【守谷健二】『旧唐書』によると日本国が倭国を併合した

抜粋

『旧唐書』が上梓されたのは、945年である。宋の商人の手で『旧唐書』が日本の王朝に齎(もたら)されたのではないか。王朝はそれを読み驚愕したのではなかったか。日本の王朝の正統性は、神代より断絶がなく続いてきた(万世一系)ことにある。易姓革命の思想を完全に排除したことで「日本の歴史」は創られている。『万世一系』こそが日本の信仰・王朝の正統性の根幹である。

 それなのに『旧唐書』は、日本記事を「倭国伝」と「日本国伝」の併設で創っており、倭国が日本列島の代表王朝であったが、日本国が倭国を併合した、と書く。

 これは『易姓革命』ではないか。『易姓革命』を認めては、平安王朝の正統性は崩壊するのである。相手は中国正史『旧唐書』であったが手を拱(こまね)いてもおれなかった。王朝の正統性・存続にかかわる問題であった。

 西暦982年、陸奥国に宋人に給する答金を貢上させる。

 983年、奝然、宋商人の船で宋に渡り皇帝に拝謁。

 一介の僧侶が、渡海早々に皇帝に拝謁などできるはずがない。それを可能にした裏技があったはずである。それが奝然が日本の『職員令』『王年代記』と共に運んだ銅器十余事に詰められていた黄金であったのではないか、と云うのが私の読みである。

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