15 何が自分をスペイン巡礼に導いたのか?
今日は巡礼から少し外れたはなしをしたい。
このはなしは、直接の答えではないが、なぜスペイン巡礼にぼくが押し出されたのかに答えるヒントになるかもしれない。ならないかもしれない。
新約聖書、キリスト教徒、教会
若いときは聖書を読むのが好きだった。山上の垂訓とか読むと今でもビビッと来る。
あまり親交は深まらなかったが、エホバの証人やモルモン教徒の若いミッショナリーと話をしたりもした。
学校の先生の紹介で近くにあった教会に二年ほど通っていた。プロテスタントだったが。
エッグ・ベネディクト
若いときある仕事上のプロジェクトの関係でワシントン州に毎月のように通った。そのとき泊まっていたホテルの朝食メニューにエッグ・ベネディクトがあって、それを毎日のように食べていた。
エッグベネディクトとは、ふたつに割ったイングリッシュ・マフィンの上に、ハムとポーチドエッグをのせ、オランデーズソースをかけた料理だ。
ベネディクトは男性名だが、最も有名なのはベネディクト会を立ち上げたベネディクトスである。
懐かしい響きの地名
ずっと前から、ある言葉を聞いたり見たりするとググッと感じていた。
例えば、サンタとか、サンタフェとか、サン〜と言われる地名である。若いときは米国西海岸に仕事で行くことが多々あり、アメリカの地図にそんな地名が出てくると感激したことを覚えている。
それ以降も、何気なく南米の地図にもそんな地名が多いことに気づいた。そして、米国との仕事上の関連が切れた後に、世間の常識に疎かったぼくが何気なくヨーロッパに目を向けるようになって、そんな地名の元はほとんどがスペインの地名から派生していることにはっとした。
マドレーヌ
アメリカに縁があったときはマフィンを好んで食べていたが、以前から好きなお菓子に貝の形をしたマドレーヌがある。
貝の形と聞けば、巡礼者が持ち運ぶホタテ貝をすぐに思い起こすだろう。あれはカップの代わりである。水をすくって飲んだりするためにある。
そして、マドレーヌにはもう一つの意味がある。マグダラのマリアの名前である。謎の多い人であるが、映画などで言われるように十字架にかけられたイエスの伴侶であったと言われている。
フランシス
通った学校はイエズス会だった。そして、その頃の大好きな友だちの名前はフランシスという。彼は日本社会で育った日米のハーフだった。学校を出てしばらく経ってあるきっかけで、在米二世の日本人がぼくを採用してくれた。ある日彼からつぎのようなエピソードを聞いた。彼はスピリチュアリティに興味があって前世を思い起こす療法(全世療法)を受けた。そして、過去性を回想するとなんとイエズス会の創始者の一人フランシスコ・ザビエルだったという。そして、彼の出身地は現在はフランス国境手前で、サン・ジャン・ピエド・ポーも近いバスク地方である。現在も彼のお父さんが建てた城の遺構があるはずだ。パンプローナやハカが近い。
結論はつけない方が良いだろうが
こうやって自分の興味や行動の端々にどうも日本人として生まれた今生だけからは説明のつかない、そこにはまり切らない何かがぼくの内から溢れ出ているようなのだ。
キーワードは、上に書いたが、今生ではそれまで縁もゆかりもなかった、スペイン、バスク地方、フランシコ・ザビエル、イエズス会やベネディクト会、キリスト教文化の痕跡に親近感を感じているのはなぜだろうか?本当に衝動的に、何も考えることなくいきなりカミーノ・フランシスを選び、2回も歩いたのはどうしてだろうか?
それらの理由づけは、読者のご想像にお任せしよう。
つづく