へっぽこお遍路日記34「大変だけれど、そこに自分なりの必然があるときに、それはしんどいこと以上のなにかがあるのだ。」
いつもはすこしゆっくり目だという黒田家のみなさん、僕に合わせて早く起きてくださって美味しいおじやの朝ごはんを食べた。美味しい。ほんとに美味しい。味もだけれど、こうしてコタツを囲んでみんなでポツリポツリと話が続きながら食べること。遍路を歩いていると、こうして人と出会わない限りは、すれ違う人やお地蔵さんがいるときのあいさつと、お経を唱えるときくらいしか声を自発的に出さないもの。
いちばんちいさい、いっぷーが寝ているから誰かがお留守番かなと話していたけれど、一緒に行きたいと半ベソでいっぷーが起きてきた。着替えをしながら、みんなでギューギューしながら行こうかと話しかける静子さん。もうね、なんかね、ありがとう。そのやりとりを見つめている自分までこの世界にいることを許されたような気持ちになったよ。
昨日拾ってもらった宇和島のLAWSONでおろしてもらって、みんなに身送られて歩きはじめた。今日はお寺をふたつまわるルート。やっぱり歩いていてお寺にたどり着く日のほうが、明確な目標が目の前にやってくるので歩きやすい。朝はばっちり霜がおりているけれど、今日は太陽がしっかりと登ってくれた。休憩所の木のベンチがあるときはカラダを横にして休ませてもらう。
ちょうどふたつ目のお寺の手前で、昨日少し会いに来てくださったたけうちさん一家が会いに来てくれた。今日はお父さんも一緒だ。僕はまったくの初対面だったのだけれど、八王子のマキコさんが僕の話をしてくださったのだそうだ。
ぼくのお友だちの八王子で炭火で手廻し焙煎をするかた。アイヌのかたで北海道がルーツ。はじめて会ったときは、ジブリの映画に出てくる魔女みたいやなぁと思った。大きな瞳とグレーの長い髪、顔立ちもしっかりしてはって、けれども大きな輪郭のはっきりした優しい響きの声で語られる方。また会いに行かないとな。
こうしてご縁はついたり、はなれたりしながら、星と星のようにお互いの周期を進みつづける。ご縁というものはそういうものなのかもしれないなぁと最近は自分でもその感覚がしっくりくるような気持ちになってきた気がする。
たけうちさん母子は珈琲大好きなので、ぼくがリュックから出す道具のひとつひとつに、わーぁと声を出してくださる。すてきですね。けれど大変ですね。とお母さん。
けれど、自分が何かをひとにさせていただくときは、自分が納得するものを出したい。ただ珈琲ということではなくて、自分なりの世界観を宿すことができる道具で珈琲を点てたい。ただそれだけなのだ。
重いから。は理由ではないのだ。
自分が何を持つか。そしてそれとともに生きるのか。
それは旅だけではないような気がする。
大変なことは、しんどいことと必ずとも同義ではない。大変だけれど、そこに自分なりの必然があるときに、それはしんどいこと以上のなにかがあるのだ。
しっかり時間をつかってお話もさせてもらって。おうちにミルがないからと、僕のコーヒーミルでガリガリお家の分を挽いてもらいながら片付けをして、また僕は山道へと入っていく。さあこの峠を越えた先には今日のお家が待ってる。
夕方しっかり寒くなってくるころまでかかって、下宇和の喫茶SUNNYに到着した。夏子どもたちを連れた旅でもお世話になったミキさんがやっておられるとってもすてきな空間だ。今日はここでお世話になる。
ワラでできたマンモスのいる田んぼでカラオケ大会をバチコン開催してきたミキさんは「ごめんねー!」と軽トラックに荷物を満載で帰ってこられた。そして自分のこともなーんにもしないで布団を敷いて、お風呂にお湯をためて、ごはんの準備をしてくださる。もうね、ほんとにじんわりとしてしまった。
お風呂をゆっくり浸からせてもらったら、仕事終わりのロキちゃんも来てくれてみんなでワイワイと夜ごはん。食卓にはご馳走が並ぶ。相性のよいふたりはいつもいつも楽しそうに話していて、もうぼくはそれを聞いていると満足した気持ちになる。ありがとう。今日もあたたかい1日です。
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自分が自分でいられること。
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