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かみさまへ

かみさまへ

何かの本で かみさん  とか かあさん は 

太陽を表す言葉だと書いてあった。

かみさま。と かみさん。

なんとなく不思議なつながりを思う。

男女のかけらが子宮に辿り着き 気が遠くなるほどの数の分裂を繰り返す。子宮に護られ からだができるとそこに魂が宿り 子宮から産道を通って 
この世に人として生まれおちる。

生物である限り 誰にでも「かあさん」は在る。


「ヒトには自分と他人を見分けて、

他者を拒絶する免疫というしくみが備わっています。

僕たちが生き抜いてゆくうえでかかせないしくみです。

ところが、子宮は他者を拒絶しない特別な臓器です。

そんな拒絶をしない子宮があるから

命はここまでつながり

僕たちが、こうして今地球に生きている。

国や人種、宗教が違っていても

子宮はだれの受精卵でも受け入れて、

育ててくれるんだ。」  竹内正人


朝日を浴びて 山々も、木々も、草や鳥や虫も一斉に蠢き出す。夜半まで降っていた雨を受けた屋根や畑から真っ白な湯気が立ち上っている。水分が蒸発しているのだろうけど、あまりにも美しくエネルギーに満ち溢れているので 冬の間土の中でじっと春を待っていた生き物たちの喜びの熱気なのではないだろうかと思う。向こうのこんもりとした雑木林からも靄が立ち始めて 朝の日の光に照らされた幻想的な景色が冬の終わりを告げている。

彼を初めて見たときに 星の王子様を思い出した。ストーリーは全然覚えていないけど表紙の男の子のきょとんとした顔。どこか淋しげな。でも その奥には誰にも侵すことのできない自分だけの世界を持っている星の王子様のような彼の雰囲気。

「はじめまして、黒崎透です。どうぞよろしくお願いします。」

ゆっくりと静かに話す彼の声は 初めて聞いたのに 聞きなれた声のように耳にしっくりとなじみ、説明は出来ないのだけれど 不思議にとても懐かしかった。

私のパート先は 大手スーパーの中の一角にある全国チェーンの酒屋だ。田舎とも都会とも言えないごく平均的なこの街のなかでは割と大きな酒屋で、ワインと日本酒に力を入れて売り出している。店には本社からの社員のほかに、パートやアルバイトが4人いる。いや、いただ。

この店舗が出来る前からいる体格のいい吉中さんと彼女のご機嫌を取り続ける瘦せぎすの嶋木さん。まるで二人はジャイアンとスネ夫のようだなぁとこっそり思ってる。それにフリーの女の子と私でシフトが組まれていた。

私も世間的にはおばちゃんなので 吉中さんや嶋木さんのことをおばちゃんと言ってしまうのはおかしいのだけれど、でもやっぱり二人は「おばちゃん」という表現がしっくりくる 口うるさくて、世話好き(おせっかいともいう)で、人の噂話が大好きなおばちゃんなのだ。

先月、吉中さんの口調に耐えかねたフリーの子が辞めてしまったので 店のカウンターに

アルバイト募集「笑顔の絶えない職場です」と書かれた張り紙をしばらく貼りだしていたところなのだった。黒崎君はその貼り紙を見てやってきた。

履歴書には確か高校三年生と書いてあったかなぁ。すらりとのびた手足。ちょっとはねたくせっ毛の髪。今どきの若い子という感じではなく 彼の周りの空気はなんだか他と違って見える。

なんと言えばいいのか あたたかくてしんとしていてとても静かなのだ。

「黒崎君は 春休みのあいだだけということですが 以前にも酒屋で働いたことがあるそうなので、早速今日からじゃんじゃん働いてもらいましょう。」と、多田店長が冗談交じりに言う。店長といってもこの店舗にきてまだ2か月の若い社員さんだ。吉中さんの方がずっと長くここに居るので 店長も遠慮した物言いになる。

「じゃあ まずはどこに何があるか店内を覚えてきてちょうだい。」と、吉中さんが店長を押しのけて指示を出す。店長は苦笑いしている。

「はい。」

と返事をして黒崎君は奥のウイスキーの棚の方へ向かった。ひょろっとして背が高いので みんなが踏み台を出さなくてはならないような一番上の棚のものにも楽に手が届きそうだ。

「ま、今度は男性なので上手くやって下さいね。」と若い店長は独り言のように言い 「わたしは事務室にいますから」と行ってしまった。

今日は吉中さんとわたしと黒崎君の三人で ここでの仕事をまわしていく。明日から売り出しが始まるので 商品を並べ替えたり ポップを作ったりといつもより少し忙しい。

吉中さんは

「全く。この忙しい時に新しい子が来たって大変になるだけだよ。」

と言いながらレジの登録作業に向かった。

吉中さんのような強い言い方は わたしにはとてもできない。ましてや上に立って人を遣うことなんて無理だ。そう言った意味では吉中さんの奥歯に何も詰まらせない言い方にいつもどきどきしながらも感心してしまう。

「大体分かりました。」

わたしが商品を並べ終え、ポップ作りに取り掛かったときに黒崎君は戻ってきた。近くに吉中さんはいない。倉庫にでも行っているんだろうか。

「そうですか。」

どうしようかな。わたしが指示したら吉中さんに何か言われそうだし、そもそも何をさせたらいいかなんてわからない。のろのろと、アルバイトの学生に指示すら出せないで困っていると

「ぼく、お客さんに応対してきます。」と言って 何かを探している風な女性客のもとへさらりと向かっていった。

その様子は遠目に見ていても 押しつけがましくなく、だけど 質問にはいつでもお答えしますよ。という柔らかな雰囲気がみてとれた。

お店の都合で売りたい商品を がさがさとお客さんに勧める吉中さんとは大違いだ。自分が今何をすればいいのかが瞬時に分かるなんて、若いのにすごいなぁ。と感動すらしてしまった。

そのお客さんが黒崎君の勧めたワインを手に取り レジに並ぶ。

今夜大切な人と一緒に飲むのだろうか。女性客は黒崎君に勧められたワインを胸に明るい表情で帰っていった。ワインをラッピングしただけの私まで嬉しくなってくる。

「もう春休みなの?」

「そうなんです。進学も決まってるんで学校行かなくていいんです。」

「すごいね、進学が決まってるんだ。おめでとう。」

「あっ、いや。・・ありがとうございます。」

大学受験なんて 高卒のわたしには想像もつかない世界。ニュースなどで見聞きしているくらいの知識しかないし、大学の名前を聞いても全然ぴんとこない。もしかしたら予備校などに通ったりして 大変だったのかもしれない。だけどこの子は受験が無事に終わったあとの ご褒美のようなこの春休みを、遊ぶためにつかうのではなく バイトすることにしたんだなぁ。と、息子だといってもおかしくない年齢の黒崎君の考え方に興味が湧いた。

今日は金曜日ということもあって お酒を求めるお客が途切れることなく黒崎君とその後は特に会話をする時間はなかったが 時々目をやると酒屋でのバイト経験があるからなのか そつなく仕事をこなしているようだったし、どんなお客様と接していてもやっぱり彼の周りの空気は静かなままだった。

気付けば時計は15時を指し

「宮園さん、そろそろあがっていいわよ。」と店長ではなく 吉中さんが声を掛けてくれる。

「あっ、はい。では お先に失礼します。」

バックヤードで着替えたあと、忘れ物のないように一度荷物を確認し、「OK」とひとり小さくつぶやいてから みんなに「お疲れ様でした。」と声を掛けて帰る。

今頃 舞花と瑞木は学校からの帰り道を、

「ママ早く来ないかなー。」

とわたしの車を待ちながら とぼとぼと歩いていることだろう。

今夜のおかずは何にしよう。明日は役員の集まりがあるんだったっけ。だったら今日のうちに買い物しておかなくちゃ。などと思いを巡らせていると 時間はすぐに過ぎ いつの間にか一日は終わる。

毎日は雑多なことに埋もれて ただ本当に時だけが流れていく。多くの主婦の日常はこんな感じなのではないかと思う。

ごく当たり前の ごくごく普通の ただの主婦であるわたし。

一日の終わりにはなんの達成感も感じることなく眠りに就いて、毎朝おんなじことが始まるだけ。

だがそこに不満があるわけではないし わたしにはちょうどいいくらいの幸せだと思う。

むしろこれ以上の幸せは求める気もない。求めてはいけないとさえ思っている。

パート勤めのごく平凡な毎日。お金に困っている訳ではなく、子どももすくすくと成長しているし、優しい夫もいる。

もうこれだけで わたしには充分。

そう。もう十分。

それにしても黒崎君は本の中から抜け出してきたような面白い男の子だなぁ。と考えながら職場に隣接している食品売り場で慌ただしく買い物を済ませ、子どもたちのもとまで車を走らせる。車道脇には少し濃い桃色のさくらがちらほらと咲き出していて どんなに世界が悲しいニュースで溢れていても春はきちんと来て 暖かくなるのだなぁと思うとなんだかこころも少しほころびる。真冬には真っ暗だったこの時間も 今は緑の山々が西日をまっすぐに受けて鮮やかに輝いている。

「ママおそーい。」

「あー、ごめんね。今日のご飯はハンバーグにしようかなぁと思って 買い物してきたから。」

「わーい。やったー。」

3年生の瑞木はハンバーグが大好きだ。好きなものはたくさん食べるが わたしが作ったものが美味しくなかったとき、好きなものではなかったときには遠慮がちに

「僕、これはあんまり好きじゃないなぁ。」と2回繰り返す。本当に申し訳なさそうに言うので思わず笑ってしまう。

「えーハンバーグかぁ。やだなぁ。」

「じゃあ、たこ焼もつけようか。」

「ならいいよ。」舞花はハンバーグは好きではない。家族全員好みが違うので 毎回献立を考えるのが大変なのだ。気付いたらなんだか一人に一品ずつ違うものを作ってたりする。

あまりいい習慣ではないのかもしれないけれど すごい偏食で食事の時間が苦痛でしかなかったわたしは、嫌いなものを無理やり食べさせるくらいなら食べたいものを作ってあげたいと思ってしまう。
残さず食べなさいと言われるのが本当に嫌で 保育園や低学年のうちは一口大のお肉の塊や、一切れの人参が食べられず帰りの時間になってしまうこともしばしばあった。お昼休み、みんなが愉しそうに遊んでいても わたしは給食のトレーを前に一切れの人参や噛みきれないお肉を眺め 早くこの時間が終わるように願うだけだった。舞花にも、瑞木にもあんな思いはさせたくない。わたしの持論だけど、我慢して嫌いな食べ物を食べたところで栄養になるものかなと疑問に思う。
だから宮園家の食卓は みんなの好きなものばかり。お腹一杯になったら残してもいい。食事は楽しいものにしたいから。智弘は子どもたちに食べ物は残すな。と言う。でも自分も好きではないと残す時があるのだからおあいこ。

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