子どもたちの世界
最近仕事で子どもたちと触れ合うことが多くなり
そこで気づいたこと
子どもたちの世界って私が想像していた以上に純粋で
想像していた以上にちゃんとしていた
矛盾しているようなしていないような
なんとも言えない表現かもしれない
子どもたちの見ている世界は純粋
大人になるにつれて、色んなことを学ぶ中で色んなものを背負っていく
色眼鏡という名のメガネをかけてしまっていることもある
学びは私たちの世界を広くしてくれる一方で
学ぶ方向性を間違ったり偏りすぎてしまうと
それは私たち自身にも表れてしまう
怒りやすくなる、情緒不安定、無感情、妬みなど
もちろん子どもたちも色んなことを学んでいるのだけど
その学びが本当に純粋
自分の好きなものは好き
嫌いなものは嫌い
泣きたい時に泣き、笑いたい時に笑う
表情がコロコロ変わり、本当に見ていて愛おしい
その好き嫌いこそがその子の個性
でも子どもって不思議で、例えば友達が嫌いな食べ物を美味しそうに食べてる様子を目にした時、いつもなら絶対食べない嫌いな食べ物を食べてみる。すると、あれ、食べられる!って自分でびっくりしてもぐもぐ食べてる。
この間は鮭があまり得意じゃない子が、鮭の皮をもぐもぐ食べている様子を見てなんて可愛いんだ、、と感じた
嫌いが好きに変わる時って何気ないきっかけだったりする
そこでまた一つ世界が広がっただけ
その純粋性が広がる世界の中で、子どもたちの関係性が平等だったのが2つ目の気づき
子どもたちの世界の関係性
誰が上で誰が下、なんて上下関係はまずない
遊びに入れてーと言われたら、いいよ、って席を空けてあげる
一緒に遊ぶ中で、楽しいねって分かち合う
関係性の中で得意不得意はもちろんあるだろうけど、
でも、、なんというかうまく言えないんだけど。。
子どもたちって思っている以上に純粋なんだって改めて思ったんだよなぁ
こうだからこう、っていう概念がなくて
皆一緒で皆平等
本来あるべき私たちの姿が現れている気がした
というか元々そうだったんだよなぁって気付かされた感じかな
なんだかまとまりがない記事になってしまったけど
子どもたちの純粋パワーを感じて、すごくすごく幸せな気持ちになっている