私は戦わない。ために実践すること【愛と調和】
国内外の情勢を見ていて、気を抜くとついつい引っ張られそうになってしまうので、自戒のために『私は戦わない』宣言三連投中です。
愛とは何か考えたことがありますか?
あなたは【愛とは何か】を考えたことがありますか?
私は何の専門家でもありませんので難しいことはわかりませんが、自身に問いかけてみたところこんな答えが返ってきました。
愛とは、自分を大切に想うこと
我が答えながら、へぇ!と思ったのですが、(予想外の答えがポンッと来た時は潜在意識の答えかな?と勝手に思っておりまして)なんだかすごく腑に落ちたんですよね。
恐らく、自己受容が進んでいなかったり、自己肯定感が低いと言われる状態だった時には理解できなかったと思うのですが…
自分と向き合うことを長くやってきて、「私にとって私は特別な存在だ」と認められた今だからこその納得でした。
(自尊感情についてはこちらの記事で書いています)
パートナーや家族を愛するとは、
唯一無二の自分を大切に扱うように相手を想うこと
自然や物を愛するとは、
唯一無二の自分を大切に想うようにそれらを扱うこと
「無償の愛」なんて言葉があるので、「自分を大切に想うこと」が愛だとは腑に落ちない方もいらっしゃると思いますが。
こんな考え方をもとに私は次の実践をしていこうと決めました。
私は戦わない。ための【愛と調和】の実践
①善悪(良い悪い)のジャッジをしないようにする
②自分の感情・感覚と同じように人様の感情・感覚も大切なものと意識する
③死への恐れと執着を手放す
【愛と調和】なんて大それた言葉を使いましたが、一小市民の私が出来るのは自分を変えることくらいなのです。
デモや署名、パブコメなど武力を用いない活動方法もありますが、恐れや怒りを原動力にした行動は自分を精神的に傷付けるような気がするので、今回は控えるつもりです。
私はスピリチュアル能力的なものは全くありませんので本当にただの勘ですが、古いやり方で争い合うほど上手くいかないんじゃないかなぁ…と思うので。
①〜③を補足させていただくと…
①善悪(良い悪い)のジャッジをしないようにする
自分の中の正義や常識という名の思い込みを振りかざすほど、分断・争いが生まれます。自分と他人を比較すればするほど自己肯定感は低くなりますし、優劣のマウントは【愛と調和】から真逆の性質だと思うので、無意識にジャッジしてしまう癖を直していきたいです。
②自分の感情・感覚と同じように人様の感情・感覚も大切なものと意識する
これは①を心掛けていても、人から否定されたり攻撃されたりした場合、どうしても嫌な気持ちになるのは仕方ないですよね。
なので、「嫌な人だわ〜」と感じた自分の気持ちも認めて大切にしますが、「相手も私の何かが気に入らなかったのだから、そういう態度を取ってしまうこともあるよねー」と相手の気持ちも同じように認めてあげようという事です。
冷静な時には簡単なことなのですが、渦中にいる時に【人様の感情・感覚を大切にする】ってなかなか出来ていなかったと思うので、これからは意識していきます。
①②について、善悪のジャッジではなく、自分や相手の"好きor苦手"で考えるといいよと言っていらっしゃる方がいました。
『正誤』より『好みの問題』とした方がなんだか優しい感じがしますよね。
③死への恐れと執着を手放す
時事問題の情報を取り続けて、この苦しみと怒りの根本は何なんだと考えた時に出てきた答えが『生きることへの執着』でした。
こんなに大変な人生なら生まれてこなければ良かったと思いながらも、生物の本能なのか、傷付き、病に伏せ、命を落とすことは怖いと感じる。10代20代の頃は相当恐怖していたのですが、30代後半にして、やっとこの恐怖と執着を手放しても良いかーと思えるようになってきました。
余りにも世の中が大変過ぎるというのもあるかもしれませんが、だからこそ今日も生き延びたなぁという感覚の方が強くなってきたのかもしれません。
金カネ主義にも疲れてしまったし
苦行のような人生に魅力も感じないし
運良くも生かされている間だけは、地球旅行(人生)を楽しむか
「なんとか成るし、良きように成る」と思うことにしよう
諦めているような、けれどそんなに悲観的な感じでもなく、むしろ身軽になったような…こういうのって何て言うのでしょう。
自分の命や財産を守るために、積極的に誰かと争いに行かなくていいや。それよりも、少しでも誰かの幸せに貢献できる命の使い方がしたい。その方が生きた意味があるような気がする。
増税やプランデミック、自然災害などの話を聞くと重苦しい感情が湧き上がってきたりしますが、その度に『死への恐れとお金や物への執着を手放すぞ〜』と唱えることにしています。
人生の指針として【宣誓】
趣味も仕事も何をやっても長続きしなかった私が、自分と向き合う事だけは10年間諦めずにやってきました。生きる苦しみから逃れたい一心で、自分のためだけに続けてきました。
もう、両親の都合がいい子はやめる
もう、誰かの都合の良い人にはならない
誰にも搾取されずに、私は私のために生きて幸せになるんだ
そんな思いで自分と向き合ってきたのですが、「私は私だ」と自己信頼出来るようになった先でたどり着いた答えが
恐れや怒りを増幅するような出来事に没頭するよりも、みんなで幸せになる方法を考え、叶えることに命と時間を使いたい。
だったことには、少しだけ複雑な気分です。もう献身したくないと思っていたのですが、結局人は1人では生きていけないし、自分1人だけ幸せになるという状況はあり得ないのだと腹落ちすることになってしまいました。どんなに幸せの条件が揃ったとしても、誰かを搾取して苦しめているその上では、一点の曇りなく「幸せだ」とは絶対に言えない。綺麗事過ぎて見て見ぬふりしてきましたが、子供の頃に抱いた感情を捨て去るって本当に難しいですね。随分と遠回りしたようにも感じるけれど、誰かのために生きていた10年前と違うのは、
今の私は誰からも(気持ちの上で)搾取されない
私が本心から「貢献したい」と思うから行動する
という事です。私が私を幸せにするために、みんなにも幸せになってもらいたいなんて、傲慢過ぎて献身とは言わないですね。
ここまで、腹を括るのに随分と時間がかかってしまいましたが…
今日の初心を忘れないよう記事にします。
3年坊主になりませんように。
未来の自分へ期待を込めて。
最後までご覧いただきありがとうございました^^