いつかはクラウン
父とぼくは考え方が正反対で、白と言えば黒、右といえば左。ぼくは父のことが苦手でしたし、今も苦手です。
父はいつもぼくがいくら稼いでいるのかだけを気にかけます。
ぼくは、「売上がこれくらい、経費と原価を引くとこれくらい」と説明すると、「そんなもんか、そんなんで家族を守れるのか?男は家族を守ってナンボだぞ」と応えます。
ぼくは「ぼくの仕事の中身を見てほしい」と父に訴えますが父は「そんなもんはどうでもいい、大事なのは金だ、偉そうなことは稼いでから言え」と言いきります。
マツダ キャロル
マツダ ルーチェ
トヨタ マークII
トヨタ クレスタ
そして
トヨタ クラウン
ぼくの父が若き日から乗り継いできた車です。『いつかはクラウン』日本の高度経済成長を絵にしたような遍歴です。父は家族経営の小さな接着剤の問屋業を80歳直前まで営んできましたが、一昨年やっと仕事から退きました。
父は平日は仕事、休日はゴルフの人でしたので、ぼくは幼い頃、父に遊んでもらった記憶がありませんが、決まって夜7時半くらいに父が帰ってくるのをテレビを見ながら待っていた記憶はあり、インターホンが鳴ると、玄関まで弟と小躍りしながら迎えに行きました、父が好きだったのだと思います。
ぼくの家はお金持ちではなかったけど、食べたいものは食べれたし、クリスマスと誕生日にはプレゼントが届いたし、大学にも四年間通わせてもらいました。
全て、父のおかげです。
そんな父が、今日入院しました。仕事を辞めてからの父がどんどん弱っていくのをぼくは見ていました。
父はクラウンの保険をぼくが運転出来るように変更し、キーを置いて行きました。
仕事を辞めたとき「こんな大きな車ムダだから、小さいのに乗り換えたら?」とぼくは父に勧めましたが、父はまったくと言っていいほど耳を傾けませんでした。
父にとってこの車は、彼が働き続けてきたこと、日本と共に成長し続けてきたことを形で証明する唯一のモノで誇り、文字通り王冠なんだと思います。
クラウンも、レクサスも、メルセデスも、ぼくにとってはなんの価値も感じない、鉄の塊だったはずですが、今日はこの王冠のエンブレムがすこし、重たいっていうか、輝いているというか、カッコいいというか。
そんな風に見えました。