あるがままブランディングをやりたいと思ったわけ
20年前には考えられなかった程、今は、人々が唯一無二の個性を花開かせ、その人にしかできないアートを表現することが可能となった。
テクノロジーの発展は、精神世界の発展と緊密にリンクしている。
しかし、インフラは整っているのに、未だ、唯一無二の花を開かせることができない人も多い。
その原因の多くは、エゴや自我と呼ばれるものが、本来の姿を覆い隠しているためである。
支離滅裂な独自の方程式(〜〜は、ーーである)を、幾つもエゴの人生経験の中で作り出し、それを観念としてご丁寧に頭にプログラムして、そのプログラムを通して反映された「現実世界」を体験することにより、その方程式への信念を強化している。
そのプロセスの繰り返しにより、鎧はより重く、より厚くなり、本来の光り輝く姿は、ハートの奥に隠されて、なかなか本領発揮することができない。
それは、各自の意識が地球に降りてくるときに決めてきた試練ではあるので、それ自体に優劣はなく、地球人たるもの、みなそのプロセスを多かれ少なかれ経験するはめになっているらしい。
ところで、非科学的なことを、ビジネスやマーケティングといった分野にリンクさせようとする試みはすでに先人たちが行っていることではあるが、未だ、その溝は大きいものであるような気がする。
というのも、経済界、政界の人々が、非科学的なことを生真面目に語る場面がこれまでほとんど皆無であったからだ。
この現象が古臭いものであるという感覚を持つ人がマジョリティになる時代はすぐそこまで来ているような気がする。
私は、ひとりひとりの人間が生まれながらに唯一無二という神聖さをもって物理世界に生まれてきて、鎧を少しずつ脱ぎ捨てながら、本来の眩く力強い光を放つ存在であることを思い出す旅の同伴者でありたい。
データを駆使し、AIによって最適解を瞬時に見つけ、ターゲットにベストな状況で広告を提示するというWEBマーケティングは、もはや、私たちが自動的にやっていることだ。
つまり、思考や感情や掴んだ情報といった膨大なデータを、宇宙というスーパーAIが寸分の狂いもなく、ベストな状況でターゲットである自分自身に、現実世界という名のメディア媒体に映し出している。
それを見て、また、自分好みの思考や感情をクリックしては、それを強化していくし、時には、ランダムなきっかけで変化したりする。
ということを考えれば、究極的には、私たちは逆にマーケティングしかやっていない。
その地点から見ると、あらゆるマーケティング手法は、おもちゃのようだ。
自動でマーケティングしかしていない私たちにとって、では、どこに本来のマーケティングの醍醐味があるのか。
それは、本当のブランドの姿を暴くところにある。
まさに冒頭で記述した、「眩い光を放つ本来の姿」をいかに全開にできるか。
それは、「エゴの仕組みに気づいたわたし」、と言い換えられる。
それを、あるがままブランディングと、仮にネーミングしてみた。
運良く、私には、人の本来の姿である眩い強い光が、ハートの中で可視化されイメージ情報として認識できる。
それを見ていると、それを覆っている鎧を重ね着している目の前の人の言動が不思議に見えることもある。
それを脱いでいく旅の伴侶として、鎧をひとつひとつ、脱ぎ捨てて、軽くなっていくお手伝いをしたい。