チップとサポートの違和感について考えてみる
noteでのサポートがチップに変わったと、れおさんの記事で知る
ここ最近は、仕事の忙しさを理由にnoteでは読み専になっていたので、ん?となる
さっそく、れおさんの記事にサポートしようとすると、チップと表示される
違和感を感じつつ、ものは試しと少額のチップを送る
習慣で、そのままオススメをしようとして、出来ないことに気付く
なるほど、オススメも高評価と変更されたらしい
ここでも、違和感を感じる
れおさんは、その違和感をささっと拾い上げて、すぐに企画を立ち上げてしまうフットワークの軽いイケメン
2021年1月に、コロナ禍の閉塞感と不安感、ステイホームによる時間を持て余した私は、noteにひとつ記事を投稿した
そのときは、noteの利用も一時的なものと思っていたけど、すぐにコメントをいただき、サポートまでいただいた
コメントだけなら、ここまでnoteを継続していなかったかもしれない
自分の書いた文章をサポートしてくれる人がいる
この衝撃的な感動体験が、今日までnoteを続けてきたモチベーションになっている
初コメント、初サポートをしてくださったのは、誰もが知るinfocusさんだった
さて、話を戻すと、サポートがチップに変わったことによる違和感について
れおさんの企画を呼び水に、色々な方々が、それぞれに考えや想いを発信されている
ここ数日、仕事の合間や移動の隙間時間で、違和感について考えてみた
まず単純なところで、私はnoteでサポートしたいと思っていた
それは、自分が初めてサポートしてもらった感動体験をいろんな人と共有したいという想いから始まり、誰かが紡ぎ出した文章への感謝や、記事の向こう側にいる書いた人や登場する人や家族、事象に対して、何かしてあげたいという衝動のようなものだと思う
そして、その心の琴線に触れた文章を、まだ読んでいない誰かにオススメだよとお知らせしたい
サポート、オススメという言葉と、自分の感情になんの違和感も感じないほど、一致していたように思う
それが、チップという言葉に置き換わったことで、違和感を感じることになった
では、その違和感を解消するには、どうしたら良いのかなと思った時に、チップという言葉をアップデートする必要があるなと思い至った
あなたの記事を読んで感動したので、チップを置いていきますね
文章を紡いでくれて、本当にありがとう、感謝の意味を込めてチップを払います
ご家族のため少しですが足しにしてもらえたら嬉しいので、チップを
これなら、感じていた違和感が少し和らいで、チップでも、まぁ良いかと思える
チップという、日本の文化にない言葉を利用するにあたり、言葉の持つイメージがあまり良くないのだと思う
noteがチップという言葉を使っていくには、noteでの言葉の定義と利用シーンを明確にして、利用者に訴求していくことが必要なのではないかと思う
その点では、今回の変更点についてのnoteからの説明や発信は不足しているように思うし、自社のサービスと利用者を、少し蔑ろにしてしまったのではないかなと、さみしくも思う
そう感じるほどに、良い感動体験を提供いただき、すてきなnoterさんと良縁を結んでくれた、noteというサービスが好きなんだと改めて気づかせてもらえた
さて、チップと高評価に置き換えるにあたり、言葉の定義や利用シーンを訴求、定着していくコストと、サポートとオススメに戻すコストでは、どちらがサービスを継続していくためにかけるべきコストなのだろうか