西側の植民地主義と大イスラエル主義が中東とアフリカを分断し征服し支配する
転載
<記事原文 寺島先生推薦>
Preparing the chessboard for the “Clash of Civilizations”
- Divide, Conquer and Rule the “New Middle East”
筆者:マフディ・ダリウス・ナゼムロアヤ( Mahdi Darius Nazemroaya)
出典:Global Research 2024年8月14日
慎重な調査に基づいて出されたマフディ・ナゼムロアヤ氏によるこの記事の初出は、Global Research 2011年11月26日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>2024年8月25日
「アラブの春」ということばは、アラブから遠く離れたワシントンやロンドン、パリ、ブリュッセルで作り上げられた謳い文句だ。そしてこのことばを作った個人や組織は、アラブ地域について表面上の知識以外もっておらず、アラブの人々のことについてほとんど知らない。だからこそ、アラブの人々の中でいま起こっていることは、当然ながら、一筋縄ではない。「アラブの春」とは、反政府活動でもあるし、ご都合主義でもある。革命が起これば、反革命の動きも生じるのが常のことだ。
アラブ世界におけるこの大騒動は、アラブ社会の「目覚め」でもない。こんな言い方をしてしまえば、独裁や不正義が周りで起こっているのに、アラブの人々がずっと眠ったままだ、という印象を与えてしまう。
トルコ・アラブ・イラン世界の一部ととらえるべきアラブ世界では、本当に反乱が次々と発生しているが、その反乱はアラブ社会の独裁者たちによって、米国や英国、そしてフランスの協力の下、鎮圧されてきた。これらの勢力がおこなってきた干渉こそが、民主主義を抑え込む役割を果たしてきたのであり、この先もその状況は継続されるだろう。
分断と征服:最初の「アラブの春」がでっちあげられた手口とは
中東の再構築計画が始まったのは、第1次世界大戦の数年前のことだった。ただしこのような植民地主義的なでっちあげがはっきりと見られるようになった事件は、オスマン帝国に対する「アラブ大反乱」だった。
英国やフランス、イタリアこそが、アルジェリアやリビア、エジプト、スーダンのような国々でアラブの人々が自由を謳歌できることを疎外していた宗主国であったのに、これらの国々は、さも自分たちをアラブの人々の解放の仲間であり同志であるかのように見せることに成功した。
実際「アラブ大反乱」においては、英・仏はアラブの人々をオスマン帝国に立ち向かう歩兵扱いし、自国の地政学的目論見をさらに進めようとしていた。英・仏間で結ばれていたサイクス・ピコ密約が、まさにそれを体現している。仏・英はオスマン帝国からの「抑圧」からアラブの人々を解放する、という考えをアラブの人々に売り込むことによってアラブの人々を何とか利用し操作できたのだ。
実際のところは、オスマン帝国は多民族帝国だった。すべての国民に地域や文化の自治を与えていたのに、まるで全ての国民がトルコ民族に従うよう強制されているかのように歪んで伝えられていた。
その後に発生することになるオスマン帝国のアナトリアで起きたアルメニア人大虐殺事件も、いま外部勢力が宗派間の対立の一環としてイラク国内のキリスト教徒を利用しようと目をつけているのと同じ文脈で分析しなければならない。外部勢力は、オスマン帝国とアナトリア、帝国民を分断させようとしていたのだ。
オスマン帝国崩壊後に、アラブの人々の自由を否定したのが英・仏だった。さらにはアラブの人々の間に不調和の種を撒いていた。地方の腐敗したアラブ人指導者らもこの作戦に協力し、その多くは喜んで英・仏のお得意様になることを選んでいた。これと同じ構図で、いま「アラブの春」がでっち上げられている。米・英・仏などの国々が、腐敗したアラブ人指導者や重要人物らの助けを借りて、アラブ世界とアフリカの再構築をもくろんでいる。
イノン計画:混乱から生じた秩序…
英国による中東政策の継続を示すイノン計画は、イスラエルが中東における優位を明確にするためのイスラエルの戦略的な計画だ。この計画により主張され、明記されていることは、イスラエルが周辺のアラブ諸国をより小さく、より弱小な小国家に分裂させることで、イスラエルの地政学的環境を再構築しなければならない、という点だ。
イスラエルの戦略家らは、イラクは、アラブの一国から突きつけられている最大の戦略上の問題である、と捉えている。だからこそイラクは中東とアラブ世界を小国に分裂させる工作における中心問題である、とされていた。イノン計画の概念に基づいて、イスラエルの戦略家らが求めているのは、イラクをクルド人国家と2つのアラブ人国家(シーア派とスンニ派の2国)に分裂させることだ。この状況を達成するための第一歩は、イランとイラクの間で戦争を起こさせることであった、とイノン計画では論じられている。
アトランティック誌の2008年の記事と米軍が出している『Armed Forces Journal(軍通信)』の2006年の記事において、このイノン計画の概要にもとづく地図が広く公開された。バイデン計画でも求められていたイラクの分割だけではなく、イノン計画は、レバノンやエジプト、シリアの分割も求めていた。イランやトルコ、ソマリア、パキスタンもこのような視点から捉えられていた。さらにイノン計画においては、北アフリカの解体が認められており、エジプトを手始めにスーダンやリビア、この地域の残りの国々の解体が考えられていた。
領土の保全:アラブ世界の再定義…
微調整はなされたが、イノン計画は動き出しており、「完全なる断絶」方針のもと、勢いを得ている。この方針は1996年に、当時のイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相のために、「2000年に向けたイスラエルの新戦略」について、リチャード・パール氏が研究グループとともにまとめた政策文書の骨子になっている。
パール氏はロナルド・レーガン政権時に国防総省国防次官補、その後ジョージ・W.ブッシュ・ジュニアとホワイトハウスの軍事顧問をつとめた人物である。
パール氏以外に「2000年に向けたイスラエルの新戦略」に関するこの研究グループに参加していたのは、ジェームス・コルバート氏(国家安全保障ユダヤ人協会)、チャールズ・フェアバンク・ジュニア氏(ジョンズ・ホプキンス大学)、ダグラス・フェイス氏 (フェイス&ゼル協会)、ロバート・ ローウェンバーグ氏(戦略政治上級研究所)、ジョナサン・トロップ氏(中東政策のためのワシントン協会)、ディビッド・ワームザー氏(戦略政治上級研究所)、メイラフ・ラームザー氏 (ジョンズ・ホプキンス大学)だった。
「完全なる断絶」。この1996年のイスラエルの政策文書の正式名称は、「領土保全にむけた新戦略」である。
多くの点において、米国は、イスラエル政府が1996年に出した、この「領土」保全のための政策文書で概説された諸目的を実行している。さらに「領土」ということばは、この文章の執筆者らの戦略的な視点を示唆するものだ。
領土(realm)ということばは、君主が支配する領土や、君主の統治下にある領土ではあるが、君主が実質的に支配している土地ではなく、家臣に運営させている土地を指すことばだ。その文脈でいえば、領土(realm)ということばが使われているという事実は、イスラエル王国が中東をどうみているかを反映している。国防総省の高官をずっとつとめてきたパール氏がイスラエルの文書の執筆者を支援するような動きを見せているという事実から浮かび上がるのは、「領土の主権」という概念は、イスラエルの視点なのか、米国の視点なのか、それとも両国の視点なのか、という疑問だ。
領土の保全:シリア政府を弱体化させようというイスラエル側の青写真
1996年のイスラエルの文書で求められていたのは、2000年頃かそれ以降に、ヨルダンとトルコの助けを借りて、レバノンからシリアの人々を追い出すことによる「シリアの撃退」だった。このことはそれぞれ、2005年と2011年に起こった。
その1996年の文書には、こうある。
「イスラエルは、トルコやヨルダンと協力して、シリアを弱体化させ、封じ込め、さらには後退させることで、その戦略的環境を形成することができる。こうすれば、シリアの地域的野望を挫く手段として、イスラエルが当然のごとく掲げる重要な戦略目標であるイラクの権力からサダム・フセインを排除することに焦点を当てることができるようになる」と。[1]
イスラエルが支配する「新中東」を創設し、シリアを包囲するための第一歩として、1996年の文書は、バグダッドの権力からサダム・フセイン大統領を排除するよう要求し、イラクの小国分立化と、スンニ派イスラム教徒の勢力である「中央イラク」を含むダマスカスに対する戦略的な地域同盟の構築までほのめかしている。この文書の執筆者らは以下のように記載している。
「しかし、シリアは、潜在的な弱点を抱えて、この紛争に突入することになるだろう。シリア政府は、脅威にさらされている新たなこの地域の状況への対処に気を取られすぎて、側面のヨルダンから気をそらすことができなくなる。そしてシリア政府は、イスラエルを一方に、イラク中央部とトルコを他方に、ヨルダンを中央に持つ「自然の枢軸」が、シリアをサウジアラビア半島から圧迫し、切り離すのではないか、と恐れている。シリアにとって、これは、シリアの領土保全を脅かす中東の地図の描き直しの序曲になりかねない」と。[2]
パール氏と「2000年に向けたイスラエルの新戦略」研究グループも、シリア人をレバノンから追い出し、レバノンの反体制派の人物を使ってシリアを不安定化させることを呼びかけていた。
その文書には以下のように書かれていた。
「(イスラエルは)レバノンの反政府勢力を利用して、シリアによるレバノン支配を不安定化させることで、シリアからの注意をそらさなければならない」[3]と。 この方針が、その後2005年に当時レバノン首相であったラフィーク・ハリーリー氏暗殺後に、いわゆる「杉の革命」を起こし、腐敗したサイード・ハリーリー氏が指揮した、猛烈な反シリア組織である「3月14日同盟」を作り出す助けとなった。
この文書は、イスラエル政府が「シリア政権の本質を世界に思い出させる機会を利用する」ことも求めている。[4]
この工作は明らかに、広報(PR)作戦を利用して敵対者を悪魔化するというイスラエルの戦略の一例だといえる。2009年、イスラエルのニュース・メディアが公然と認めたのは、イスラエル政府が大使館や外交使節団を通じて、イラン大統領選挙がおこなわれる前に、メディア工作の駆使やイラン大使館前での抗議行動の組織化などによる世界的な取り組みをおこない、イラン大統領選挙の信頼を貶めようとしていた、という事実だった。[5]
この文書は、現在シリアで起こっていることを彷彿とさせる内容にも言及している。以下のとおりだ。
「最も重要なのは、イスラエルが、シリアに対するトルコとヨルダンの行動を外交面や軍事面、作戦面で支援することに関心を持っていることは理解できることである、という点だ。具体的には、シリア領土に侵入し、シリアの支配者層と敵対しているアラブ部族との部族同盟を確保することなどだ」[6]と。
2011年のシリアでの動乱により、反政府勢力の移動とヨルダンとトルコの国境を越えた武器の密輸が、シリア政府にとって大きな問題となった。
そういう意味では、当時のイスラエル首相アリエル・シャロン氏とイスラエルが、英米のイラク侵略後、シリアやリビア、イランを攻撃してくれと米国政府に言ったのは驚くに値しない[7]。 最後になるが、このイスラエルの文書は、イスラエルの地政学的戦略環境を形作り、「新中東」を切り開くための先制攻撃戦争も提唱していたことを知っておく価値がある[8]。 これは、米国が2001年に採用する政策である。
中東のキリスト教共同体の根絶
エジプトのキリスト教徒が、南スーダンの住民投票と同時期、リビアの危機の前に攻撃されたのは偶然ではない。
また、世界で最も古いキリスト教共同体の一つであるイラクのキリスト教徒が、先祖代々の故郷であるイラクを離れて亡命を余儀なくされたのも偶然ではない。
米軍と英軍の監視下で起きたイラク人キリスト教徒の脱出と時を同じくして、バグダッドの近隣地域は、シーア派イスラム教徒とスンニ派イスラム教徒が暴力と暗殺部隊によって宗派的飛び地を形成するよう強いられ、宗派的闘争の場となった。これらはすべて、イノン計画と、より広範な目標の一部としての地域の再構成に関連した動きだ。
イランでは、イスラエルはイランのユダヤ人共同体を立ち退かせようと試みてきたが、無駄に終わっていた。
イランのユダヤ人人口は、実際には中東で2番目に多く、おそらく世界で最も古い、妨害を受けてこなかったユダヤ人共同体である。
イラン系ユダヤ人は、イスラム教徒やキリスト教徒のイラン人と同じように、自分たちをイランを故郷とするイラン人と見なしており、彼らにとっては、ユダヤ人だからイスラエルに移住する必要があるというのは、ばかげた考えである。
レバノンでは、イスラエルは、イスラム教一派であるドゥルーズ派だけでなく、さまざまなキリスト教徒とイスラム教徒の派閥との間の宗派間の緊張を悪化させようと動いてきた。
イスラエルにとって、レバノンはシリアへの踏み台であり、レバノンをいくつかの国家に分割することは、シリアをいくつかの小さな宗派的なアラブ国家に小国分立化するための手段、とも見られている。
イノン計画の目的は、スンニ派イスラム教徒やシーア派イスラム教徒、キリスト教徒、そしてドゥルーズ派、といった宗教や宗派的帰属意識に基づいて、レバノンとシリアをいくつかの国家に分割することにある。シリアからキリスト教徒を脱出させる、という目的もあっただろう。
シリアのアンティオキアの マロン派カトリック・シリア教会の新代表は、自治的な東部カトリック教会の中で最大の教会であり、レバント地方と中東のアラブ人キリスト教徒の粛清についての彼の懸念を表明した。
マル・ベチャラ・ブトロス・アル・ラヒ総主教などレバノンとシリアの他の多くのキリスト教指導者たちは、シリアにおけるムスリム同胞団の乗っ取りを恐れている。イラク同様、謎の集団が今、シリアのキリスト教徒共同体を攻撃している。エルサレムの東方正教会総主教を含むキリスト教の東方正教会の指導者たちも、全員が重大な懸念を公に表明している。キリスト教徒のアラブ人は別として、これらの恐怖は、ほとんどがキリスト教徒であるアッシリア人とアルメニア人の共同体でも共有されている。
アル・ラヒ総主教は最近パリを訪れ、ニコラ・サルコジ大統領と会談した。報道によると、このマロン派総主教とサルコジ大統領は、シリアについての意見に相違があり、その結果サルコジ大統領は、シリア政権は崩壊するだろうと発言した、という。アル・ラヒ総主教の立場は、シリアのことはシリアに任せ、改革することを許されるべきだ、というものだった。
同マロン派総主教はまた、フランスが合法的にヒズボラの武装解除を望んでいるのであれば、イスラエルは脅威として対処される必要がある、とサルコジ大統領に語った。
フランスでこのような立場を明確に表明したため、アル・ラヒ総主教は、レバノンで彼を訪問したシリア・アラブ共和国のキリスト教徒とイスラム教徒の宗教指導者たちから即座に感謝された。
ヒズボラとレバノンの政治的同盟者、その中にはレバノン議会のキリスト教徒議員の大半も含まれているが、彼らも、その後に南レバノンに出向いたマロン派総主教を称賛した。
アル・ラヒ総主教は、現在、ハリーリー氏率いる「3月14日同盟」によって政治的に攻撃されている。その理由は、ヒズボラに対する同総主教の姿勢と、シリア政権打倒を支持することを拒んだためだ。キリスト教徒たちによる会議は、実は、アル・ラヒ総主教とマロン派教会の立場に反対するために、ハリーリー氏によって計画されている。アル・ラヒ総主教が自身の立場を発表して以来、レバノンとシリアの両方で活動しているタフリール党も、同総主教を批判の標的にし始めている。また、米国の高官たちも、ヒズボラとシリアに対する彼の立場に対する不満の表れとして、アル・ラヒマロン派総主教との会談を取りやめた、と報じられている。
ハリーリー氏が率いるレバノンの「3月14日同盟」は、常に人気のある少数派(議会の多数派であったときでさえ)だったが、米国やイスラエル、サウジアラビア、ヨルダンや、シリアで暴力とテロリズムを利用している集団と手を携えて活動してきた。ムスリム同胞団と、シリアの他のいわゆるサラフィー主義者集団は、「3月14日同盟」のハリーリー氏とキリスト教政党との秘密会談を調整し、開催している。これが、ハリーリー氏と彼の仲間がアル・ラヒ総主教に背を向けた理由だ。ハリーリー氏と「3月14日同盟」が、ファタハ・アル・イスラムというスンニ派原理主義組織をレバノンに引き入れ、今やその組織員の一部がシリア入りして戦うのを助けている。
シリアの民間人やシリア軍を標的にした未知の狙撃手が、混乱と内部抗争を引き起こすことを狙っている。シリアのキリスト教徒共同体も、正体不明の集団に狙われている。攻撃者は、米国やフランス、ヨルダン、イスラエル、トルコ、サウジアラビア、そして内部で一部のシリア人と協力しているハリジ(湾岸)アラブ軍の連合である可能性が非常に高い。
キリスト教徒の脱出が、米国政府やイスラエル政府、EU当局によって、中東で計画されている。報道によると、アル・ラヒ総主教は、パリでニコラ・サルコジ大統領から、レバント地方と中東のキリスト教共同体は欧州連合に再定住できると告げられた、という。しかしこれは、親切な申し出ではない。
この申し出は、中東の古代キリスト教共同体を根絶するための条件を故意に作り出したのと同じ権力者による平手打ちである。その目的は、これらのキリスト教共同体をこの地域外で定住させるか、あるいは飛び地に閉じ込めてしまうかどちらかであるように思われる。どちらの方策も狙っている可能性がある。
この計画は、アラブ諸国を排他的なイスラム教徒国家であるという線に沿って描くことを意図しており、ユーラシアを支配するという米国のイノン計画と地政学的目標の両方と一致している。大規模な戦争がその結果になるかもしれない。アラブのキリスト教徒は、今や黒い肌のアラブ人と多くの共通点を持っている。
アフリカの再分割:イノン計画は非常に生き生きと、機能している...
アフリカに関しては、イスラエル政府はアフリカをより広範な周辺地域の一部と見なしている。この広範な周辺地域、あるいはいわゆる「新たな周辺地域」という概念は、1979年以降、パーレビ朝時代、イスラエルの最も緊密な同盟国の一つであったイランを含むアラブ人に対する「古い周辺地域」が、1979年のイラン革命で崩壊し、崩壊した後、イスラエル政府の地政戦略の基礎となった。そういう意味では、イスラエルの「新たな周辺」は、アラブ諸国やイラン・イスラム共和国に対抗するエチオピアやウガンダ、ケニアなどの国々を含めることで概念化された。これが、イスラエルがスーダンの小国分立化に非常に深く関与してきた理由である。
中東の宗派分裂と同じ文脈で、イスラエル人はアフリカを再構成する計画を概説してきた。イノン計画は、次の3つの側面に基づいてアフリカを描写しようとしている。それは、(1)民族言語(2)肌の色、そして最後に、(3)宗教、である。領土を確保するため、たまたま、パール氏も所属していたイスラエルのシンクタンク、高等戦略政治研究所(IASPS)も、国防総省のアメリカ・アフリカ軍(AFRICOM)の創設を推進した。
アラブとアフリカの帰属意識の融合点を分離する試みが進行中だ。それは、アフリカでいわゆる「ブラック・アフリカ」と「非黒人」とされる北アフリカとの間に境界線を引こうとするものだ。これは、アフリカで「アラブ人」と思われている人々と、いわゆる「黒人」との間に分裂を生じさせる計画の一環である。
この目的が意図したのは、「アフリカ系南スーダン」と「アラブ系北スーダン」というばかげた帰属意識を育み、促進することだった。これが、リビアを「非黒人化」する取り組みで、黒い肌のリビア人が標的にされている理由でもある。北アフリカにおけるアラブの人々の帰属意識は、アフリカの帰属意識から切り離されつつある。同時に、「黒い肌のアラブ人」の人口を大規模に根絶する試みがあり、「黒いアフリカ」と新しい「非黒人」の北アフリカとの間に明確な線引きがおこなわれ、さらには「非黒人」であるベルベル人とアラブ人の間の戦場に変えられることになるだろう。
同じ文脈で、スーダンやナイジェリアなどのアフリカでは、イスラム教徒とキリスト教徒の間で緊張が醸成され、さらなる線引きや亀裂が生じている。肌の色や宗教、民族性、言語に基づくこれらの分裂を煽ることは、アフリカの分裂と不和を煽ることを意図している。このような動きはすべて、北アフリカをアフリカ大陸の他の地域から切り離すという、より広範なアフリカ戦略の一環である、といえる。
「文明の衝突」のためのチェス盤の準備
まさにこの時点で、すべてのチェスの駒は一カ所に集め、点を線につなげる必要があるのだ。
いま我々の目の前に置かれているチェス盤は「文明の衝突」のための舞台となりつつあり、すべてのチェスの駒は所定の位置に配置されつつある。
アラブ世界は封鎖され、明確な線引きが作られつつある。
これらの線引きは、異なる民族言語や肌の色、宗教団体のあいだに存在していた継ぎ目のない移行線に取って代わりつつある。
この線引きの下では、もはや社会と国家の間の融合移行はありえない。これが、コプト教徒のような中東や北アフリカのキリスト教徒が標的にされている理由である。これは、黒い肌のアラブ人や黒い肌のベルベル人、そして黒い肌を持つ他の北アフリカの人々が、北アフリカで大量虐殺に直面している理由でもある。
イラクとエジプトに次いで、リビア・アラブ・ジャマーヒリーヤ国とシリア・アラブ共和国は、それぞれ北アフリカと東南アジアにおける地域不安定化の重要な箇所である。リビアで起こることは、アフリカにも波紋を広げる影響を及ぼし、シリアで起きることは、東南アジアやそれ以外の地域にも波紋を広げるだろう。イラクとエジプトの両国は、イノン計画が述べていることに関連して、これらアラブ諸国の不安定化の入門書として機能してきた。
現在展開されているのは、シーア派とスンニ派の戦闘を巡って混乱状態になる「イスラム教徒の中東」地域(イスラエルを除く)の創設だ。同様の筋書きが、アラブ人とベルベル人の対立を特徴とする「非黒人北アフリカ」地域でも展開されている。同時に、「文明の衝突」形式の下では、中東と北アフリカは、いわゆる「西洋」と「ブラック・アフリカ」と同時に対立することになるだろう。
だからこそ、フランスのニコラ・サルゾキー氏と英国のデービッド・キャメロン氏は、リビアでの紛争が始まったとき、西ヨーロッパ社会のおけるそれぞれの国で多文化主義は死んだ、と立て続けに宣言したのだ。[9] 真の多文化主義は、NATOの戦争計画の正当性を脅かす。それはまた、米国の外交政策の礎石を構成する「文明の衝突」の実施に対する障害を構成することになる。
この点に関して、元アメリカ国家安全保障担当補佐官ズビグニュー・ブレジンスキー氏は、多文化主義が、米国政府とその同盟諸国にとって、一体なぜ脅威なのかを説明している。
「米国がますます多文化社会になればなるほど、外交政策問題(例えば、アラブ世界や中国、イラン、ロシア、旧ソビエト連邦諸国との戦争)について共通理解を形成することは、真に大規模で広く認識されている直接的な外部の脅威の状況を除いては、より困難になるかもしれない。
このような共通理解は、第二次世界大戦中、そして冷戦中でさえも、一般的に存在していた(そして現在も『対テロ世界戦争』のために存在している)。[10]
ブレジンスキー氏の以下の文章は、なぜ国民が戦争に反対したり、支持したりするのかについての説明だ。
「しかし(この共通理解は)、国民が民主的な価値観が脅かされているという感覚が深く共有されていた状況だけでなく、敵対的な全体主義の犠牲者となった、主に欧州人に対する文化的・民族的な親近感にも根ざしていた」[11]」
屋上屋を架すことになるかもしれないが、再度言わせていただきたい。中東・北アフリカ(MENA=Middle East North Africa)地域と、いわゆる「西洋世界」やサハラ以南のアフリカとの間のこれらの文化的親和性を断ち切る意図が、キリスト教徒や黒い肌の人々を標的にしている理由になっているのだ。
自民族中心主義とイデオロギー:今日の「正義の戦争」を正当化しているもの
過去には、西ヨーロッパの植民地権力は、自国民を洗脳していた。その目的は、植民地征服に対する大衆の支持を得ることだった。これは、武装した商人や植民地軍の支援を受けて、キリスト教を広め、キリスト教の価値観を促進する、という形をとっていた。
同時に、人種差別的な思想が提唱された。土地が植民地化された人々は、「人間以下」、劣等者、または魂がない、という見方をされた。最後に、いわゆる「世界の未開の人々」を文明化する任務を引き受けるという「白人の重荷」が利用された。この一連の思想の枠組みは、植民地主義を「正当な理由」として描くために使われた。この人種差別的な思想が、外国の土地を征服し「文明化」する手段として、「正義の戦争」を遂行することに正当性を与えるために利用された。
今日、アメリカ合衆国や英国、フランス、ドイツの帝国主義的構想は変わっていない。変わったのは、これらの国々の新植民地主義的な征服戦争を遂行するための口実と正当化だけだ。植民地時代には、戦争を遂行するための言説や正当化は、英国やフランスなどの植民地化諸国の世論に受け入れられていた。今日の「正義の戦争」と「正当な理由」は、今や女性の権利や人権、人道主義、民主主義の旗印の下でおこなわれている。
マフディ・ダリウス・ナゼムロアヤは、カナダのオタワ出身の受賞歴のある作家。モントリオールのグローバリゼーション研究センター(CRG)の社会学者および研究員。
NOTES
[1] Richard Perle et al., A Clean Break: A New Strategy for Securing the Realm (Washington, D.C. and Tel Aviv: Institute for Advanced Strategic and Political Studies), 1996.
[2] 同書
[3] 同書
[4] 同書
[5] Barak Ravid, “Israeli diplomats told to take offensive in PR war against Iran,” Haaretz, June 1, 2009.
[6] Perle et al., Clean Break, op. cit.
[7] Aluf Benn, “Sharon says U.S. should also disarm Iran, Libya and Syria,” Haaretz, September 30, 2009.
[8] Richard Perle et al., Clean Break, op. cit.
[9] Robert Marquand, “Why Europe is turning away from multiculturalism,” Christian Science Monitor, March 4, 2011.
[10] Zbigniew Brzezinski, The Grand Chessboard: American Primacy and Its Geostrategic Imperatives (New York: Basic Books October 1997), p.211.
[11] 同書