私とearthmanの「系」 #0 きゅう
みなさんどうも。
earthmanのKyuです。
今回はクラウドファンディング挑戦に伴って、改めて
僕がどういう人で、どんな経緯でearthmanを立ち上げることになったのかについて書かせてもらいます。
お話し好きな男なので、少々話が長くなってしまうと思いますがご容赦ください。
僕の生い立ちについて
▼のびのびと育った幼少期。
和歌山県橋本市という、ぼちぼち田舎の地域で生まれました。
兄弟は女、男、男の末っ子。
たくさんの人に可愛がられながら、すくすくと育ちました。
僕は小さな頃から「なんで?」を連発する、まさに純粋な子供だったと思う。
なんでマンになったのはふたつ理由がある。
ひとつ目は、父親が「他人と一緒が正解とは限らない」と教えてくれたこと。
一般的な感覚は大切だけど、その中で自分が何を感じているのかを大切にすることは一番大事だと今も思っています。
この感覚は今でも強く持っていて、よく周りから「変わった視点で物事を見てる」と言われるけど、それは幼少期から一般を疑ってきた結果、違う角度から見る癖がついているんだと思います。
そしてふたつめは、自然が大好きだったこと。
自然は、大人になって自然に関する仕事や活動をしている今でもわからないことまみれで、本当に僕たちを飽きさせることがありません。
そんな不思議な自然を見るのが大好きで、小学生の時にはウサギを飼っていて
放課後にはまっすぐ帰ってきてウサギ小屋に入り、一日中ウサギの観察をしていました。
しかも触ったり餌をあげるわけでもなく、純粋に彼らがどう振舞ってどう生きているのかについて強烈な興味があったんだと思います。
僕がじっーーーーとしていると、ウサギは僕をいないもんだとして仲間とコミュニケーションを取ったり、毛づくろいをしたりしてる
そんな飾らない生々しい姿を黙って観察するのが好きでした。
そんななんでマンの僕は、いろんな頃に疑問を持って学習をして、
「知ること」が大好きな人間に育ってきました。
今でも子供かと言われるくらいいろんな頃に興味が出て、考えたり調べたりしてます。
その副作用ですぐ上の空になって、以上なほどに忘れ物をします。
以前はなぜか冷蔵庫から財布が出てきました。自分が怖かったです。
▼「自分らしさ」が好きで嫌い。
そしていつしか、「自分は特別な存在」だと思うようになりました。
それなりになんでもできたし、人と違う視点を持ち、違う感性を持っていることに
かなりの優越感を持つようになり、言ってしまえば天狗になりました。
(今でもその傾向は大いにあります。)
そんななか、小・中学校と軽いいじめにあいました。
世界は自分の思い通りで、いつも自分が正しいと思ってたのに全然違った。
”自分の「特別な存在」は異物ということなのか?”
ここで猛烈にコンプレックスを抱くことになりました。
自分の「自分らしさ」は素晴らしいと思いたい。
でも他の人にとっては迷惑で目障りなだけなのか。
この辺りから、ユニークで人と違った自分が大好きでありながら、
自分らしさで人を不快にしていないかが不安になるという、
とても複雑な矛盾を抱えるようになりました。
大人になって考えると些細なことだけど、子供心に
一生拭えない歪んだ何かを受け取った気がして気持ち悪かったです。
きっと僕だけじゃなく、現代の若者たちも、これを見てるみなさんにも近しい体験があったのではないかとおもいます。
▼特別感を歪める卑屈さ
小学校から野球をはじめ、大きくなるにつれて自分より上手い人が世の中にたくさんいることを知り、適切に実力での挫折を味わうことができました。
他にも、たくさんのことで自分が一番になれないことを経験しました。
「でも自分には特別な何かがあるし、総合的には誰も俺に敵わないだろ!」
みたいな感じで、負けそうになると競争や戦いの土俵から降りて、
自分が勝てる世界で自分を表現して生きてきました。
「この考え方って、自分に自信が持てるいいことでありつつも、
ど根性・泥臭さみたいなものが自分には足りていないんじゃないか?」
という心の深い部分にある疑問がずっと残っていました。
それっぽい言い訳をして、汚れることや失敗することを恐れてるのが本心だと思います。
実はこの感情は、自信があるから湧き出てくるのではなくて、
自信がないからこそ、それを隠すために出てくる感情だと思います。
心の奥底では自分でわかっているけど、みんなから頼りにされたり
肯定してもらえるから見て見ぬふりをしてきました。
ほんのついこの間まで。いや、なんなら今でも。
▼ついに社会人に。
そんななかついに就職をしました。
自分のできることとやりたいことを一致させられるような取り組みを見つけよう。
そんななか、まず違和感をもったのは入社したパソナグループの淡路島の地方創生事業への人的・金銭的投資の規模感です。
とてつもないエネルギーを淡路に注いでることに対して興味深くなり、
その取り組みを細かく見るようになりました。
その中でも社内ベンチャーのタネノチカラというところで、
環境問題や地球のリミットについて知った時、産業や経済システムなど、
言葉にできない自分の抱えていた違和感が全てつながったような気がしました。
会社にもそこへ配属希望を出して、この事業や問題に取り組むことが
自分の使命だと直感でわかりました。
誰よりも使命や貢献で考えてきた分、適当な感じで仕事をしようとする同期や先輩方が許せなくて、すごく指摘したり攻撃していました。笑
もちろんその時の自分がこどもだったわけですが、自分は本気で向き合いたい使命があるという強い信念がありました。
そのアツさゆえに、少し距離を取られることもしばしばありました。
思い返してみると、僕の人生の辛かったことやトラウマは全て、
本気でぶつかった時の自分が暑苦しいと言われ、理解してもらえなかった寂しさです。
でもこの社会人一年目の経験が、とても大きな成長を運んでくれました。
「伝えること」と「伝わること」は違うとわかったのです。
それからは、相手の求めるものに合わせて表現することで、
相手と理解し合えることが楽しくなり、とても純粋に興味の対象として
人の話をまっすぐ聞けるようになりました。
こんなふうに、僕は特別でいたくて、でも目につきたくなくて、
大人びていて、子供っぽい自分で生きています。
その相反する自分の姿がとっても人間臭くて、
生々しいからいろんな人が助けてくれたり応援してくれていると思います。
みなさんいつも本当にありがとうございます。
earthmanに至った経緯
▼退社して危険な方へ身を投げる
社会人になってからは、SDGs研修・教育という枠組みで、子どもたちに生物多様性の豊かさや関係性について伝えるのを仕事にしていました。
とても素敵な取り組みで、充実感に溢れた社会人生活でした。
でもある時から、生物多様性や循環について話している自分が社宅に住んで一般的な便利な生活をしていることに違和感を持つようになりました。
「自分が本当に循環する暮らしをしていないのに、彼らに何を伝えられるんだろう」と思うようになり、猛烈に突然に、もっと地に足のついた暮らしをしたくなり、会社を辞めることを決断しました。
とても素敵な会社で、とても楽しい部署でしたが、なんとなく
「このままいたら自分はいいぐらいにまとまってしまう」
という焦りが出てきて、気づいたら辞めるに至っていました。
本当に循環する暮らしの中に身を置いてみて、それで心の底から楽しいと思えるのかを知りたくなって飛び出しました。
今となってはその時の自分の決断に心からの拍手と尊敬を送りたいです。
▼新たな社会の価値は里山や文化の中にある
earthmanで行なっている、里山で暮らすライフスタイルの発信と提案をしようと思ったのは幾つか理由がありますが、一番の決め手となっているのは
「バカで失敗して泥臭くて笑顔たくさんの自分達でいたいから」
なんです。
今の社会には、何か不穏な空気が流れていると思います。
言葉にはし難い、でもなんとなくみんなが共通してもっているような違和感や
このままでいいのか感は間違いなくあると思います。
日本経済の縮小、年々ひどくなる自然災害、大手IT企業の覇権争い、
行き過ぎた資本主義によって生活基盤を民間企業や海外に握られていくこと、
技術の発達による人間の存在価値がわからなくなっていくことなど、
たくさんの問題があり、忍び寄る足音が近づいていることを感じ取る人は増えています。
僕たちは、これらの解決の糸口は、間違いなく自然と共に暮らしていた
文化的な風習や思想にあると考えています。
あってるか間違ってるかなんてもことは一生わからないかもしれないけど、自分達は自分の行動が社会をよくすると信じて行動しています。
▼まっすぐさが僕たちの強み
しかし、多くの人が違和感を感じていながら、自分なりの解決策は見つけていながら、
それぞれ理由があって行動できないのが現状だという人は多いはず。
それがとても悲しくて、もったいないと感じていました。
だからこそ、自分達のように
地位も、名声も、お金も、すきるもないただの若者が、苦しみながら生き抜いていこうとする姿をみんなに見てもらいたいです。
応援してもらえたら嬉しいし、自給的なライフスタイルの参考になれば嬉しい。
もっというと、僕たちのまっすぐな活動を見て、少しばかり胸の奥が熱くなって
その人にとっての挑戦の後押しになれば、こんなに幸せなことはありません。
情報に溢れ、便利になった現代社会は、効率を意識しすぎるがあまり
失敗を許さない風潮が強くなっているように感じます。
より最短で傷つかない方法で目的を達成したいというような、効率主義に一石を投じたいと思います。笑
失敗するかもしれない、そっちに行ったら危険だ。
そんな方向へと、ビビりながらも飛び込む僕たちの姿を見てもらうことが、
とても価値のあることだと自負しています。
生々しく、しなやかに、時に汚れながら生きていくのが
楽しく充実した人生なんじゃないかと、社会に提示することを
これからも続けていきたいと思っています。