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追いつきたいそして取り戻すの 見失いかけたあなたの眩しさまで
尖ったヒロイズム…時代に逆らえば
夢中になれる熱い歌劇(オペラ)
待ち伏せしてる 35°
飢えた胸を抱いて 激しい風の中へ
街の闇に あなたが攫われた
20才過ぎても光ってる夢の秘密 知りたいのね
よく、なんで好きな事を仕事にしないの?と聞かれる。
私は、1箇所をのぞいて、医療事務だの電子機器の営業だの、好きなことでしか仕事をしてなかったので戸惑う。
本は好きだけど、本屋とか働くとか、司書になろうと思ったことはない。
北は、そうじゃなくて、例えば料理とか、文章とか、仕事にしようとは思わないの?と言う。
料理は好きだ。
だいたい、ラーメンとか握り寿司とか、ちょっと特殊なものでなければ、外で食べたものを再現できるくらいには味には敏感だと思う。
頭で組み立てた物をかなり的確に作れる。
作ることも手間とは感じない。
ただ、私にとっての料理は生活だ。
また、これはもう料理人として徹底的にダメなとこがあり、それは包丁が無茶苦茶下手だ。
盛り付けも絶望的にセンスがない。
そうして、その技術を修得しようとは思わないのだな。
だって、美味しいじゃん。
誰に食べさせても、まずいと言われたことないし。
でも、不特定多数に出せる、魅せる料理ではないとは分かってる。
文章を仕事にする、というもの、イメージが湧かない。
前に長くやっていたブログで小説を書いていて、読んでくれた人から、出版した方がいいと言われたことがあるが、あんな、感情のまま書き散らしたものを、誰かにお金を払って貰えるとは思えない。
それに、長く創作はしてなくて、今は小説を書くほどには元気ではない。
今は簿記の勉強をして、会計が面白く感じているから、それを出来るだけ突き詰めてみたいとは思ってるけど、《夢》とは違う、とは感じる。
小学生の時は、とても漫画家になりたかった。
でも、私の頭の中にある世界を表現するには技術があまりにもなくて、小学校を卒業する頃には綺麗に諦めた。
小説を趣味で書くようになっても、私の知識や体験では表現しきれない、この頭の中にあるものをどうやったら生み出せるのか、なにかヴァーチャルな機械で私の頭の中を取り出し、力のある人が書いてくれたらいいのにと思った。
今もそれはどこかにあり、私が本を読むのは、誰か私の理想の小説やマンガを書いてくれているのではないかと期待をするから。
私は本やマンガを読む夢を見てよく見て、その中で、ああ、懐かしい、やっぱりこの話は最高、好きだ、と感激して読んで、起きて、生々しいその夢の作品は、実在してなかった、と言うことがよくあり、そういうのを自分のノートに書いて見るが、知識のなさや溢れるイメージに追いつくほど筆が早くない。
何回か小説やら詩やらでその世界を構築したが、それは他の作品とは違う、特別なものになることが多い。
そうか。
私は、ああいう物語を紡ぎたいのかも知れない。
その力がないだけで。
一遍の短文をまとめるだけで、どれだけの知識が必要か、私はもうわかってる。
理想に近い世界を描いてくれる作家も何人もいた。
でも、私の中にある世界やら人物とは微妙にかけ離れて、そのわずかな差に勝手に落胆する。
でも、私の中の物語たちを、自分で生み出すのは、どれだけ本を読む読んで、調べて、絵や映画を見て、経験を積んで、どれだけの時間があったら出来るのだろう。
今年50だよ、私。
私の書きたいのは、タニス・リーが書いてくれたら映えそうなファンタジー(基本ファンタジー読まない私が、何故!)、赤江瀑のような徹底的に耽美で趣味に走ったものと、時流からは離れているものばかり。
ファンタジーっていったって、今時の異世界もの、転生ものじゃないから。
まずは聖書を徹底的に読み込んで、キルスト教圏の考え方、暮らし方など身につけて、それから中世の歴史を学んで、衣装や言葉遣い、当時の風刺に至るまで自然と表現出来ないと嫌だ。
うーん。
やっぱり私の頭の中取り出して、タニス・リーか竹宮惠子あたりに書いて欲しい…
でも、もしかしたら、これは私の転機になる考え方かも知れないと思った。
仕事に繋がらなくても、誰に見せるわけではなくても、これは、私の心からの《夢》なのではないのかな。
私は、仕事がしたいのでなく、好きな事を仕事に出来てきた恵まれた人生だったけど、好きな事をして、さらにそれを仕事にしなくてもいい、という発想がちょっとなかったと気がついた。
何かするのには、意味が必要と言う考えに縛られていた。
私が、それをしたいならすればいいのか。
まだもやに包まれているけれど、ずっとあった不足感が、和らいだ。
50から始めたって、いいんだよな。
何年かかっても、誰にも読ませなくても、自分のために書けばいいんだ。
あと何年生きるかわからないけれど、私は私のために生きるのだと決めて1人でいるのだから、何を始めてもそれが何歳でも関係ないんだ。
なんだ、これか。
求めいた私の答えは。