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へっぽこお遍路日記25【こんないい日のことを綴るのに、僕は「こんな寒いのになんで薄着なんですか?」という質問に答えてしまった。】
さみー!さみー!サミーソーサ!←知っている人は知っている。
僕の寝袋のスペックはマイナス1度までなんだけれど、上下のダウンを合わせたらマイナス2度でもいけることが分かった。たぶんマイナス5度ぐらいまでなら大丈夫な気がする。そう、寝るときは大丈夫なのだ。だったらダメなのはいつだ?
そう。
起き出すときだ。
いままでまとっていたあったかい空気を全てマイナスの世界に手放してしまうのだ。当然残るものは。
冷え切ったカラダだ。
それももう、あったかくなることはないカラダだ。
だから今日は目覚まし5時15分にしていたのに、15分葛藤した。このまま日が出るまで寝ていたいと。しかしだいぶ自分を奮い立たせて寝袋を剥ぎ取った。しかし奮い立ったのは気持ちだけで、やはりカラダは冷え切った。
こうなりゃもうどれだけ早く歩き出すかしかなくて、もうとにかくがんばって荷物を赤いヘッドライトで詰め込んで小屋にお礼を伝えて歩きはじめた。そう、歩くことでしかあったかくはなれないのだ。
峠までの1時間。真っ赤なライトで登った。へんろ道から外れないか心配だったけれど峠道の入り口より先は一本道なので助かった。そうしてちょうど峠に出たときに空が染まっているのが見えた。
日が出るまでね。それまで大変なんすよ。なんでか。
休めない。休んだらせっかくあったまった体の熱が全部またマイナスの世界に出ていってしまう。太陽が出るまでは、太陽が出るまではー!
あと200m先にお日さんが当たっているのを見たときは、もう走り出したいくらいやったよね。うん。
もうねSNSでコメントいただくんだけれど、ひとつひとつお返しする余裕もないからこういうときに書いておくね。うん、勢いだよ、文章の流れは止まってしまうかもしれない。けどね、書くのです。
「あの薄着で大丈夫ですか?」とかよくいただくんです。
大丈夫です。やせ我慢とか絶対しませんから。
どうして?そうです、体が資本なんです。体がダメになったら歩けないんです。
じゃあなんで薄着かというと【汗をかかないため】です。
汗かくとね、そりゃジョギングやランニングして家に帰って着替える人はいいですよ?けれども一日中冬空の下にいる僕にとって、汗をかきすぎるとそれはもう乾きません、それどころか体温をどんどん奪います。だから行動しているときにちょうど良いくらいの体温調整できる選びかたをしています。
ごめんなさいね。僕は旅の精神の部分はよく書くのですが、こういうこと書かないんでご心配をしてくださっている方もたくさんいると思うんです。けれど大丈夫です。僕こう見えてもマイナス25度のアラスカとカナダを毎日キャンプしながら横断したので。だから心配いただかなくても大丈夫ですよー。
体調管理。体力。精神。
全部大丈夫です。こうしてブログで書ける余裕があるということです。すっかり旅の体調管理ブログみたいになってしまった。ごめんなさい。戻ります。
さて、今日行く37番札所岩本寺は僕の栃木のお友だちの住職の親戚なのだそうだ。その名も青龍寺さんという。苗字がだ。最初聞いたとき、びっくりした。
その青龍寺さんのお父さんのルーツがこちらにあるとは聞いていたのだけれど、親戚だとは知らなかった。
実は、この遍路旅の前にその青龍寺さんにご挨拶にいったときに
「今度親父が遍路をまわるから、西川くんと会うかもね!」
と楽しく話してくださっていたのだ。そのお父さまが、遍路旅に出る直前に旅立たれた。その知らせを受けてから、僕は青龍寺さんのお父さまには会ったことがなかったのだけれど、そのお父さまのことも思いながら歩こうと決めた。
そして今日岩本寺に参って、納経所のおばさまにそのお話を出すと、前住職(住職のお父さん)を呼んでくださって、そのお父さまに青龍寺さんの名前を出すと懐かしそうに語り始めてくださった。
青龍寺と名乗るようになった物語。ご自身ももう何十回と門徒さんを連れてお遍路をまわられたこと。それからお互いに旅した外国のこともお話させてもらった。なんとも空まで抜けるような明るい気を持っていらっしゃるかたで、お話をさせてもらっているだけでも気持ちがスーッとクリアになるようなそんな素敵な方だった。
青龍寺さんに一緒に写っていただいた写真を送って報告したら「ほんとに親父が遍路をまわっているようだ」と喜んでくださった。こちらこそ素敵なご縁をいただきました。ありがとうございました。
午後にはまた素敵な再会。
僕の前に車が停まって、だいたいこういうときは「おー!もしかして誰か僕のことを知っている人かも!」と横を通り過ぎるとき、だいたいお仕事の電話をしていらっしゃったり、女性がお化粧を直しておられたりするので、もうあんまり期待しないようにしているのだ。だから通り過ぎた。そしたらお呼びがかかった。
「まさくん!」
ほんと申し訳ない!やまさん!今回はほんとのやつだった!笑
いまは歩き遍路を終えて家族旅行中のやまさんファミリーがまたこちらに来るときに会いに来てくださったのだ。ありがとう。今日は息子の楽くんもまえよりのびのびしていて、一緒に少しだけれど遊んで、嬉しかった。でっかいどら焼きの差し入れに、おみかんもありがとう。また必ず会おうね。
それからそれからポートランドのさきさんから電話が入った。僕のことを英語で紹介してくださることになってインタビュー。もう声を聞いただけでも嬉しかったもんね。彼女の旦那さんのJOELがやっているクーリエコーヒー。僕がポートランドを訪れたときに、行きたかったお店についたらなんと結婚式が明日あるということで、オーナーJoelには話せないかなぁと思っていたら、スタッフが「明日のパーティの打ち合わせに今から来るよ」と入ってきたのがサキさんだった。
あれまー?日本人の奥様なのねー!と思いながら、そのあとで入ってこられたさきさんのお父さまお母さまと仲良くなって、「おい!さき!この人にも明日の結婚式に来てもらおう!」とまさかの展開になって今もお友だちでいる。
こうして書きながらなんて幸せな人生を送らせてもらっているんだろうと思った僕はしあわせ馬鹿なのだろう。
もうね、さきさんほんとに見ている世界を電話しながら共有しているのが分かって嬉しかったな。ほんとにありがとう。
さてまだ終わらないトゥデイ。
ラストは、香港フリーコーヒーのあとのトークライブに来てくださった野村さんが迎えに来てくださって彼のお家に泊めていただけることになった。25km歩いてたどり着いた温泉で待ち合わせをして、ゆっくり浸からせてもらい。それからお家へ。奥さまはタイのかたで、とっても懐かしい香りがキッチンからただよっている。そう、タイ料理だ。
もうねー黒鯛のトムヤムくんが絶品だった。しっかり辛みも効いているのにカラダに染み込んでポカポカしてくるようなスープ。ほんとに美味しかったなぁ。仲の良い子どもたちともちょこっとお話もできたし、奥さまには今度タイ料理を教えていただく約束までしてしまった。
すっかり9時をまわってしまってそれからブログを書いているのだけれど、こうして書いていても良い一日を過ごさせてもらったと思う。今日関わりを持たせていただいたすべたの方に愛を。コップンカー!!!!!
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自分が自分でいられること。
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