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見立てる、という文化

ホチキスの針が洋服かけになったり、重ねて階段になったり、立ててビルになったり。みかんの皮を黒いシートの上に乗せて、下からライトを当てて溶岩にしたり。綿棒がスタンドマイクになったり、街灯になったり。ミニチュア人形の大きさに合わせて、その物の見え方が変わるんです、と作者の方が話していた。アイデア無限大のミニチュア作品展に、老若男女が平日にも関わらず美術館に足を運び、作品に見入っていた。私も脳みそを揉み解して貰ったようなひとときだった。

見立て、という言葉は日本独特の文化だと思う、と作者が話していた。同じ意味のことを一言で表す言葉が、外国の辞書にはないらしい。確かに、箸にしても、お行儀は悪いけど、左手の箸をフォークに、右手の箸をナイフに見立ててお肉切ったりするもんなあ(しない?)。スカーフ一枚を風呂敷にしたり、三角巾にしたり、膝掛けにしたり、首に巻いたりもする。これはこの用途のためにだけ使う、と思わずに、色々に見立てて生かしていくのは、スッキリした生活に繋がるし、なるほど、面白い、というワクワクにも繋がる。

毎日の料理作りも、こんにゃくの薄切りを肉に見立ててかさ増しに使ったり、パン粉がない時にそうめんを細かく砕いて衣にしたりと、知恵を絞っていけるチャンスは沢山ある。自分はクリエイターだ、と思えば、日々の生活は創造の場になる。

作品の見事さもさることながら、そんなワクワクがこの作品展の魅力なのかもしれない。

興味のある方は、田中達也、ミニチュアでぜひ検索を✨

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