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お腹ピーピーな昔ばなし

僕はお腹が弱い。
小学生のころから、朝から快便だった日はない。
便秘と下痢の繰り返しだ。

心理的な要因から急な腹痛に悩まされることもある。
移動中にモヨオシて、間一髪!のような事態も年に数回は発生する。

OPPな昔ばなし。

忘れもしない。
中学校3年生の高校受験の合格発表の日だ。
人生ではじめて野糞をした。

住んでいた家は新築の一軒家。専業主婦の母はいつも家いた。
だから、僕は家の鍵を持ち歩いていない。その日も鍵を持っていなかった。

モヨオシながらチャイムを押しても反応はない。
裏口に回って、窓から家の中を覗きまわっても人の影はない。
犬が気持ちよさそうに寝ているだけだ。

キリキリと迫るタイムリミットを感じながら、イライラしながら家の周りを徘徊していた。
鍵が空いた窓はないか、隠された鍵はないかを探しながら。
緊急事態時に不在の母親を恨みながら。

いよいよ我慢の限界。
家には入れない。トイレはない。
近隣の商業施設は間に合わない。
違う手段を考えるしかない。
庭かガレージか。
はたまた。

家の横は広い空き地だった。
四方は背の高い木々に囲まれ、関係者外が出入りしにくい環境である。
150坪ほどの住宅街の空き地が、僕には大きなトイレに見えた。

唐突だが、皆さんは屋外で排便したことはあるだろうか。
もしかすると、小便くらいは体験した人はいるだろう。
幼少のころの大自然で経験した放尿に、多少の罪悪感と開放感を得た方もおられるだろう。

人生ではじめの野糞は、それを遥かに超過する体験だった。
圧倒的な罪悪感と羞恥心、誰かに見られているかもしれない緊張感。
そして、限界を迎えた肉体的緊張からの開放は、脳に強烈な刺激を与えた。
開放を超えた快感。そして、何かを失った虚無感。
僕はそそくさとその場を後にすることしかできなかった。

これ以降も、僕はやむを得ない野糞を数回体験することになる。
もう二度と同じ体験はしたくないと思うけれど、たまに訪れる不幸としてこれからも受け入れるしかないと思っている。

P.S
母は僕の合格発表を見るために家を出ていた。少し考えれば分かることだけど、極限まで追い込まれると人は視野が狭くなるものである。
そして、不出来な息子を持った母も合格発表の緊張のために腹痛に襲われていたようである。高校には無事合格していた。

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