大人も子どもも、みんなで一緒に生きていく【5/8-5/15】
師匠と3人過ごしたニューメキシコの時間は静かで濃密で賑やかで、とてもシンプルだった。だからこそ、帰ってきて元の日常のペースに戻るのは少し大変だった。
一緒に活動していくというのは、お互いの体調や心のバランスが「ふたり」という共同体にもお互いにもとっても影響を与えるということ。げんきなふりをしてもしょうがない。だけどエネルギーが落ちてるままだと未来を呼び寄せるような創造的な対話はできない。そんな時私たちは止まる練習をしているし、そのたびに、お互いの存在に、自分たちが教わったことに、そして自分たちがその教えから生み出したものに助けられる。
金曜日の朝ふたりで豊橋に向かう車の中で、ひらがなを話す会でみんなとやっている「全部の私の声を聴く」のワークをした。ひでが話す。私が声を出す。問いかける。また声を出す。シンプルに型通りにひとつひとつのプロセスを進む中で、何かが流れていくのを感じた。何が流れたのかはわからなくていい。ただ自分の中の流れが気持ちよく流れているなら健康!
準備が整った私たち、豊橋についてオンラインのひらがなを話す会。大切なことが大切に分かち合われ、図らずも嗚咽するような涙、怒号、はたまた堪え難い爆笑まで、なんともたくさんの感情を味わい尽くした。どうやったらそんなことになるんだと思うかもしれないけど、ひらがなを話す会を共にした人たちにはすぐわかる。(生涯続けていきたいことの一つですので、次の開催は未定ですが必ずまたやります。その際はぜひ一緒に過ごしましょう!)
ひらがなの会の6人と過ごす3時間を終えた時私たちは、またひとつ流れるものが流れて、またひとつ健康になっていた。
この週末のEarthPartnerの仕事はとても幅広かった。ひらがなの後金曜日、土曜日と会社組織のリーダーの皆さんとの場を共にした後、日曜日は親友JOEが10年間想いを込めてやってきたこどもオモ部の20名の自由な子どもたちとの時間。というわけでこの3日間一緒に過ごした人の年齢は6歳から50代半ばまでととっても幅広かったけど、彼らを見ていて感じていることはずっと似ていた。走って飛んで跳ねたくてうずうずしている魂たちと一緒にいたような気分。
オモ部には私たちの友人の息子が参加している。みんなの間を妖精のように自由に飛び跳ね声を出しながら漂う彼を見て、彼の母である友人の存在を感じた。彼は自由で、礼儀正しい。寝転んでいる人の上に乗る時、なぜか必ず揃えて靴を脱ぐのだ。それからおもむろに人の上に乗って、寝る。そして立ち上がり、満面の笑みで鼻歌を歌いながら跳ねるように歩いて、疲れたら体操座りでみんなを眺める。何をしてるんだきみは。なんておもしろいやつなんだ。ああきみは間違いなく、私たちの大切な友人の大切な息子。こうやって、「大切なあの人」とか「大切なあの人の大切な人」がひとりずつ増えていくたび、「全てと関係がある」感覚がまたひとつ強くなっていく。
そして、この子どもたちの将来を思うとき、金曜土曜と場を共にした大人たちのことを思い出す。あの人たちがいるから大丈夫。あの人たちが今日も世界を耕してくれている。この子達に何か困ったことや迷いが生じた時、あの勇ましくて優しくて陽気な大人たちが彼らの希望になる。この子達が生きるこの世界には、あの頼もしい大人たちがいる。みんなでこの子達を、この子達が生きる未来を、大切に育てていける。
誰かの存在に頼もしさを感じられる幸せと、今日もあなたが幸せでありますようにという祈りの時に浮かぶ顔が増える喜びをみんなからもらっています。ありがとう。ありがとう。
今日も一緒に生きていきましょうね。
EarthPartner
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