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本質に至る鍵は”内なる子供”が握っている

子供・・・それは人の一生を左右するほどの影響力を持つ。
なぜなら”子供時代”は誰もが必ず通る道だから。
大人になって社会に出る前段階であり、準備段階であるから。

親ガチャなんて言葉があるくらいだから、そのことはみんなも重々承知のはず。世間では、人の一生は、どこに生まれたかで決まるらしい。どの親に生まれてきたかで。
だが、今回のテーマはそこではない。

-内なる子供-

”子供時代”は人の自我が形成されるうえで、そのベースとなるとても重要な素材だ。
だから大抵の犯罪者は子供時代にロクな目に遭っていない。その劣悪な環境の度合いと、犯罪の残虐性は正比例する。子供時代が悲惨であるほど、その罪人の罪、行為は重くなっていく。

ごく一般的な家庭に生まれ育ったとしても、重要さは変わらない。
大人になる過程で子供っぽさは消え失せていく。自然に消える、というより、自分の意志で消していく。あるいは消していこうとしてしまう。

それは大人になると、子供っぽさが邪魔になってくるからだろう。
社会は子供のように落ち込んだり、泣いたりしても、それが止むまで待ってはくれない。
「落ち込んでる暇があったら仕事しろ」
である。
また、子供のように無邪気に振る舞うことの気恥ずかしさ、もある。

そうして、人は自分の”内なる子供”を脇に追いやっていく。追いやられたその子、”あなた自身であるその子供”は、どんな思いでいるだろうか?

-鍵は”子供”にあり-

私はエゴであることよりも、本質へシフトすることを再三語ってきたが、
その鍵を握るのが、この「自分の中の内なる子供」である。



”子供性”つまり子供の持つ性質は、大人にいろいろな影響力を持っている。

あなたがすでに、親の立場で子供がいるなら、すぐに思い当たるだろう。
大人が子供から学ぶことは結構ある。学ぶ、というより気付かされる、というほうが近い。かつては、自分も子供だったわけだから”思い出す”とも言えるかもしれない。

子供が持っている最大の魅力は”自由さ”だ。
そしてそこから芽生える”発想の豊かさ”である。
彼らはまだ、社会的な通念、慣習に汚染されておらず、「”常識”って何?」
と首をかしげる立ち位置にある。それゆえに、既成概念にとらわれない自由な思考、発想ができる。

これは実は、自分の人生を構築していく上で、とてつもない恩恵がある。
「人は最初に自由でなければ何もなし得ない」
と、クリシュナムルティは言うが、この自由の鍵を握るのが”内なる子供”だ。

常に自由であることは、問題が起きたときでも、普通に生きていく中でも得られる恩恵は大きい。創作活動に従事する人は、この子供性は意識化しておく必要がある。でないと、どこかで見たような二番煎じのモノしか造れないだろう。

最悪の場合、他者のものをパクるようになる。
他人の文章を丸コピするまとめサイトとか。最近もYoutuberのもへじさんが他のYoutuberにパクられた、という旨の被害を動画で上げている。恥知らずな人もいるものだが、罪悪感は芽生えないのだろうか?芽生えないのだとしたら、それは子供の無分別な部分が出てしまっている、といえる。

パクリ症や盗み癖がある人は、一度、自分の内なる子供と対面したほうがいい。子供の自由さが”無分別”という形で表に出てしまった悪い例だろう。
大人になっても分別のない行動をとるなら、それは内なる子供がちゃんと成長していない証拠だ。

社会に出ると、仕事先などで”社長”という役職の人に出会うことがあると思う。彼らには、ある共通点がある。それは、彼らがどこか、子供っぽさを残している、という点だ。

社長だから、”権威的””怖そう””厳しい”など、つい思いがちだが、
実はとても気さくだったり、天真爛漫さを兼ね備えていたりする。
酒の席などで、子供みたいによく笑ったりすることもあれば、小さな失敗を大笑いで跳ね飛ばしたり。

子供っぽさが肯定的に働いていると、周りを惹きつける。
部下の中には、その子供っぽさゆえに「この人は私がいてやらないと」とか、「私がちゃんとしないと」などという思いに駆られ、一生懸命働く。
社長がその自由奔放さのために、突拍子もないことを言い出しても、周りがフォローできるいい組織となる。

そもそも社長に自由な発想がなければ、会社の一つも建て、功績も挙げられなかっただろう。他の連中と同じことをしていては、新しい事業などなし得ない。社長に必要な素養は自由さであり、それを支えるのが”内なる子供”なのだ。

人の上に立つ者には、こういう一面があると部下は付いてくる。
社長には子供の一面が必要だ。人間的な魅力が何倍もあがるから、多くの人が寄ってきて助けようとする。
が、子供っぽさがネガティブな形で現れると、これはとんでもない会社になる。ブラック企業の誕生である。

最近では、ビッグモーターだが、そのやり口は極めて稚拙。
暴力、恐怖で人を動かそうとすること自体が子供じみてるが、それをこのご時世にするのだから空いた口が塞がらない。逃げた元社長親子も、そのツケは必ず支払わされるだろう。

子供性がマイナス方向へ、しかも極端になると途方もない被害が生じるといういい例だ。子供性が歪んでいると、暴力という安易な人心掌握術に陥りやすい。自分を磨いて尊敬されれば部下も黙って付いてくるのだが、アホにはわからないのだろう。

”内なる子供”はちゃんと対処しておかないとほぼ確実に人生が歪む。

-”内なる子供”は本質との仲介役をする-

で、その子供性の役割だが、彼らは人の意識を本質へと導く、仲介役となる。多くの人が大人になって思うことは「子供のときは良かった」である。
「幼年期は天国で囲われている」と詩人ワーズワースも詠っているが、そう感じる人は多いだろう。

子供時代は過酷なことが結構多かったりする。
しかし、なんだかんだ言って自我に目覚める前ということもあり、天真爛漫でいられることを約束された時期でもあり、意外と心の中は豊かなのだ。もし、子供の頃が地獄のようだった、という人がいれば、そんな人こそ子供の救出がより必要になる。
生まれて間もない頃から傷つけられるのだから。

子供は自我に目覚めていないため、ものの見方が一元的である。つまり、いい悪いの分別がない。これは、子供がもともと本質的であることを指す。
とても魂に近い状態にある。あくまで近い、である。
そして、彼らは何をやるにも全身全霊を傾ける。エゴのように思考や感情だけに偏ったりしない。あの根拠のない自信などもそう。
だから、”内なる子供”を意識化することは、人が本質へ至るための中継役となるのである。

あなたはもう十分、大人のたしなみは身につけただろうから、あとは子供のたしなみを身につけるだけだ。正確には”取り戻す”のだ。
あなたの中で闇に追いやられた”内なる子供”を見つけ出し、それを救出し、手をつなぐ。子供を意識化したあなたは、子供のように振る舞うことが多くなる。無邪気さや天真爛漫さを表現することが自然に増えるだろう。

岡本太郎は「女性は男性の中にある”子供”を見つけるのが得意だ」と言っていたが、その女性、岡本敏子さんもその一人だったのかもしれない。
彼女自身、子供のようにいつもニコニコしている姿が多くの人の脳裏には焼き付いているだろう。
彼女曰く。
「私は何も考えないでニコニコしてるだけなので、繊細な太郎さんは気が休んだのではないでしょうか」
彼にとって敏子さんが創作のために必要な存在だったのは間違いない。
だからそばに置いた。
そして養女に。
これはなんだっけ?
ソウルメイトとか、ツインレイみたいな感じだろうか?

芸術の神が女性神なのもうなづける。
ミューズにしても弁財天にしても。

大抵の男は、好きな女性の前では子供っぽく振る舞う。
(理由はわからないが、振る舞ってしまうのだ)
そこで”内なる子供”を再び育むチャンスがやってくる。
一般的に芸人、アーティストの類の人々が、女遊びが派手なのはそういう理由からである。男にとって女性はインスピレーションの原泉なのだ。

とくに男は社会に出てから”子供性”が急速に不要になってくる。
さっきも言ったが
「泣いてる暇があるなら仕事しろ」「売上げ伸ばせ」「一軒でも多く回れ」
を要求される。そんな環境の中、社会では不要な子供性を男の中から救出してくれた女性は女神のように思えるだろう。

そしてそれゆえに、女性の多くが「男は子供っぽい」というのもよく分かる。ただ、そうではない。男が子供っぽいのは、”あなたの前”だけなのだ。だが、男がいつまでも子供っぽいままだと、いずれ嫁はこう思う。
「私はあなたのお母さんじゃない」と。
離婚の危機である。

話がそれたが(笑)、あなたの中に眠る”内なる子供”を決して軽んじてはならない。幼少期の体験が、成人後に及ぼす影響が甚大なのは周知の通り。

今一度、”内なる子供”と向き合ってみてはどうだろうか?

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