私は戦わない。でも、負けてはやらないよ?
2024年の8月、9月は国内外の時事問題について積極的に情報を取りにいっていました。
前回の記事でも書いたのですが、どうやら世間には武力行使の有無に関わらず、『ケンカしたい』という鬱憤が溜まっている人が一定数存在するようですね。
気づいている方も多いと思いますが、極少数の先導者以外は【煽られているだけ】なんですよね。
その怒りは本物ですか?
その怒りの奥にある本当の感情に気づいていますか?
コロナ禍以前から日本は不景気な時代が長いですし、言語化出来ていない中でも「自分が蔑ろにされている」「自分が搾取されている」「我慢、我慢」の感覚に身を置き続けてきましたよね。
日本は災害も多い国。誰が悪いのか責める相手がいなかったり、不明瞭な出来事にイライラが募っていた人も多いと思います。
不平不満が溜まりに溜まって、どうにか発散したい!と思っていたところに餌を撒かれた(捌け口を意図的に与えられた)のだとしたら…
対立、分断、二極化
争うための構図が世界中に用意されている。
戦争、パンデミック、日本やアメリカの選挙、ワクチン、不法移民、令和の米騒動…
「陰謀論」なんて言葉もチラホラ耳に入ってきて、世の中の色々なことに疑心暗鬼になってくる。となれば、真実を知りたくて、またモヤモヤイライラが溜まってしまうわけで…
誰か、何か、明瞭な"敵"が欲しくなってしまう。恐れや怒り、不安などのネガティブ感情の捌け口を求める民衆を増やして煽動する。
その目指す先に私が生きたい世界は無いだろうなぁ。。。
というのが、この2ヶ月久しぶりに時事問題に興味を持ってみた感想です。
コロナ禍以降、自分と向き合うことに集中していたので、世間の乱れようには驚くばかりでしたが…(テレビ不所持なので浦島太郎でした)
どっぷりと情報に浸かってみると、やはり人並みに怒りが湧いてきたものの「どうも納得いかない」という感覚が強かったです。
戦わずにおさめる方法って本当にないのかな。
戦争ってぶっちゃけもう古くない?
(まだやるの?いい加減学びません?)
と感じるのは私だけでしょうか?
じゃぁ、どうすればいいかと聞かれると答えはまだ見つけられていませんが、
低レベル、低次元の奴らが用意した土俵で戦ってやる必要ないでしょ?
とは本気で思っています。わざわざ相手が用意した低俗なフィールドで負け戦(出来レース)することこそ許せない。
人様にお勧めできるような具体的な対応策は見つけられていませんが、戦わずして勝つためのキーワードは【愛と調和】なのだろうなと感じています。
このキーワードも最近いろいろなところで聞きますので、「戦いたくない」と思っておられる方もたくさんいらっしゃっるということで嬉しいですね。
次回の記事では、私が取り組むと決めた【愛と調和】について書いてみたいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。ぜひ、1人でも多く必要な方に届きますように🙏🏻