私と子どもは同じ人間で、そして私はおとなである【5/15~22】
私たちの場は本当に幅広いいろんな人がいる。その中でも特に子どもとおとながひとつの場、学びの場に参加してくれた時、「おとなであるとはどういうことか?」という問いが大人たちにもたらされる。
子ども達はまっすぐで、心が開いていて、傷つきやすかったり、揺れたりする。命の揺らぎをそのままに見せてくれる彼らとどう同じ人間として共にいられるか、かつ大人としてどうホールドし共にいることができるのかという問いが、その輪を共にしている全ての大人にもたらされる。
子どもと私は同じ人間であり
そして私はおとなである
「子どもたちと自分は同じ人間である」ということを忘れると、自分と相手のいのちが放つ光そのものと一緒にいるのが難しくなる。未熟だ、だめだ、わかっていないというジャッジが頭と心を駆け巡り、共にいて感じるという「共感」がなくなってしまう。
自分がそうなっているなあと気づいた時は、おめでとう!気づきと学びの時です!彼らのいのちの光と自分の光をどんな風に味わうことができるかという問いを持って、感じてみましょう。それはあなたの「Being」に栄養を与えます。私は私であること、私たちはみんな同じ光なんだという場所に触れられた時、愛おしさや感謝や祝福があなたの内側に感じられると思います。あなたも私もみんな、生まれた時からずっとただの光。
一方で、「私はおとなである」ということを忘れると、ホールドする力が放棄される。なんでもいいよという放置を見守りと呼びだすか、もしくは反対に自分のことしか考えられなくなり、私は私のままでいいんだもん!という大きな子どもが爆誕するかのどちらかになる。
自分にその感じを察知したら、おめでとう!気づきと学びの時です!まず自分自身の声をもっと聞きましょう。あなたに聞かれたがっている癒しを必要としている声があるのかもしれません。そしてその次に、子どもたちと共にいて彼らをどうホールドできるか、どうホールドしていきたいのかを感じてください。そこにはあなたの「Becoming」の可能性がいっぱいあります。大げさじゃなくて、あなたの周りの世界にあなたがもたらすことのできるギフトや貢献がそこにあります。
子どもたちとの関わりだけでなく、おとな同士の関わりでもこれと同じことがよく起こっている。起こっているな、やってるなと気づくことが偉大な第一歩。それから、何が必要なのか自分の声を聴く、シフトする。これをずっとずっと繰り返していく。これが、自分の経験から学ぶということ。学ぶことは生きることとはこういう意味。
簡単に書いたけど、この「何が必要なのか自分の声を聴く」も、「シフトする」も、言葉を知っているのと実際に自分がそれを生きるのは全然違う。本当に自分が知っていることを「生きて」いるとき、それは自分の身近な周りの人に一番伝わる。自分は生きやすくなり、周りには「この人は何かを知っている」というインパクトを与える。
古の人々の智慧の中では、「エルダー」という概念がある。この言葉は「長老」と訳されたりする。ウィンドイーグルが教えてくれたことは、「私今からエルダーです!」と言ってなれるようなものではないということ。智慧と経験が豊かであり、その豊かさが周りに伝わり認知された結果、「エルダー」として認知されていくのだということ。
こうやって知っていることを生きていることにひとつひとつ血肉にしていって、地球を生きるいいおとなになっていきたい。そしていつか、孫たちの生命を力づけるおじいちゃんとおばあちゃんになりますように。
みんな今日もそこここで、一生懸命生きて参りましょう。
EarthPartner