【岸信介】 1967年、笹川良一を介し日本で文鮮明と会い 国際勝共連合ヘッドとなった
・1967年6月には文鮮明氏が来日し、山梨県の本栖湖で笹川氏らと反共組織の設立を話し合った。
・翌年1968年、国際勝共連合が発足し、過熱する学生運動に対抗した。発起人に名を連ねたのが笹川氏と岸氏だった。
・当時から既に、統一教会の学生信者が親を「サタン」と呼んだり、家出したりすることが社会問題化しており、1967年には「親泣かせの原理運動」などと報道されている。
・それにもかかわらず、岸氏は教団との関係を深めていく。1970年には信者らの前で講演し、1973年には文氏との会談を果たした。
・教団と岸元首相が関係を持ち始めたきっかけは、右翼の大立者として知られ、反共産主義運動に関わっていた故笹川良一氏と岸氏との親交だった。
・岸氏と教団との関係は、アメリカ当局も注目していた。連邦捜査局(FBI)が公表している文氏に関する調査報告書(1975年)は、岸氏が日本の国際勝共連合の“ヘッド”であると名指ししている。