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もう地球飽きた

地球に飽きた人たち、こんにちわ。
今日も一日うんざりでしたね(棒読み)

さて、地球に飽きたらどうするか?
まず、はやまって自決する、という選択肢は保留にしておきましょう。

それよりも、今回の人生を見直してみる、という方向に意識を向けるほうが建設的。
この星にうんざりしているなら、再び、生まれてこなければいいだけのこと。
今回の生だけは、もうしばらく辛抱し、輪廻の糸を断ち切ることに専念する。
これが最期の転生だ、と思ってみてください。
これが地球最期の人生になる、と。
少し楽になったのではないでしょうか?

何やっても楽しめない、もしくは、やりたいことはやり尽くし、
惰性だけで生きている状態。
仮に、どんな恵まれた環境で、どんな望む人生に生まれ変われる事ができたとしても、この星に生まれてくる事自体がもう嫌。
大富豪もイケメン美女も大スターもうんざり。
生まれてくると思っただけで、胃に穴が空きそうになる。

「もう二度と再び、この地球に生まれることを望まない」

そう思う人たちには、もしかしたら、役に立てるかもしれません。

3つのタイプ

いかにして人はこのような思いを持つに至るのか?
おおまかにわけて、3種類のタイプに分類してみます。

○1つ目 何もかもに飽きてしまったタイプ。

 もう十分生きた、やりたいことは全部やった、あとは年食って死ぬだけ
 の人。これわかりますね?
 
○2つ目 苦しみすぎたタイプ。

 人生が地獄のような日々だった人たち。
 生まれてきたこと自体を呪ってるかもしれない。
 地球や人間に好意的になるとは到底思えないレベルの苦しみを受けた。
 このタイプの人には同情しかない。

○3つ目は少し変わり種。

 この星の”役割”を理解してしまった人たち。
 なぜ地球だけ生物が繁殖するような適正な環境になったのか?
 人間が存在する理由、宇宙全体での人間の役割、などを洞察しているタイプ。
  このタイプはタイプ1に似ているけど、この星の危険性を痛感している
 点が1と違う。3の人は、この星に居座り続けることに、尋常ならざる
 危機感を覚えている。
 このタイプは非常に数が少ないと思われる。
 

どのタイプとも、事態は深刻と言えるかもしれない。
しかし、そんな状態で無理して生きる必要はなく、
さっさと自決すればいいのだが、実はそれでは問題解決にはならない。
その障壁となるのが輪廻である。
これがある限り、同じことを繰り返し続ける可能性は捨てきれない。
再び生まれて来る可能性がある限り、自決を安易に選択するのは無謀といえる。
死ぬことができるのは少なくとも
「地球に二度と生まれてこない保証」
を手にしたあとである。

輪廻の恐怖

まずはじめに、このブログでは「輪廻ありき」で進行していきます。
たくさんのソースを提示して「輪廻ある説」を展開していくことはできるけど、結局の所、それらはどこまでいっても推察でしかなく、決定的な証拠にはならないのでやるだけ無意味。
このブログの趣旨は科学的に不確定なものをあるかのように証明してみせる、という類のものではないし、私自身がやりたくないのでやりません。

これは過去生の記憶が引き継ぎできさえれば、瞬時に解決される話ではある・・・。
あるけど、なぜか転生時に消去される。
なぜでしょうね?

輪廻・・・

原子核を回る電子からなる原子、時計の動きに象徴される時間、一年を周期に巡る季節、

四季

太陽を中心とした惑星の運行、

惑星の運行

そして壮大な銀河系の円舞に至るまで、この宇宙はあらゆるものが回転している。

大宇宙


生き物たちは個々に、血液循環し、食べては消化吸収、排泄し、結合しては子供を生む。
さらに人間に至っては同じ思考を繰り返し、同じ過ちを繰り返し、そして、生まれては死んでいく。

人の一生


釈迦はこの宇宙で見られる、あらゆる運動が円を描くさまを洞察し、これらを総称して輪廻と呼んだ。そしてそれが永遠とも思える途方もない長い間、繰り返し続ける事実を目の当たりにし、結果、彼は絶望して解脱した。
文字通り、彼は「輪廻の輪から脱」した。

「お釈迦様、輪廻怖い」の図

からの・・・


「お釈迦様、解脱」の図

だが、実は輪廻は正確には円運動ではない。
わずかに始点と終点がずれ、螺旋状になっている。
つまり、少しずつだが変化していく。

問題なのはここから。
この螺旋はまっすぐに進んでいるわけではない、ということ。
この螺旋自体がまた、円を描く。そしてやはり始点と終点がずれて
螺旋になる。これが延々に繰り返されるのがこの世界の運動の特徴で、
かつ、厄介な点である。
しかし、「厄介」とはどういうことか?

「輪廻」がすなわち円運動なのは、僕ら人間から見れば、
同じことの繰り返しにしかならない。
これがうんざりするほどの不動、不変をもたらし、人間たちに
「飽き」という苦痛をもたらす。
一方でこの不変の回転運動は「安定」をもたらす。

余談だが、転生時に記憶が消されるのは、この「飽き」を解消するためではないかと一つの案として、私は勘ぐっている。
それが事実であれば、人生はほぼ同じことの繰り返し、という結論に自然に到達する。

ハーピーデスデイという映画はご存知だろうか?

ハッビーデスデイ


ヒロインの若い娘はある日を境に、同じ1日を繰り返し続ける。その一日の最後は必ず、誰かに殺されるか死ぬ。そして殺された後、また同じ日の朝に目覚める・・・
これが延々と続く。つまり、毎日毎日死ぬ、という体験を味わされる。
一応、この物語はハッピーエンドで終わる。
これはヒロインが記憶を保持しているからこそ、最終的に自分を殺した犯人を追求できた。しかし、もし、記憶が引き継ぎできずにループし続けたらどうだろう?

転生時における記憶の抹消---
私はバシャールが言っていた「過去にとらわれずに現世に集中できるようにするため」という説をかなり疑っている。
そして、この世界や人間を設計した連中に相当懐疑的で、悪意さえ感じている。彼らは、人類に対し、その繰り返される事実をまるで覆い隠そうとしているようにさえ見える。

まあ、この話は長くなりそうなのでまたの機会に。

とにもかくにも「飽きた」。これに尽きる。
性懲りもなく、1から人生という茶番を演じさせられることの労苦はいかなるものか。

確かに人生には楽しいこともある。
が、それは恒久的なものではない。
「楽しい」という現象は、それに接している間だけで、極めて刹那的であり、すぐに過ぎ去る。
一つのことに飽きれば、また新たな刺激を追求し、また飽きては追求する。
この繰り返し。
百歩譲ってそれだけならまだいいのだが、人生にはおびただしい量の「嫌なこと」も用意されている。

どちらにしろ、もう、うんざりである。

➖解決策➖

とはいえ、愚痴ってばかりもいられない。
どうにかしないことには、また、この忌々しい星で、一ミリも楽しくない人生を演じさせられる。または、自分で望んでそれをやる。

解決策はあるのか?

再び、生まれてこないために必要なことは、執着をなくす、以外にないと私は思う。
輪廻の要因となるのはこの「執着」であることに疑いない。
ほんの少しの後悔でも死ぬ瞬間、あの「走馬灯」といわれる現象が現れ、多大な後悔の念を引き起こす。

走馬灯、怖すぎ問題


結果、あれだけ嫌だったのにまた生まれてくる、という失態を犯しかねない。赤ん坊の産声が、仮に後悔の雄叫びだったとしても、なんら不思議ではない。
オギャーに込められた真意、それが
「あー、やっちまった!」
とか
「まーた生まれてきちまった」
という赤ん坊たちの魂の叫びだったとしても。

こんにちわ、赤ちゃん

しかし、皮肉なことに、産声を挙げなければその場で人生は終了する。

話を戻そう。

執着を断つ---
この作業は一見、困難を極めるように感じる。
なぜなら、この人間社会や家族、愛する人々などへの執着を捨てるのは容易ではない、と思うから。
美しい自然や動物たちへの愛着はどうだろう?
それらを手放せるだろうか?

美しい自然


そして僕らが身にまとっているこの「肉体」と「自分」というものへの執着。これらはとくに強い。

極めつけは楽しいことへの中毒症状である。
楽しいことは、かなり長い期間、退屈を紛らわせることができる。
とちゅうで疲れても休息すればまた活力が湧き、楽しめる。
が、いつかは終わる。人間は飽きるから。
この「楽しいこと中毒」は、もはや現代人の病気だと私は思う。

楽しいこと中毒


社会も暇つぶしの娯楽を次から次へと量産しては、利益を得られてはいるが、時代を追うに連れ、廃れていくのもはやく、流行はあっという間に幕を閉じる。
ほんの少し前にもてはやされていたものが、新しい作品によって影に追いやられる。時代のスピード化に伴い、諸行無常も加速する。

では、執着はどのようにして解消できるのか?
後悔をしない生き方なんてできるのか?

答えからいうとイエス。

それは一言で言えば、
「自分の人生をちゃんと生きる」
ということに尽きる。

今回の人生が、自分で望んだものであるにせよ、与えられたものであるにせよ、持って生まれた肉体の資源、能力を最大限に引き出し、それを活かしてちゃんと生きる、ということ。

「自分の全体、自分のすべてで生きる」

ということである。

ところが、これがまた、なかなか難しい。
人間の「自我」というものは「人間」というものの全体の一部でしかないためである。

また、これには「信じる」という要素も必要になってくる。
人間は自分の中に「不信」な部分があると、それを脇に追いやろうとする。
その部分が「自分」の全体から孤立してしまうため、
結果、部分でしか生きられなくなる。

また、ここまで読んだ人の中には、こう思う人もいると思う。
すでに過去に起きた、取り返しのつかない「後悔」も解決できるのだろうか?

この答えもイエス。

私はこのために2つのワークを用意した。
上記に述べられたいろいろな問題。
これらはすべて、私のワークで解消できると思う。
ワークは私自身を実験台として長い期間、続けてきたもので、非常に安全、
かつほとんどの人が、容易に習得できるほど簡単である。
しちめんどくさい呼吸法とか、イメージ法など一切ない。
歩きながら、またはバスや電車に揺られながらできる、実に簡単なものである。
必要な条件は心身ともに健康である、ことだけ。

➖結び➖

たった一度、地球の人間という種族に生まれただけで---そして、数十年ほど生きただけで、人は地球や人間そのものに飽きたりするものだろうか?

地球は美しい星で、たくさんの多様な生物が共存し、多くの謎に満ちている。
人間社会にも宇宙人から都市伝説、古代文明に陰謀論、未解決事件や最新のテクノロジーなど、心が踊るようなテーマはいくつもある。
少しでも好奇心が残っていれば、飽きることなど、なかなかないだろう。

にもかかわらず、私は飽きた。

これこそが過去生に渡って「人間」をかなりの回数、演じ続けた根拠だと自分では思っている。
過去生の記憶が消去されても、万物の根源となる、いわゆる「魂的なもの」は、なんとなくおぼろげではあるが、覚えているのかもしれない。
あるいは、過去生の記憶は消されるのではなく、実は魂は完全に記憶を保持しており、ただたんに、人々が思い出せないだけ、なのかもしれない。

なんにせよ、たとえ記憶が消去されたとしても、再び地球に生まれてくると思うだけで、ぞっとする。

世界は破滅に向かっているが、それを実感する者は少ないように思える。
激変する自然環境、耐えることのない戦争や内紛、世界全体に山積みとなって残る無数の問題。

「人間は少しずつ、これらの問題も解消し、どうにかこうにかやっていくに違いない」

こう思う人は多いかもしれないが、この見解はあまりにも楽観的すぎる。

ネット上に横行する終末思想や予言の数々。
しかし、それらを待つまでもなく、人間は自らの手で滅びを選択する。
選択するというのは文字通りの意味である。
というか、選択せざるを得ない。
人間に与えられた手段は選択することのみ。
自由意志などあると思ったら大間違いであり、しかも自由選択でさえない。
強制的に破滅を選択する、と私は見ている。

それは現在の「人間のあり方」が原因となっている。
私はワークを通じてこの問題を解消できることに、密かに、ほんの僅かだが望みを持っている。
その望みは、1キロ先の裁縫針の穴に、矢を穿つくらい困難に思える。

「あの針の穴に矢を・・・って通るか!」

弓聖、阿波研造は暗闇の中で、一本目の放った矢に、二本目の矢を命中させ、一本目の矢を裂くことができた。

名著「弓と禅」


ドイツの哲人ヘリゲルが「弓と禅」の中で、その事実を目の当たりにしているが、阿波研造のような達人なら可能かもしれない。

提供するワークは、

「自分本来の姿に戻り、
自分の人生をちゃんと生きる」

ことの支援が目的である。

僕ら人間は結局の所、あたえられた条件下で精一杯やるしない。
ある程度、大人になったら、生まれてきた親や場所、出会う人や環境によって自分の人生がある特定の方向へ向かっていることに気づくはず。
だが、あなたが「自分」というものを取り違えていたら、最初の一歩で
間違った方向へ進む羽目になってしまう。

だからこそ、まず最初に「自分本来の姿に戻る」ことが必要になってくる。
ワークがそれを助けてくれるかもしれない。

人類は遅かれ早かれ破滅する。
個人的には、それはあまり先のことではないと思う。
だからこそ、与えられた人生をちゃんと生き、さっさと地球を離れる
ことを私は推奨する。
この星が地獄と化す前に。

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