”統合”という厄介な現象
人々の変容を妨げる厄介な現象に”統合”というものがある。
この一般的には聞こえの良い現象・・・
聞こえが良いということは、肯定的な意味で使われることが多いのだが
実はいろいろな弊害がある。今回はこの”統合”の何が厄介なのかを話そうと思う。
まず、統合という現象が、前提として”分離”ありきのものである、
ということを心に留めてほしい。統合が必要なのは、もともと分離をしているから、である。分離などしていなければ、統合も必要ない。
あくまで統合とは分離あっての現象であり、したがって統合を肯定する、
ということは、分離も肯定するということになる。
人間の自我は思考を土台としてできあがっているため、必然的に分離を起こすのは否めない。だから統合は必要というのが一般的な見解である。もし、人の意識内で統合がうまく機能しないと、統合失調症という病に認定される。
議論の場合でも変わらない。
学問でも政治でもジャンルはなんでもいいが、ある見解がそのまま通ってしまうと、たいてい問題が生じるため、必ず反対意見が入る、というシステムがすでに現行の社会では成り立っている。こうして多角的に見解を取り入れ、論戦を繰り広げることで、議論を煮詰めていき、最終的に結論が出る。
政治の場合、現実には多くの利権が絡むことになるので、民意が望む結果にはならないことが多い。
これは国家間の戦争にもあてはまる。
超簡単に言うと、論戦が戦争、統合が安保条約である。
日本がアメリカに負けたあと、アメリカの文化が流入され、食などの生活スタイルやアートなどが一変したことを思い出してほしい。負けたのに、勝った国の文化を取り入れるのである。これも”統合”と言えるだろう。
このヘーゲルの弁証法はいたるところに浸透している。
その式は定立x反定立=統合である。
AくんとBくんが喧嘩をし、仲良くなった、でもいい。
男女がくっついたり、離れたりしながら結局結婚した、でもオーケー。とにかく、思考の働きを具体的に説明しているものなので、覚えておくといい。
で、統合の何が問題なのか?
まず、思考は比較、認識のために分離を起こす。
そして分離を起こしたもの、つまり相反する2つのものが、対立と融合を繰り返し、統合に至る。この統合が起きるとき、人間には高揚感や幸福感、達成感が伴う。だから、一般的には楽しい行為に分類される。
そう、楽しいのである。
この楽しい、という感覚があるからこそ、統合は肯定的に捉えられてしまう。そして、先にも言ったように、統合は分離ありきの現象である。
つまり、これが人をいつまでも分離のままの状態に居座り続けさせる要因となってしまっている。
「統合は楽しいから分離の状態のままでいい」
という自体になってしまうのである。
男女の性的な結合がその最たるものかもしれない。
意識的な活動の中では、創作活動なども幸福感や達成感はかなり強い。が、ここで忘れてはならないことがある。その幸福は一時的なものである、ということ。恒久的なものではない、ということである。
だから人々は創作を繰り返し、恋愛を繰り返し続ける。
これを政治に当てはめると、なぜ世界情勢が不安定なのかを一瞬で理解できる。人々は分離を治めるために、統合を求め続ける。そして、それを繰り返すことこそが、まさに不安定な状態を作り出してしまっている。
なぜなら、統合は一回で終わるものではないから。
統合は再び、否定されることで新たな統合へと向かう。
統合は定立となり、それに対して反定立が生まれ、また統合される。
この運動には終わりがない。終わりがないから、いつまでも問題は生まれ続ける。問題が終わらないのだから、不安定になるのは当然である。
絶えず、戦争は起こり、紛争が止むことはないだろう。日本は戦争がなくても、巻き込まれる可能性は十分あるし、そうでなくても日々、心理的な争いという名の戦争が会社や学校で日常茶飯事に起きている。そのストレスで死にそうになっている現代人は山程いるだろう。
百歩譲って統合を良しとしよう。
統合が起きることで、しばらくは平和になる。
が、ここでもやはり問題はある。
例えば、性的な営みは幸福だ。
だが、その後には女には出産の苦しみが、男には家庭を守る義務が生じる。
創作活動も先人が言っているように「受胎の快楽と産みの苦しみ」があるのである。”受胎の快楽”とは、情報を吸収し、アイディアを思い巡らし、作品を空想しているときのことだ。
”産みの苦しみ”はいざ、形として表現しようとするときのことである。
創作に従事する人は必ず通る道になる。
あなたが好きな、あの素晴らしい作品も一朝一夕にできあがるものではない。常に快楽や幸福の裏では、苦痛がひそかに待ちかまえている、ということである。
私は性の営みが悪いとは思わない。それどころか、好きなだけしたらいいとさえ思う。気が済むまでするといいと思う。ただし、ちゃんと避妊はしよう。
-分離そのものからの脱却-
あなたがもし、統合にも飽き、分離状態にも嫌気がさすなら、分離そのものを断つ、という道がある。
分離というのは思考が行う作用なので、思考から離れる、ということである。思考から離れれば、分離が起こらず、したがって統合も起きることはない。
もう分離と統合を往復する必要はなくなる。
往復しないということは、繰り返さないと同義であり、道は一本道になる。
あなたは、まっすぐしか進まなくなる。遠回りや、同じ過ちを繰り返さなくなる。
あなたが思い描く地点へ難なく到達できるだろう。
分離を否定する、ということは、人を自由にすることなのである。
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