サティが聴こえる
私には色々な問題があるけれど、やはり、北への依存症はひどい。
最初に会った時から、なにか特別な気はした。
悪い意味で。
北は仕事が出来て、人からの頼みは決して断らず、人が気づいていない仕事までこなし、そうして冷淡だった。
スカしやがって。
私の印象は、そうだった。
部署違いの北とそんなに関わる事は多くなかったけど、なかなか有名人で、かつ、まあイケメンの類だったので、女の子の噂話からよく聞いた。
「王子様みたい」
そんな事を言う子もいた。
あれか、白馬に乗って、カボチャパンツに白いタイツのやつか?
その間抜けさに私は笑い、私から発信して、北のあだ名を王子にしてやった。
慕われてもいたし、そうやって女の子の人気も高かったのだが、北は誰にも優しげに見えたが、誰にも打ち解けてないのは明白だった。
あまりに女関係の話を聞かないので、ゲイなのではという憶測が実しやかに囁かれ、それもまた、女の子たちを騒がせた。
アンドロイドみたい。
私は北を評する時によく使った。
人間味のない、体温の低い感じのする北にぴったりな表現だと思っていた。
どうでもいい話だが、楽しい同僚が
「なぎさんがよく言う…ミトコンドリア!」
何一つあってない。
私がいつアポトーシスについて語った。
あれには大笑い。
北は私より7つ下で、まあ挨拶くらいはするし、失礼なあだ名もつけたけど、それ以上の関係はなかった。
北と同じ部署の、私より10歳年下の男の子と、なぜか仲良くなり、よく懐かれた。
彼は学歴もあったが、本当の意味で頭が良く、そうして生意気だった。
当時23、4歳の男の子の生意気など、私には可愛らしく思えたのだけど、社内での彼の評価は低く嫌われていた。
同世代が嫌うならまだしも、私より年上の人にまで嫌われていた。
しかし、彼は仕事で必ず結果は出す。
彼のなにが問題なのか私には分からず、付き合いを続け、その後、転職前の職場から私の13歳年下の女の子を引き抜いて入社させ、ちょっと不思議な3人組が出来上がった。
彼は北を素直に慕っていた。
他には批判的な彼がそんなに慕うのだからいい人なのかも知れないけど。まあ私は嫌いだけど。
その感情は伝えてなかったけど、13歳年下の女の子は、北が嫌いだった。
決定的だったのは、北の同僚から、私の部署にある部品の発注を頼まれたのだけど、それは大変珍しいもので、まず、普通には使うことのないものだった。
私は本人に何度も確認して、似た型番のこちらではないだろうかとカタログ付きで説明したが、間違いないと。
釈然としなかったが、急いでいるのでお願いしますと強く言われ、発注した。
そうして、私が有給をとった次の日、13歳歳下の女の子は泣いていた。怒りで。
発注を頼んだ本人は長期休暇を取っていたらしく、引き継ぎが行われた北に、発注した部品が届いた事を伝えに行くと、これが予想通り、欲しい部品と違うものだと。
かなり特殊なもので、返品ができないことは同僚に何度も伝えた。
13歳歳下の女の子は、まだ経験も浅く、私がいなかったので指示を仰ぐ事も出来ず、少し呆然としたようだ。
それを見て、北が、
「俺が買取ります」
と、たいそう的外れの事を言ったらしい。
そういう問題ではない!と彼女は怒っていた。
まあ、気持ちもわかるが、とりあえず宥め、どうも北に対して失礼なことも言ったらしく、私は先輩として謝りに行った。
北は、私の謝罪に来た意味もよくわかっていないようで、そうして、
「俺が買取ります」
だからそういう問題ではないので。
トンチンカンな人だ。
とりあえず不良在庫は増えたけれど、私の負担ではないし。若干じゃまなだけで。
ちなみに件の同僚は謝罪にも来なかった。
そうして、何年か経ち、北がいきなり退職した。
いきなりと思ったのは、周囲の人間だけで、北はかなり以前から退職の機会を窺っていたらしい。10歳年下の北の同僚は知っていた。
ものすごく引き止められたらしいが、決意は固く、北は会社を去った。
その1ヶ月後、なんとその10歳年下の男の子も退職した。
北がいないこの会社に未練はないと。
もうすでに神戸に転職先も決めていて、これも止める術もない。
そうして、13歳歳下の女の子も別の理由で離職し、私だけがなんだか責任と仕事を押し付けられ、少し不機嫌なお局様として残った。
一年ほどたった頃、10歳年下の男の子が帰省して会いに来た。
ご飯行こうようって。
私は即快諾したが、なんと北も一緒だと。
よければ、他のひとも誘ってみてと言われて、13歳年下の女の子や、同僚に声をかけて、北のネームバリューか、結構な人が集まろうとしたのだけど、仕事のトラブル、急な深刻な体調不良など、嘘みたいな偶然がつづき、結局、私と北、10歳年下の男の子、13歳年下の女の子の4人で会うことに。
13歳年下の女の子は、直前まで、北となにを喋ればいいのかわからないと悩んでいた。
しかし、集まってみればそれは杞憂で、北は雄弁ではなかったけれど、聞き上手で、それでいて話題もうまく提供し、適当に入ったファミレスで5時間くらい過ごした。
「北を見直したよー。あんなに話すんだ」
13歳年下の女の子はそう言った。
それから、10歳年下の男の子が帰省するたびに4人で出かけた。
実は、私を食事に誘う前も、ひっそり帰省していて、男同士会っていたけど、全く会話が弾まず、なら、私を誘えば楽しいんじゃないかって、北から発案があって声をかけたのだと知る。
でも、うすうす感じていたけど、北は私に好感は持ってなかった。
私が北を薄情な人間だと思っていたように、北も、私をチャラチャラして軽薄な人間だと思っていたから。
そうして、私も転職する運びになり、新人研修で、汽車で(私は電車のない県に住んでいる)1時間かかる別の市に通わなければならなかった。
おりしも冬。しかも大雪。
ダイヤは乱れるしアクセスも悪すぎた。
運転は出来るが、免許が取れた事が奇跡の下手さで、自家用車で通えない。
すると、ちょうど暇していた北が、運転手を引き受けてくれた。
ちょっと驚いたが、渡りに船とはこういうことかと、ありがたく好意を受け取った。
お礼はファミレスご飯。
安上がりな人だ。
そこから2人で会うようになり、夕方から朝までファミレスにいたり、何時間も電話したり。
私は、13歳年下の女の子にしか話してなかった事を北に話した。
不倫のこと、幼い頃の性的被害のこと、自傷行為をしてしまうこと、隣の世帯持ちの旦那から不倫を持ちかけられてつきまとまれてること、宅配のおじさんにストーカーされてること。
話しても話しても、私から話題(全く希望のない)は尽きないし、北は聞けば聞くほど、私をほっとけなくなったらしい。
そうして、1人暮らしのアパートに、泊まりがけで飲みにくることも日常になった。
3ヶ月間、私たちは本当にただの飲み仲間で、それらしい雰囲気になったこともなかった。
隣の旦那にはいい牽制になったし、北といる時間は楽しかった。
そんな時、北の臨時採用の仕事が切れて、新たに採用されたのが、私の不倫相手のいる職場だった。
動揺した。多分私は顔に出ていた。
理由はわからないが、北と不倫相手を、会わせたくなかった。
そうして何気ない夜に、不安定なった私を落ち着かせて眠らせるために寄り添って寝て、その時初めて一線を超えた。
潜在的に私から誘った。
これもまた理由はわからない。
北を男として認識する前に関係を持ってしまった。
そうなってからは、やはり、不倫相手と結局二股をかけてることになるし、仕事は忙しいし、隣の旦那や宅配のおじさんも鬱陶しいし、一気に私の精神状態は悪化した。
一度、火傷をした事があって、左の親指の付け根にうっすらとしたあざがある。
その上を、血が滲むほど噛む。
不思議と噛み跡に見えず、私は
「おっちょこちょいだから、また火傷しちゃった」
と、周囲に笑いながら話す。
私は北の目の前でも噛むようになった。
北は、噛むなら俺の手を噛めと言う。
出来なかった。
北はほとんど日参し、自傷行為を繰り返す私を見張り、苦手な分野の家事を手伝い始めた。
重いものは持ち、高いところの作業をし、荒天の運転をする。
20歳から一人暮らしで、どうにか折り合いをつけていた苦手な作業のやり方を、私はいっぺんに忘れた。
そうして、職場から車で10分のアパートを引っ越し、北の家からも離れた土地に来ても、毎週訪れた。
仕事場では頑なに昇進を拒んでいたが、資格持ちをそうほっといてはくれず、マネージャー職になり、当然責任は上がる。
好きな現場仕事の手も抜かないので、ただただ忙しない日々を送っていた。
その間も、不倫相手と別れたりひっついたり。別れたと言っても、私から一方的に連絡を拒むだけで、相手はそんな気はなかったようだ。
職場関係の人からセクハラされた挙句に、勝手に結婚すると思い込まれ、なぜか自家用車を査定に出されたり、新人を育てては他部者に奪われたり、信頼していた上司が相次ぎ退職したり。
忙しい中でも唯一癒しであった職場も、居心地の良いものでは無くなってきた。
そんな時、社内で深刻な不正が発覚し、最初に気づいた部下が相談に来た時は眩暈がした。
しかし、新たな上司が下した判断は、見て見ぬふり。
義憤に駆られたとか、高尚なものではなく、私は単純に絶望した。
精神的にもぎりぎりだったが、肉体的も限界で、私は文字通り倒れて、退職した。
退職後はすぐに就職活動をするつもりでいた。
しかし、体はあちこちガタがきていて、思うように行動出来ない。
辞めた会社から、矢のように戻ってこいと電話が続くのも苦しかった。
次第に私は食事をとらなくなり、酒を深めた。
勝手に通院をやめ、市販薬の乱用を始めた。
北は、基本的には何も言わず、ただそばにいた。
以前からあった記憶の混乱が顕著に見られ、自傷行為はやまず、一時期は足の爪全部、また足の裏の皮膚をほとんどひっぺがしていた。
その頃から、病院を勧められていたが、私は動くこと、考える事を放棄していた。
もうこれ以上は無理だ、というところで、無理矢理病院に連れていかれ、解離性記憶障害と診断されて治療が開始した。
ただ、治療を始めた事で免罪符が出来て、私は更に思考停止して、廃人同様になった。
北はそばにいた。
去年、ささいなきっかけで生活を見直して立て直す間も、じっとそばにいた。
私は、自分でも呆れるほど回復し、そうして年末には一見正常になったと思えるほどにまでなった。
しかしまた、さまつな出来事でその自信は失われて、記憶を無くしたり自傷行為が目立つようになった。
けれど、不安定ながらもまたやり直し、どうにか日々を過ごしている。
今月、私から提案して、会うのを減らそうと言ってみた。
北は、不安げだったが、私の考えを尊重してくれた。
今週は会えない。
やはり私は安定性を失い、おっかなびっくりで過ごしていた。
その上、極めてイレギュラーな事が発生し、私の手には負えない。また、来週までとゆうちょうなことも言っておけない出来事があった。
結局、私は北を頼った。
かまわない、行くよと。
「君の性格だと、気に病むなといっても気にするだろうけど、気にするな」
自分から提案しておいて、あっさりそれを翻して北に来てもうことは、苦痛だ。
深夜でも望めば電話もするから、とにかく自分を傷つけることだけはしてくれるな。俺を労わる気持ちがあるなら、それを徹底しろ。
そう言われて、私はどうにか最後の踏ん張りで頑張ってる。
北は、私と会わなければどんな人生を歩んでいたんだろう。
確実に私は、北の人生を狂わしている。
たまに泣き叫びたくなる。
恋人でも家族でもない人を、こんな益体のない人生に巻き込んでいる。
それは恐ろしいことだ。
だけれど、北はなしではもう生きていけない。
それもまた、恐ろしいことだ。
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