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へっぽこお遍路日記28「あなたが微笑んでくれるだけで、僕はもう自分の存在を祝福されているように感じたよ。」
12月20日
まわった寺はゼロ
歩いた距離20km
自分ではのっそりしているつもりなの。もっと早くしたらいいのになぁって思いながらできない。けれどそれが結果として大きな流れに引き込まれるのにちょうどよいタイミングやスピードだったときに、物語は生まれるんだね。
これは今まで自分が感じてきた「いきあたりバッチリ」ともまた少し違ったもので、なんだかそのことがまだ捉えてきれていないんだけれど単純におもろいと感じている。
れいちゃん宿の朝、約束どおりに聖さんは6時に来てくださった。かという僕は2時まで焙煎をやっていたので仮眠程度でなんとか起き出したという感じ。どうもすみません。寝ぼけながらコーヒーを点てていると(すみません自分ではきっちりしていたつもりなんだけれど完全にボケた顔をしていたかも)、ちょうどみなさんもやってきて珈琲タイムを過ごすことができた。
そのあとれいちゃんの美味しい朝ごはんをいただいて、おにぎりも持たせていただいてちょっとのんびり目に出発!またMさんに昨日拾ってもらったローソンまで送っていただき、そこでよっちゃんへの珈琲と自分の必要ない荷物を送り返して(遍路ではどんどんいらないものは送り返して身軽になっていく、というか10gでも軽くしたいという思いが働いてきてみんな荷物を送り返してる)歩きはじめた。
最初の休憩。左手に浜のあるところで休ませてもらっていると散歩のおいちゃんが「どっからこられた?」と話しかけてくださった。そのおっちゃんを振り返ると道路の反対側には「うどん」と書かれた看板が。数日前に北海道から里帰りしていて、旦那の山さんは逆打ちの遍路を歩いていて、家族で四国旅行しながら2度会いに来てくれた山さんファミリーの奥さんのまきさんが言っていたことがフラッシュバックした。
「さっきね、高校の同級生でねうどん屋さんをしているお友だちファミリーを訪ねてきたんよー」
「まきさんそれってもしかして、ヘンプうどんも作っておられる人?」
「そう!知ってるの?」
「いえいえ全くお会いしたこともないんだけれど、僕の先輩もよかったら行ってみるといいよーと前から言ってくださっていたところなの」
そんな会話を数日前にしていたところなのだ。おっちゃんと話しながら、きっとここに違いないという思いが僕の中でもりもりと湧いてきた。
そして現実というのはなんとも楽しいもので、ひょこっとベランダに奥さんが洗濯物を干しに出てこられた。おじさんごめんよー!と思いながら
「こんにちはー!!まきさんのお友だちですかー!!!???」
と叫ぶと、奥さんこちらを見てニコッとされた。どうやらむこうでもあーこの子かぁ!となっているに違いない。
「あー知り合いかね?よかったがね!」とおじさんも喜んでくださった。おじさんとお別れてして僕はお家のほうに歩いてむかう。ちょうど話をしてくださったのだろう、玄関から旦那さんのまなぶさんが出てきて、がっちり握手をしてお家のお庭での珈琲タイムがはじまった。
もう持ってるとしか言いようがないやつ。まなぶさんも「いやさぁレキもね、マサのことをインスタであげてたでしょ。だからさ、そのうちここらへんにも来るだろうなって思ってたの。ちょうどいいタイミングだよ。」と喜んでくださった。
「お返しがいまないからさぁ、よかったら家に泊まっていったらいいよ」
もうダイヤのごとく輝くひとことにすっかり僕はノックダウンされてしまった。いやダイヤの指輪とか見たことないけれども。それぐらい輝いとった。うん、文句はあったらnote事務局までお願いします。
もうこの一言で、僕の足摺岬にある金剛福寺のあとの遍路ルートは打ち戻りで決まった。打ち戻りというのは、遍路にも決まったルートがたったひとつではなくて、距離だったり、山越えだったり、道沿いだったりいくつか選べるルートがあって、それぞれの制限時間だったり、体力だったりで自分の遍路ルートをつくっていく。足摺岬のあとどうすっかなぁと思っていた僕にとっては、こうしてキラキラ光る目標をいただいてしまったらもうあとはがんばるしかない!
珈琲セットをしまって、またすぐに帰ってきますー!とみんなに手を振ってまた海沿いの青空のもとを歩きはじめた。
大岐の浜というとっても広い砂浜があって、そこが遍路道になっていて、ザッザと小気味のいい音を立てる砂を歩いていく。混ざりっ気のない細かい砂で、貝殻がいっぱいまざっていて、ほんとにいい砂浜。そこを歩いていたときに、それこそ10年以上前に旅で出会ったスカさんから連絡が入った。
「知人に会って欲しいのでどこかで合流できませんか?」
ただの知人にしてはなにか執念のようなものを感じるなぁと思いながら、返信を打つ、「そしたら直接その知人からお電話いただくようにしてもらったらいいかも」と電話番号をつけくわえた。
そしたらかかってきた女性の一言目が
「こんにちは。すかがわの妻ですが・・・」
えー!!!!なんじゃそりゃ!笑
スカさんになんで言うてくれへんのですか!とメッセージを打ったら
「恥ずかしくて」と返ってきた。先輩、あなたどんだけピュアなんですか。サイコーやないですか。
ということで、先輩の奥さまと、生まれたばかりの赤ちゃんと一緒に過ごす時間。珈琲を点てながら思い出話しを聞いてもらったり、赤ん坊のことを教えてもらったり。
ちょうど日がやわらかくて、風もおさまっていたから、赤ちゃんもぐっすり物見台のところで眠ってくれていて。そうしてちょうど片付けたころにね、起き出してきて、そうして「いい家族のところに生まれてきたね。」と頭を撫でたらね、こっちを見つめてニコッと笑ってくれたの。あの笑顔にね、僕は自分の存在をそのまま祝福してもらったような、そんな気持ちになったよ。ブワッと大空に意識が抜けていくように。
ちょうどちょっと前に、ノーガードでこの世を生きていく話をzoom対談でしたんだけれども、赤ちゃんはまさにノーガードだよね。こんなに弱い存在なんだよ、お母さんがいないといけない、けれどもね赤ちゃんを前にしたら僕もふくめたほとんどの人はもう現実の自分たちが向き合っているもどかしさなんて忘れてしまうよな、なんだか不思議な感覚におちいっていく。それはきっと人間がこの世で生きてきたその歴史と同じ分だけそこに息づいてきたものなんだと思う。
のぞみちゃん、この世界に生まれてきてくれてありがとうね。お母さんに抱かれた彼女にそう声をかけて僕はまた遍路の道を歩む。
足摺岬に向けてはもう一本道。今日はどれだけお寺に近づけるかなと思っていたけれども、途中から「古代遍路道」と書かれた標識になんとなく吸い込まれるように山道に分け入ると、もうそこは植林もされていないようなもともとの森に近いもので、遍路道の道標が無ければどこかに迷い込んでしまいそうだ。
さすがに日がもう無くなってしまいそうで、もうこのまま抜けられなかったら大変なことになるので、国道が見えているところで遍路道から外れて国道に降りた。ほんとね、古代からまだこうして車社会になるまえの人たちはこのとんでもない山道を歩きながら四国をまわっていたのだと思うと、それこそ命をかけて回っていたんだと思う。
ところどころに大師堂があったり、お地蔵さまが置かれていたりするのは、そこで行き倒れてしまったお遍路さんを弔うためにたてられてものもあると、地元の人からうかがった。お遍路とはそれだけの大きなものだったのだろう。
遍路で自分が向き合っているものというものは、こういう想像というものを少しこえたような祈りに近いようなものなのかもしれない。その当時の遍路の思いを自分なりに重ねながら、いや重ねるというのはおこがましいことなんだけれど、そうして過去この同じ道を歩んでいった先人たちに思いを旅立たせる。そんな日々と現実の目の前の行ったり来たりのような毎日だ。
夕方になって、足が重くなって、足の裏がいたくなってくる。もう日は無くて、どこで夜を過ごせるだろうかと地図をみると3km先に無料の宿泊所があると出ている。あと小1時間。なんとか足を半分引きずるようにして歩いて、集落にたどりついた。
買い物だろうか車から降りてきたおばちゃんに
「お兄ちゃんどこまでいくの?」
と聞かれて、その先の休憩所までと伝えた。
「あそこはもうしばらく使われてないからね、汚いかも知れんけどね、泊まったらええよ。道の向かいのブロック塀のお家にね、声をかけたら大丈夫。もう門もしまっとるじゃろうから、声がとどかんならそのままでも大丈夫やき。」
そう言ってもらって。最後の数百mを歩いた。
「あんた食べものはもっとるかいね?」
少し離れてからおばさんがこちらに呼びかけた。ありがとうございます!今晩の分はあります!そう手を振って僕はまた前を向く。
少しうらぶれた感じの休憩所は電気もなくなってしまっているけれど、半分屋内ようになっていて、そこには大きな畳サイズの板間があって、そこでマットをひかせてもらって、ガスで湯を沸かし、簡単に食事をとったあとはもう寝袋にくるまって横になった。さすがに睡眠3時間のあと1日よく歩いたものだ。
眠りに落ちたのは7時過ぎだったように思う。
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