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自分を見つめる⑧
「お遍路をするために四国にやってきて、あの杖を手にして外を歩きはじめた瞬間、なんか世界が変わったんだよね」
お礼参りのために、高知を訪れた。
室戸岬をグルっとまわったところにある、道の駅まで駆けつけてくれて、カツオのたたきを子どもたちと一緒に作りながら夕食を振る舞ってくれたタケちゃん。
カラダも心も大きな人だから、僕はタケちゃんとすごーいながい付き合いではないんだけれど、僕が大好きな友人だ。
彼のおうちでコーヒーを飲んでいただきながら、旅の振り返りをしていたときに彼がふとこう言ったのだ。
「それはほんとにすごい経験で。遍路の杖を持ったとたんに、まわりの人たちの自分を見る目が変わったんだよね。そして毎日毎日いろんなかたにお接待をいただきながら遍路を歩いたんよ。それがあって、今度は僕もそういう場をつくりたいと思って四国に引っ越してきた。」
それを聞いたときにゾワゾワした。
お遍路さんという文化のある四国を旅して、僕たち自転車組みもその文化のおかげでいろんな方に声をかけていただき、そしてお接待をいただいた。ほんとうにありがたかった。
と書くのは簡単なのだ。けれども僕はゾワゾワした。
当たり前のように、四国にいるみんなが語るこの88の寺を歩いて参るお遍路とそれを支えるお接待という地元の人たちが受け継いできた文化。僕ももちろんそれを知っていたし、いつか自分も歩いてみたいなぁぐらいは思っていた。
けれどよく考えてみたら。どう考えてもおかしい。この遍路文化は1000年以上続いていると言われていて、1000年前って平安時代とかだ。江戸時代だったらまだ、わーすごい!老舗!ありがたい!とか思えそうだけれど、平安時代ってまだ「さあ仏教をつかって国をおさめることにしよう」と平城京、平安京、言うてた時代のことで。
僕たちがよく知っているつもりのお侍さんや、将軍や、江戸のそのもっともっと前なのだ。
そのころの価値観と今のそれなんて地球と月ぐらい離れているはずだし、そもそもそのころから今まで脈々となにかが続いているということはどう考えても不思議でしかない。
なにが言いたいかというと。
お遍路は
時代も
価値観も
社会も
文化も
いろんなものが変わり続けたなかで、
当たり前のこと
として残っているのだ。
そのすごさを感じてしまった。そして目の前にそのお遍路に人生を変えられてしまったタケちゃんが座っている。
これはもうその当事者にしか分からない。絶対に。
「文化だから」とかもう口がさけても言えない。相手は1000年だ。僕は37年。
このときに次の旅は遍路しかないという激しい思い込みをして、タケちゃんに遍路として戻ってくるよ宣言をしてしまい、お家をおいとましたときにはもう電話で遍路の衣装の相談のためにアトリエふわりのヒロミさんに電話をかけていた僕。
よし、これでやっと遍路のことが書ける!笑
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自分が自分でいられること。
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