#42 「自分の職業」に思うこと
私がこのnoteを始めようと思った当初の目的は、「独立してお店をやっていくにあたって、宝石について語り、そこでお客様が宝石やジュエリーに対して何に悩み、何を希望し、何を必要としているかの情報収集をしたい」と考えたことがきっかけでした。
「宝石好きの人が、思ったことを自由に書き込めるページになるようなブログ的なものをやってみよう」と"宝石について語る場"になればいいなと書き始めたのがきっかけでした。
なので、ここnoteでは宝石以外の話は書くつもりはなかった。
でも最近、私が尊敬する方たちの活動や活躍を見ていると、「形や方法は違えど、それを受け取る側には等しく"希望”と"笑顔”、"生きる活力”や"未来を照らす光”を与えてくれているな」と感じ、では、はたして私の"職業”はどうなのだろうと、ちょっと考えてみたくなりました。
こっそりと今日だけ、個人的な"記憶"について記録を残したいと思います。
※職業蔑視の話ではありません。あくまで私自身の"仕事に対する姿勢”について思ったことなので、もし気分を害する方がいらっしゃったらごめんなさい。
結局、わたしは独立して自分の店を持つという選択はしませんでした。
今の職場に転職する前は、主に「宝石の買取り業」をしていて、その流れでジュエリーのリフォームや中古のジュエリーの販売、修理など、手広く手がける会社にいました。
今は同じ宝飾業界でももう少しコアなところまで手がける会社に転職し、毎日「宝石を扱うにあたってどんなことができるか」を模索している毎日です。
宝石やジュエリーは、きっと今の時代でも「贅沢品」というカテゴリに入れられていると思います。当然のことですが、自分の収入が減ったり、出費が増えて真っ先に削られるのは「装飾品」。いやむしろ、「削る」という対象からすら外されているくらい、あまり「生活に密着していない」アイテムかもしれません。
無くても、生きていける。
生涯で一度も身につけることもない。
そんなこともあると思います。
実際に、無くても困ることはありません。
私自身は小さい頃からキラキラしたものが大好きで、この「宝石業界」を目指し出した後、自分の夢に疑問を持ったことは一度もありませんでした。
それは、自分自身にとって「宝石」や「ジュエリー」が必要なものだったから。
子供の頃におねだりした、プラスチックでできた赤や青色のおもちゃの指輪やネックレス。
学生時代、雑誌の裏面で見かけた通販のアクセサリーや雑貨屋さんのシルバー・アクセサリー。
大人になってから折に触れてちょっとずつご褒美にお迎えする、宝石やジュエリーたち。
私にとっては、「宝石」や「ジュエリー」は、本物や偽物は関係なく、"生きる概念”として身近に常に"必要なもの”でした。
でもそれが一度だけ、揺らいだことがあります。
2011年3月11日の東日本大震災。
私は、出身が福島県のいわき市です。
津波の被害は免れましたが、今日に至るまで、原発問題でまだまだ本当の復興からはほど遠い地域。(話がズレるので、現状に関しては割愛)
この時、たくさんの様々な業種の方々がそれぞれの方法で、福島の復興に手を尽くしてくださいました。
その時、私は東京にいて、実家の両親をかくまうことしかできなかった。いや、それすらも姉弟に頼りきっていて、私が何かしたかというと何もしてなかったと思います。
その当時の会社の経営状態や勤務形態ももちろん関係はしていますが、そんな言い訳は置いておいて、私は「何もできなかった」。いや、「しなかった」。
その現実を直視できなかったし、したくなかった。
とにかく「自分にとっての普通の生活」を取り戻そうと必死だったのだと思います。
そんなとき、たまたま話をしていた知人に言われた言葉が、今も頭をよぎることがあります。
「○○(私の名前)の仕事って、こういうときに役に立つ仕事ではないよね」
これは、この知人にとってはきっと大した言葉ではなかったと思います。深く考えて言ったわけではなく、思ったことがチラッとつい口に出てしまった感じ。でも私にとってはタイムリーで、とても心に突き刺さる一言でした。
何故なら、私もそう思っていたから。
日常の生活で仕事をしていると、お客様や会社の仲間に、折に触れて「ありがとう」と言ってもらえるシチュエーションがあるので、"役に立っている”と無意識に満足しがちだし、勘違いしがち。
でも、それって「本物」なのかと、ずっと見ないフリをしていた自分自身の本音とも、向き合ってしまった瞬間でした。
その当時の私の会社は「宝石の買い取り」がメインで、電話やメールでお客様からの相談を受けたり、遠方のお客様の場合は査定するジュエリーを送っていただいたり、来店でご相談を受けたりと、お客様と対峙することがとても多かった。特に「買い取り」というジャンルは、販売と違って「事情がある」ことが多いです。楽しいシチュエーションよりも、「急にお金が必要になった」「離婚した」「形見の整理」など、やむにやまれぬ辛い事情を持った方からの相談も少なくありません(むしろ多い)。
それは、震災から一年くらい経ったときだったか・・・。ちょっと落ち着いてきたくらいの時期だったと思います。
一本の電話が鳴りました。
いつものように、査定依頼の電話。
それは、福島県よりも上の地域の、被災した県にお住まいの方からの査定依頼の電話でした。
被災してグチャグチャになった家の中から出てきた、ダイヤの指輪があると。
ちょっと落ち着いてきたから、売れるものは手放そうと整理していると。
鑑定書はもうどこにいったか見つからなかったが、指輪だけでも査定はできるかどうか
・・・というご相談でした。
私たちの会社の強みは、全てのスタッフか宝石学資格を持っているという点だったので、もちろん査定に問題はなし。
後日送付されてきたダイヤモンドのリングを査定し、無事にお買い取りが成立。
「ありがとうございます。これで、ちょっと生活の足しにできます」
この言葉をいただいた瞬間、胸が詰まって、とっさに返事ができなかったことを思い出します。
「役に立てたかもしれない」
震災を経て、自分のズルさや醜さ、怠慢、傲慢さに向き合わざるを得ず、それでも見なかったことにして生きていかないと乗り越えられなかった日々の生活。はたして、自分が夢見て歩んできたこの道は、何か意味があるものだったのかを自問自答していた毎日。
その自分自身に疑問を持ち続けた日々に、
「助かりました。ありがとう」
と背中をそっとさすってくれるような言葉で、ようやく救われた気がしました。
「役に立つ」と言う考え方自体が変かもしれませんが、「誰かを笑顔にする」「誰かの心を軽くする」ということは、どんな職業でも様々な方法で可能なのだと、改めて今、思います。これからも弛むことなく、自分自身の職業に置き換えて「何ができるか」を考えていきたいと思っています。
私が今、尊敬して追いかけている方たちは、それぞれが全く違うステージにおいて、自分自身が信じる方法で、「みんなを笑顔にする」光を届け続けている。そして、まず「自分自身が楽しむ」ということを実践している。
それが自然に伝播し、心に染み渡る"希望の光”になっていくのだろうと、今日つくづくと考えさせられました。
秋だからかな・・・。
とりとめなく、宝石にも関係なく、ただの私の思い出話になってしまいましたが、もしここまで読んでくださった方がいたら、ありがとうございました。
次からはちゃんと、「宝石」について語りたいと思います(笑)
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