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へっぽこお遍路日記50「果たして相手に届くものだけが愛情なのだろうか?」
1月11日 78番〜80番札所 歩いた距離21,3km
昨日の無理(暗くなってからも歩き続けた)が祟ったのか、朝から足の重いスタート。いや、昨日の夜にコインランドリーで久しぶりの洗濯をしにいって寝不足だからだろうか。なんせ、しんどかった。
坂出の商店街を抜けてずーっと商店が続いている通りで家の前をホウキではいているおっちゃん。
「おはよう!お遍路さん!若いね!どこから来たの!?」
いつもの感じのやりとりなのだけれど、おっちゃんが全部歩いていることを聞いたときのびっくりした様子と、それから「これをしないと母ちゃんがメシを食わせてくれないんだよ!」と言っているときの感じが、とっても素直な感じでええおっちゃんやなぁと思った。
僕が通り過ぎたあとも、近所のひとが通りかかったのかおっちゃんの元気な声が僕の背中に聞こえてきて、日常というものは、こうして家の前、目の前で重なるものなんだなぁと改めて実感した。とはいう僕はこうしてブログでネットに文章を書いて見てもらっているのだから、なんとも言えないのだけれど。
だいたいこういう「しんどいなぁ」というイメージが頭にこびりついているときには、そのままその日の行動すべてにその影が落ちる。ちょっと休憩にと立ち寄ったスーパーでそのままのんびりとしてしまう。ちょうどリュックも一緒に腰を下ろせそうな高さのベンチや塀があると、どっこいしょと座ってしまう。足がそもそも前に進まない。それにつられて情けないなぁと思ってしまい気持ちがマイナスループみたいなことになる。
それはどこかこうして自分のペースで歩いているように思いながらも、月末にある講演会に間に合うかどうか、という焦りだったり、自分はもっとがんばらないといけない、それを見せないといけない、というような思いが掃除で拭き残した床にホコリが溜まっているように、自分の心のどこかにいつもとどまっていて、それがそのときの自分の状態によって表に現れてくるような、そんな思いがした。
「うちのうどんは、あっためると美味しくなくなってしまうからそのままのほうがいいよ」
寒い日だからあったかいうどんが食べたくて、けれども水でしめた麺にあったかいツユをかける「ひやあつ」というスタイルは、全体的にはぬるいのでなんだかなぁと思いながら、すすめられるがままにそれにした。
あ、おあげさんある。
それが唯一の僕の抵抗というものだったろうか。あついもの、あまいもの、これが疲れているときには染み入るから。
案の定ぬるいうどんは、しかし麺はほんとにこれまで食べたどこのうどんとも違ってツルツルだった。ツルツルなのにコシもしっかりある。こりゃご主人がこれで食べてもらいたいわけだ。
遍路が少なくなっている。
お寺の納経所のひとも食べに来てくれるんだけれど。
今年はバスもやってこない。
うちもなかなか大変だよ。
恨み節のように書いたらなっちゃうんだけれど、どちらかというと悲しい意味合いが含まれているように聞こえた僕は、それに答えるわけでもなく、ただ相槌を打ちながら受け止めていた。
ちょうど食べ終わったころ。
「いやぁこんな大変なときによく来てくれたよ!」
という言ってご主人はサッと冷蔵庫から冷えたミネラルウォーターを手渡してくださった。寒いときだから、あまり冷えた水は飲まないんだけれど、けれど自分がただうどんを食べに来た存在なのにこうして何かをしてくださることがそのまま嬉しかったのをよく覚えている。
きっとこの人はこの少し荒い物言いでずいぶん誤解されやすいんだろうなぁ。けれどもその芯のところには彼なりの愛情がこもっていて、それを彼は大切にしてきたんだなぁ、そんなイメージが湧いてきた。この感情は、この思い出とともに一緒に記憶に刻まれる。人と出会うということはそういうことなのかもしれない。
国分寺にお参りをし、そのわきから今度は山道に入る。
山を手前にチカラが抜けてしまって、お墓のあるところの空き地で、コンクリートの上に仰向けになった。しんどい1日でも、こうして日が差せばあたたかなことに感謝しながら。時計を見ているわけではないけれど、たぶん10分くらい意識が飛んでカラダがスッキリする。
ちょうど山に入るところで地元のおじさんに
「今日はどこまでの予定ですか?山道も急だし暗くなりますよ。」
と声をかけていただいた。
「山の上のどこかで野宿させていただこうと思っています。お気遣いありがおつございます。」と答えると、おじさんはお気をつけてとまた散歩に戻っていかれた。
ちょうど山を登り切ったところで、町が一望できた。少し見上げるとそこには展望台。東屋さんになっているのでちょうど良さそうだ。今日はここで野宿をさせていただこう。お昼に買ったバナナとコロッケの簡単な夕食。
今日は早めに休んで明日に備えることにしよう。
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