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TIME IS LIFE

タイムイズマネー、「時は金なり」という言葉がある。

「時間はお金で買える」という概念は認識していたが、どうも私たちが呼んでいる「時間」とは、「(命の) 残り時間」なのではないか?

と、思い当たったとき、時間はお金ではなく命そのものだと思った。


だから無駄なことに遣っている時間などない。お金は取り返すことができるが、時間は 2 度と戻らない。
そしてそれに付随する「若さ」はさらに価値があるものだと思っていた。


たとえば、私は縄文杉を見に行ったが、往復 9 時間かかった。
これが、40 年後だったらどうだろう。

9 時間で行って帰って来れるだろうか? 途中で断念せざるを得なかったり、怪我してしまったり、携帯用トイレを持っていく個数が増えたり……


また、「今さら何を始めても遅い」ということがないのは真理だと思っているが、やはりスキルを習得している時期が早ければ早いほど、開かれる扉が多いのも事実だろう。
音楽家などもやはり幼い頃からやっている人が多いし。


子どものころの吸収力はすごいという。したがって、小学生の 6 年間と、私の 6 年間の価値は同じではない。


そういう意味での「時は命なり」であり、なるべく体験は若いうちにしておくものだと思った。

だから旅行も行きたければバンバン行っていた。たとえば何かがあって、体が自由に動かなくなったり、目が見えなくなる日がいつか来ないとも限らないからだ。

いつか、体が旅行に耐えられなくなったら、たくさん本を積んで本の旅行に出るつもりだった。そのため旅行での実体験を優先させ、いつしか読書量はほんのちょっとになっていった。


好きだった海外小説も読まなくなり、実用書を読む機会が増えた。
仕事を効率化できるように。よりスキルを磨けるように。


仕事だけに限らず、基本的に面倒くさがりなので、効率化するものはどんどん取り入れるし、(人生でそこそこ引越しを経験してきたので) 引越し時のわずらわしさを考慮して、物をどんどん持たなくなっていった。


テレワークで家にいるのに、外に出ずに生協と amazon で暮しているのに、化粧をする時間も削られないのに、なのに時間が足りないのだ。

ずーっとずーっと不思議に思っていた。


先日から Audible の「3 ヶ月無料キャンペーン」の勧誘が何度もきていて、1 回トライアル申し込んだもののあんまり合わなくてやめたんだよな…、と思いながら申し込んでみた。
(amazon Prime 会員特典らしい)


なぜか忘れたが、数日前にミヒャエル・エンデのことを考えていた。
実は彼の代表作『モモ』も『はてしない物語』も、読破したことがなかった。
(モモは序盤で読まなくなり、『はてしない物語』は (上) のみ。面白いと思って読んでいたのになぜか (下) を読んでいない)

しかし『自由の牢獄』と『遠い旅路の目的地』、および『鏡のなかの鏡 ―― 迷宮』はとても好きな話だった。


そこで Audible で『モモ』を探してみたらあった (しかも声が高山みなみ!) ので、聞いてみた。

ただし「朗読時間 10:45」というのを見て、多少ウンザリした。
読んだ方が早いじゃん、と。


ぼーっと 11 時間何もせず Audible だけを聞く訳にもいかない (ヒマだ) から、イラスト ロジックもやることにした。
これならあまり頭を使わずに Audible と両立できそうだと思ったため。


高山みなみの声が、ところどころコナンそのものだったり、全然違う、落ち着いた美しい声になったりして面白く聞いていた。
(世界が独特な設定だから)「あんまり頭に入ってこないかもなー」と思いながら、いつの間にか引き込まれ、気付いたら 2 時間ほど経過していた。

自分で読んだ時は掃除夫のじいさんが「少しずつ、少しずつやるんだ」ってところまでを 2 回読んだ。

そして私は『モモ』のことはよく知らなかった。

昔から自宅にはあったのだが、サブタイトル? が長すぎて「時間どろぼう」というところしか認識していなかった。
あとはかろうじて「モモ」がくちゃくちゃのコートを着た女の子であること (表紙のとおり) のみを知っていた。


今回、Audible で聞いて少し怖くなった。
「灰色の外交員」の考え方が、自分の考えとよく似ていたからだ。

「5 分あれば 〇〇 できる」

と。

確かにそれは事実だし、そうやって習得してきたものもあるだろう。今の仕事に活きているものもあるし、そのおかげでなりたい職業に就いて、置きたかった環境に身を置いている。


私は「学生のときもっと 〇〇 していればよかった」というセリフを、自分が言うことが嫌いだ。

そんな時間がある & そう思っているなら、取り返すことにその時間を遣いたいからだ。
また、現在の自分を認めていないようで、自分で自分をおとしめることはないと思うからだ。

こう書くとまるで学生時代精一杯やっていたかのような誤解を与えそうなので一応ことわっておくと、まったくそんなことはない。


中学時代は部活に入らなければいけないので、弱小スポーツ部に入っていたし、高校に入ってからはそこそこ強いスポーツ部に入っていた。

しかし私は本当は運動などしたくなかったのだ。


大変申し訳ないのだが、昔から (自分がやる) スポーツに熱くなれない。アスリートの素晴しい姿勢や精神論などには感嘆するし、応援もするけど、痛い思いをしてヘタな自分がやりたいとも思わなければ、与えられた対戦相手に勝ちたいともまったく思わない。


高校の部活は、そこそこ強いのが災いして、結構本気でやらなければいけなかった。
授業以外の時間は部活に全振り! みたいなことが求められる部活だった。
多少宗教チックだと思っていた (合宿での飲み物の種類まで限定されたりするとことか……)。

やりたくないのに注意されるのがめんどくさくて精一杯頑張ってしまう自分が、精神的にも肉体的にもつらかった。
「別に全国大会とか出れなくていいし」と思っている人間がいたら、チームワークが大事な部活にとっては良くないだろう。


1 年生の猛暑の夏休みの合宿中に体調を崩し、肉体的にも精神的にもスパルタすぎてついていけないと思って合宿後に辞めた。
つまり、4 ヶ月ほどしかいなかった。


私は家でマンガが読みたかったのだ。
たかが 3 日の合宿で「6kg くらい痩せたんじゃない?」とか言われるほどの汗かきも努力もしたくなかったのだ。
涼しい部屋でアイスを食べながらマンガを読むのだ。怠惰極まりなくてよいのだ。


晴れて帰宅部 (卒業まで続く) となり、家でのマンガと、徹夜で Windows に入っていた「フリーセル」三昧をしていた。
当時の Windows のフリーセルは全部で 65,535 通りあるらしいのだが、それが (論理的には) 全部クリアできるということで、コンプリート欲求に駆られ #1,100 くらいまでやった。

徹夜でやって、朝になったらシャワーを浴びて、学校へ行く。
眠い授業は寝る。アイスが食べたくて遅刻・早退を繰り返す。

上記のようにまったくアホの子として過ごしていた。そしてそれを「あの時もっとああしておけば」とは後悔していない。
(こんなことだから WAIS-III も受けるに至ったのだが)


フリーセルがやりたかったのだし、物理の授業 & 歴史・地理全般は眠いしつまらないが、学校は楽しかったのだ。
そしてフリーセルは意外と、料理の段取りに役立っているのではないかと思う。

「〇〇 をここでこうしている間に、こちらの処理を進めておいて…」

という思考が必要なゲームだからだ。


というわけで、これを「開き直り」というのだろうが、自分の行動を後悔したくないのだから仕方ない。
「あのとき」と「今」の自分を否定するより、肯定してしまった方が人生はラクだ。
自分で責任を持たざるを得ない人生なのだから、自分のことで無駄に悩む必要はない。

当時の私が真面目に頑張っても医者や教授にはなれないだろうし、そもそも「遊びたい…」願望は今もあるので無理だろう。


(人は説得できなくても) 自分の人生に納得はしているし、希望の職を得られたからサボった分取り返せたかな感はあるのに、それなのになぜ私はこうもイラチ (関西弁で短気の意味らしい) なのかと。
人より時間を節約しているはずではないのかと。


灰色の人がフージーさん? に話すセリフが自分みたいだ。

「〇〇 日は 〇〇 秒、そうすると 〇 年で 〇〇〇〇〇〇 秒になる。そこから □□ した時間を引く」

なんと味気ない無機質な話だろう。これでは時間を消費するために生きているだけではないか。


そもそも、「Audible を聞いているあいだ、手持ち無沙汰だからイラスト ロジックやろう」といってやりながら聞いていたことも、朗読を 1.2 倍速で聞いていたことも、「なにこれ私への戒めの本!?」と思ってしまった。


本や歌には、ときどきこんな出会いがある。

「まるで自分のこと!?」
と思うような内容を、思うようなタイミングで突きつけられることがある。

フタを開ければそのくらい普遍だよっていうことなのだと思うが、「なぜ、今!」ということは結構誰でも「あるある」だと思う。


エンデが現代人に対して鳴らした警鐘…… と、今のところは捉えているが、50 年も前の作品とは。


Audible の価値を分っていなかったけれど、物語が進むにつれて高山みなみの多彩な表現に驚くばかり。


全然関係ないのだけれど、先日医療脱毛の契約をしようと思ってカウンセリングを受けに行った。
サロンでもクリニックでも両方経験があったし、看護師さんとも詳しく話してコースも決まったので

「では 〇〇 でお願いします!」

と言ったところに、パッチテスト (照射テスト) した部分に蕁麻疹が出てしまい、医師から

「これだとうちでは契約難しいですね…」

と言われてしまって、まさかの話が流れた……。


ええぇこんなことあるんだ!?

ショックすぎた。
どこがいいか色々色々調べて、事前に電話もして質問して、カウンセリングでも医師・看護師・カウンセラーの方とトータル 1 時間も話したのに、契約できないですって!?

というか私もやりたかったから行ったんですが……!!


私とカウンセラーの人、なぜか (ってこともないのだけれど) お互いに平謝りで、1 時間色んな人に時間を遣わせた (時間どろぼう?) 挙句、お金 1 円も落とさない人になってしまった…!!

蕁麻疹はすぐ引いたのに!!


まだ希望は捨てていないのだけれど、また同じことになったらちょっとトラウマになる…。

ちゃんとしてそうなクリニックを選んだので、なるほど実際にちゃんとしてたからこんなこと (肌のことを考慮して契約できない) になってしまった。


本当に契約できないことになったとき、いたたまれなくなった。
何だろう何しに来たんだろう私!?

お互いに謎の時間を過ごしてしまった!

と思っているところがすでに灰色の外交員みたいな考えになっているように思う。


『モモ』を聞いて、「時間どろぼうではない!」と言い聞かせようっと。

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