20 巡礼は絶好の断捨離練習場
2005年と2007年と二回行ったカミーノ・フランシス上では何度か忘れものをしたものだ。
他の人が書いたサンチャゴ巡礼ブログにも似たようなことが書かれている。
決して忘れてはいけないものは、パスポート、帰りのエア・チケット、現金・クレジットカードなどだろう。濡らすとお陀仏なので防水性のある袋に入れておくのも一案だ。
でも、どちらも途中で宿に忘れたり落としたりする人もいるようだ。危ない危ない。
さて、ぼくの忘れものの話だが。覚えている範囲では、帽子と、防水ジャケットだけだ。気づくと無くなっていた。でも、雨風日差しをしのぐために、ないと意外に困るものなのだ。おのずと途中で買い替えることになる。だから現金やクレカは最後の生命線だ。
そして2回のスペイン巡礼から15年余り経ってその体験のほとんどを忘れてしまっている。何を忘れたか思い出せない忘れものだ。痴呆ともいう。とほほ。
逆に忘れてしまったために、心に強く刻み込まれたことだけが輝いていてみえて助かるといえば助かる。
歩き巡礼では、たくさん抱え込まない方が楽なのだ。
歩き巡礼の悩みは、自分の足腰の強さをこえたバックパックの重さである。毎日十数キロ、ときには30キロ以上歩かざる得ないときもある。だからあたり前である。自ずと足にマメができたり、腰を痛めたりして、そのことに気づく。
自分の能力をこえたことをしたらしっぺ返しを喰らうということも学ぶ。だから能力を培うことが大事だということもついでに学ぶ。学ぶ機会がてんこ盛りの徒歩巡礼だ。(笑)
なるべく快適な生活を送りたいとあれもこれもと荷物に入れると大変なことになる。ある人はその場では必要でないという予備の歯ブラシなど身の回り品1キログラム減らすために旅の途中で日本に送り返した。暑くなっていらなくなった予備の長袖を途中で捨てる人もいる。たった数百グラムの差なんだけれど。
ぼくもはじめての巡礼では、途中でガイドブックの地図部分だけ切り取って残りを巡礼宿の本棚に残したり、厚手のベストを捨てたりした。少しでも荷物を減らすためだった。それでも1キログラムも減らせていない。側からみればなんか漫才のようだろう。
巡礼途中で明日の食糧や飲料を買ったりすると途端に1キロ2キロ荷物が増える。その余裕を作るためのけなげな努力を徒歩巡礼者はみんなする。
もちろん、荷物配送サービスを使う。バスやタクシーを使うこともできる。しかし、それをやって徒歩巡礼から逃げた途端にこの貴重な機会を失うことになる。先回、徒歩による巡礼は、巡礼が巡礼であるための最後の砦であると書いたのはここに通じる。
もちろんすべての人がこの機会に預かれるわけではない。
本当に必要なものだけを吟味して手元に置く。人生の重荷になるものは少しでも整理して忘れる。あるいその場に捨てていく。まさに今流行りの「断捨離」じゃないか。この断捨離力を会得するうえで徒歩巡礼は最高の機会である。
断捨離はインドのヨガの「断行・捨行・離行」から生まれた言葉らしい。それに「足るを知る(知足)」の方は「老子」三三章の「足るを知る者は富む」から来ているそうだ。
人生の縮図として、サンチャゴ巡礼をやりきることで断捨離を学び、知足を学ぶ。サンチャゴ巡礼を人生道場と呼んでもいいのでは?そんな気分になってきた。
つづく