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自分がイメージしていた世界とその現実の間で、自分の明日をつくっていく。
うつむきながら、少しでも早くこのツラさから逃れたいと思う、そんな自分に会ったのはずいぶん久しぶり。ハローそんな自分。
遍路をはじめる1番札所。その霊山寺で昨日カップラーメンを差し入れてくださったおばさまは、今朝も案内所にいらっしゃった。道具の選び方、杖の重いやつや軽いやつ、遍路の笠のそれぞれカタチがひとつずつ違うこと。それからおまいりをするときのお作法。自分にはまったく知らない世界。それをいちから教わること。そんなのここしばらくなかったなぁと改めて思いなおす。
おばさまは内緒だからね、お接待するわといくつもの道具をご支援くださった。彼女は3度遍路を歩いたそうだ。最後には自分が歩いたときの地図も持たせてくださった。あのちょうどよい間合いはなんなんだろう。押し付けがましくもなく、けれどそこに大きな心を感じるお接待。僕は昨日のお返しにコーヒーを水筒に落として持っていったんだけれど、そこで働いているみなさんにも「お接待いただきましたよー」ととても自然に振る舞われていた。ありがとう。また必ずここにごあいさつに帰ってきます。それではいってきます。
1番札所の本堂から、もうスタンスが分からない。いたときにいらっしゃったお遍路さんはご夫婦で慣れていらっしゃるのかとても自然に経を読み終えて歩き去られた。
僕はお線香をするのが先か、ロウソクなのか、それとも札が先なのかとオロオロとしながら、お寺の案内のおばさまに助けをもとめると「あなたの思うままでいいですよ」と諭されるように教えていただいた。
お経の意味なんてよくわからない。漢語もあれば、サンスクリットの言葉そのままのものもある。ひたすらに、そこにふってある読み仮名をなぞりながら読み終えて、今度は大師堂という空海さんがまつってあるお堂で同じことを繰り返す。
もうそれは呪文のように、何も見ずにとなえられているお遍路さんもたくさんいて、なんだか学校に入学したような気持ちになってきた。
最初にお世話になった案内所のおばさまにお礼を告げて2番札所を目指す。
「この時間だったら7番ぐらいまでは歩けるかもね」
「え!そんなに!」
「ゆっくり歩けば5番かしら」
「がんばって歩いてきます。いってきます。」
と1番札所をあとにした。
歩くスピードで、西川昌徳ではなくお遍路さんとなって見る世界。
中学生が気持ちよく挨拶してくれたり、畑仕事をしているかたがおじぎをしてくださったり、それから屋根を歩く猫さんたちがジッとこちらをうかがっていたり、なんだか自分じゃなくなったみたいでおもしろかったりする。ふたつの自分がこの世界で重なっているような気持ちにもなる。
2番札所にはあっさりと到着して、そうしてカバンからお参りセットを取り出して、また線香ロウソクとやっていく。そうかそうか、この出し入れのあるものをパッキングする場所とかもまた考えていくんだなと思いながら、そうしてひと休みしてまた歩く。
3番札所ぐらいまではだいぶ楽しかった。空も晴れわたっていて。そこからだんだんと足の裏が痛くなってきて、ふくらはぎがパンパンになってきて、そしてバックパックのショルダーが肩に食い込んでくるようになってきた。
ちょうど自分のヒザから腰くらいの高さのあるベンチや公民館の縁側のようなところがあると、ついついそこにバッグを置きたくなる。喉の渇きよりも、暑い寒いよりも、重い荷物を担いで歩くこと、そのことが何よりしんどい。
夕方4時ごろにやっとこさ5番札所についたときには、もうホッとしてしまった。
朝に「ゆーっくり歩いて5番くらいかなぁ」と言われていたその5番だ。
納経所というあのお遍路さんが各寺でいただくご朱印をいただくときに
「この辺で野宿させていただけるようなところはありますか?」
とたずねると、親身になってあそこはどうかな、いやここもあるかなぁと教えてくださった。
そのひとつに、次の6番札所まで行けば、入口の門の上にスペースがあってそこで泊まることができることがわかった。お寺の宿坊じゃなくて、そんな門のうえなんておもしろいやん!と思いながら、またもう日が暮れかけた街を歩きはじめた。
すっかり暗くなって、もうライトがないとお遍路の小さなサインも見えないくらいになるなか、杖をシャリンシャリンとつきながら歩いていく。部活帰りの中学生が「こんばんは」と声をかけてくれた。ありがとうね。おじさんがんばるよ。
しんどい。しんどい。あと何キロ?
そうして残りの距離を探してあるくのに、遍路の案内板に「あと3.5km」とあってまたうつむきながら次へと踏み出す。これは果てがない。遍路が休める休憩所でしばらくリュックをおろさせてもらって、そうしてまたひと息ついてから、最後また歩いた。
サインを見落として道をまちがえ、地元の方に教えていただいてなんとかまたそちらに向かい、道を間違えてロスした分をあぁ情けないしんどいと思いながら歩いた先に6番札所のサインがあった。もうあのマラソン大会で選手がゴールテープに倒れ込むかのように、僕も寺の門についている階段にしがみついた。
細くまがっているそのせまい階段をリュックを押し込むように上ると、お寺の金と3畳くらいのスペースがあった。使い方の説明も書いてある。ライトは9時で消灯してくださいという。屋根壁があって、ライトがあるだけでもうありがたい。
サッとお寺のトイレで体を洗い、ダウンの上下に着替えて。夕食のおにぎりを食べて、僕はリュックの中身を取り出していく。
これは慣れというよりかは、僕が想定した道具ではどう考えても重量オーバー。たぶんこのままだと体を痛めてしまうなという感覚がある。自分がこうして使おうと決めて選んできたものたちを、2日歩いてなんとなく自分なりにイメージしたこれからの遍路と珈琲に編集していく。明日はどこまで歩けるかわからないけれど、荷物を送ることができるところを探して、まずは自分が身も心も軽くなろう。
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自分が自分でいられること。
旅の日々で自分の心に浮かぶ思いや気づきを読み物として。僕の旅の生き方のなかで、読んでくださる方々の心に心地よい余白が生まれればいいなという…
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