼくはスマホに入れておいた指差し会話帳(韓国語)で辛いとか、おいしいとか調べて言うとおばちゃん喜んでくれた。ほんで今度は彼女が「カムサハムニダ。JAPAN?」と聞いてきたので、ありがとうだよ、と教えてあげると。お辞儀しながらありがとうと言ってくれた。そのあと彼女はレストランの入り口にやってきた猫を見つけて夜ごはんの時間だわ、と厨房から食べものをもってきてあげてた。その眼差しがあたたかだった。思い出の写真を撮りたいというとぜーったいダメ!とはにかんでいたおばちゃん。ありがとう。
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自分が自分でいられること。
旅の日々で自分の心に浮かぶ思いや気づきを読み物として。僕の旅の生き方のなかで、読んでくださる方々の心に心地よい余白が生まれればいいなという…
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